2018年は童謡100周年! 特集「100年」

若き芸術家たちの創作意欲をかきたてた、童謡の誕生

読みもの
2018.05.25

2018年は童謡100周年です。子どもの頃に口ずさんだあの歌、子どもと一緒に口ずさむあの歌。若き詩人、作曲家たちの手によって生まれた「子どものための歌」の歴史を紐解いてみましょう。

ナビゲーター
古橋富士雄 指揮者
古橋富士雄
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古橋富士雄 指揮者
1943年東京に生まれる。指揮法を斎藤秀雄、作曲を島岡譲、ピアノを宮島敏の各氏に師事。これまでに原信子オペラ研究所の専属ピアニスト、NHK東京児童合唱団常任指揮者(音...

7月1日は童謡の日

7月1日は童謡の日です。みなさんご存知でしたか?

童謡を語る上で欠かせないのは「日本童謡協会」です。この協会は昭和44年2月27日、資生堂で創立総会が開かれ、会長にサトウハチローが選出されました。運営委員代行に加藤省吾、小林純一、清水みのる、藤間哲郎、宮澤章二、作曲家から伊藤翁介、磯部 俶、海沼 実、中田喜直、渡邊浦人が選出され昭和44年4月19日「日本童謡協会」は結成されたのです。日本の童謡界の作詞家、作曲家による全国的な規模での統一組織が誕生したわけです。

その後第2代会長に中田喜直、第3代会長に現在の湯山 昭と続き、新しい童謡の創作と継承に取り組んでいます。毎年行なわれている「童謡祭」「こどものコーラス展」などがそれです。

 

日本童謡教会 初代会長・サトウハチロー(『アサヒグラフ』 1952年3月26日号/朝日新聞社)
日本童謡教会 初代会長・サトウハチロー(『アサヒグラフ』 1952年3月26日号/朝日新聞社)
第2代会場・中田喜直(『アサヒグラフ』 1952年10月29日号/朝日新聞社)
第2代会場・中田喜直(『アサヒグラフ』 1952年10月29日号/朝日新聞社)

童謡の継承とは、現状の維持にとどまらず、それを乗り越えた「創造、創作の営み」であると湯山氏は語っています。さらに湯山氏は数年前に「童謡の日」の制定を提唱しておりました。童謡協会会員の賛同をえて7月1日が童謡の日に制定されたのです。なぜ7月1日なのでしょう?
それは、1918年7月1日、鈴木三重吉による童話と童謡の文芸誌、『赤い鳥』が刊行された日に由来するのです。

雑誌『赤い鳥』創刊号表紙/国立国会図書館
雑誌『赤い鳥』創刊号表紙/国立国会図書館

「童謡」と「唱歌」の違いとは?

一方、『赤い鳥』刊行の前に「唱歌」がありますが、唱歌は国家によって作られた曲でした。1872年、学制が発布されたとき、小学校の1教科の中で歌われました。これは外国の制度を模倣しただけで有名無実な教科だったようです。

そこで1879年、伊沢修二の主唱で文部省は音楽取調掛(のちの東京音楽学校)を創設し、まず『小学唱歌集』が伊沢修二、ルーサー・ホワイティング・メーソンらによって編集されました。「ちょうちょ」、「蛍の光」、「仰げば尊し」など外国曲に日本語の歌詞をつけたものでした。
そんな中、北原白秋は『あたらしい日本の童謡は、根本を在来の日本の童謡に置く。日本風土、伝統、童心を忘れた小学唱歌との相違は、ここにある』と述べ、白秋は童謡運動が意図したものは、「伝統の展開」であり、小学唱歌とは違うことを述べています。

『尋常小学読本唱歌』 表紙 1910年
『尋常小学読本唱歌』 表紙 1910年

「官制の唱歌」と「民制の童謡」の誕生は、ともに音楽文明の衝突に起因します。子どもの歌にいかに日本の伝統を回復するかという共通の大きな課題を背負い、それぞれ解決に向けて歩みだしたのです。
ただ、唱歌は、その出生のときから歴史的に背負ってきた「讃美歌に対抗できる歌である」という運命を念頭に歩みました。そして、日本の伝統音楽の5音音階を、外国から帰った近衛秀麿や山田耕筰たちが7音階(※ドレミファソラシ、の西洋音階のこと)にしようと努力したことは、童謡にも大きな影響を与えることになったのです。
唱歌は『尋常小学唱歌』の完成をみて発展の頂点に達したのに比べ、童謡はその遺産を継承しつつ、日本の子供の新しい歌を作る創作の場所となったのです。

唱歌批判をバネに生まれた童謡

1918年7月「赤い鳥」の創刊とともに童謡は誕生しました。そのとき鈴木三重吉が配布したプリント「童話と童謡を創作する最初の文芸運動」では、当時の「子どもが歌っている唱歌など、芸術家の目から見ると、実に低級な愚かなものばかりです」と唱歌を批判し、それに変わる「芸術として真価ある純麗な童話と童謡」が必要だと訴えています。ですから童謡の誕生は唱歌批判を大きなバネとして生まれたと言っても過言ではありません。

そして、童謡を書いた層は広く、詩人では北原白秋、西條八十、野口雨情、三木露風ほか、ざっと10人くらいいます。作家、評論家では島崎藤村、小川未明、小山内薫、長谷川時雨など。さらに画家の竹下夢二(宵待草)、蕗谷虹児(花嫁人形)、加藤まさを(月の砂漠)等あげるときりがありません。

北原白秋
北原白秋
野口雨情
野口雨情
西条八十
西条八十(学研「証言の昭和史 1巻」より)
三木露風(『アサヒグラフ』 1948年3月24日号/朝日新聞社)
三木露風(『アサヒグラフ』 1948年3月24日号/朝日新聞社)

新しい童謡の誕生は、主に詩人の積極的な取り組みによって実現しましたが、詩だけでは歌えません。東京音楽学校で学んだ若い20代の作曲家が参加し、新しい子どもの歌が本格的に誕生します。成田為三、草川信、弘田龍太郎、中山晋平、本居長世、そしてドイツ留学から戻った山田耕筰によっていよいよ本格化するのです。

 

参考資料:童謡誕生100年記念誌「明日へ」日本童謡協会 編

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