聴き手の想像力に委ねる極限にシンプルなジャケットたち
クラシックのイメージを脱ぎ捨て、新しい音楽世界を構築しているミュンヘン発のレーベル「ECM」。創設者マンフレート・アイヒャーの徹底したイメージ戦略のもと、統一感のあるクールなパッケージで他とは一線を画し、一定のファン層を築いている。
第3回は、越境的作曲家たちによる3枚。スティーヴ・ライヒやアルヴォ・ペルトといえば、新しい音楽に敏感なリスナーは耳にする名前かもしれない。ここにショスタコーヴィチと同時代を生きた作曲家、ヴァインベルクの1枚を加え、ECM的世界観へご案内する。
中学1年生のときにビートルズで音楽に目覚め、ドビュッシーでクラシック音楽に目覚める。音楽漬けの学生時代を経て、広告コピーライターや各種PR誌の編集業務などをする中、3...
エッシャーのだまし絵を音楽にすると……。
ECMのジャケットに、ジャズのディスクも含めて、アーティストの姿が写っているものはほとんどない。そこは他のレーベルと大きく異なるところだろう。音楽を聴く前に具体性やイメージを与えないためか、それとも逆に荒涼とした風景写真などを見せることによって「こんなイメージではどう?」という提案をしているのか。
しかしながら時には、ジャケットのヴィジュアルが音楽の可視化だと思えるものもある。ECMが早くから紹介したスティーヴ・ライヒの「18人の音楽家のための音楽」は、その好例だといえるだろう。微細に変化する幾何学模様が描かれたジャケットのデザインにより、ライヒの反復音楽(ミニマル・ミュージック)とはこういうものだということを簡潔に教えてくれているからだ。
ライヒの音楽は、クラシック~現代音楽のリスナーだけではなく、ロックやジャズ、クラブ・ミュージックなどのリスナーやダンス・パフォーマーなどに人気がある。東京でライヒのコンサートが行なわれると、客席には「許されるならクラブのようにスタンディングで踊りたい」という雰囲気の聴衆が集まるからだ。
「18人の音楽家のための音楽」は10のセクション(章)に分かれており、その前後に「パルス」という前奏/後奏のような音楽が付いている。とはいえクラシックの組曲風ではなくすべてがつながって演奏され、次のセクションへの移動はCGにおけるモーフィングのように、少しずつ形を変えながらいつの間にか移行しているという手法が使われているのだ(マウリッツ・エッシャーが描くだまし絵を例に出してもいい)。
ゆらゆらと続いていくその音楽はまるで中国の武術である太極拳のゆったりとした動きを思い出させるが、「スティーヴ・ライヒでのんびり踊ろう」というイヴェントが開催されても、まったく驚かないだろう。ちなみに僕は「18人の音楽家のための音楽」を流しながら、くらげのように踊るのが好きです。皆様はどうですか。
ピュアな祈りの心を音楽に込めた作曲家。
ジャケットにおいて最初に余計なイメージを与えないという意味においては、ECMが注目したことで世界的な作曲家となったアルヴォ・ペルトのディスクを挙げなくてはならない。多くの作品がECMからリリースされている中、そのジャケットはほとんどが文字のみで構成されたタイポグラフィである。中には白地に作曲家名と曲名、演奏者名だけというジャケもあり、かつてモルト・ウィスキーの広告にあった「なにも足さない。なにも引かない」というキャッチフレーズを思い出してしまう。
ペルトに注目が集まったのは、混迷する世情やストレスフルな日常から逃れるべく音楽(ニューエイジ・ミュージック)に注目が集まっていた1980年代。それが1990年代末になると「癒やし」というキーワードを取り込み、「ヒーリング・ミュージック」というジャンルがもてはやされたわけだが、ペルトの音楽もそういった文脈で取り上げられることがあった。
しかしながら彼の音楽は、安易な気持ちよさのみを狙った「癒やしの音楽」とは一線を画している。彼が生まれ育ったエストニアという国の教会音楽(聖歌)が、そのバックグラウンドにあったのだ。ペルトは静かな祈りの心を音楽に乗せ、最果ての地にある小さな教会の中で聴くような音楽を、私たちに届けてくれる。
それはまるで、ECMのヒット作だったチック・コリアの『ピアノ・ソロ』や、『ケルン・コンサート』に代表されるキース・ジャレットのピアノ・ソロ諸作と同様、瞑想的な雰囲気をかもし出しながら聴き手の心に寄り添ってくれるものだ。
ショスタコーヴィチ・ファン注目。
もう一枚、映画のワンシーンかと思うようなジャケット写真のディスクを。背中を向けて佇む男は、これからどういう行動を起こすのか。向こうに見える正教の教会(赤の広場にある聖ワシリー大聖堂のように思えるが)も含め、この男にはなにやらドラマティックなバックグラウンドが……。
このディスクはユダヤ系ポーランド人作曲家、ミェチスワフ・ヴァインベルクの室内交響曲集。ヴァインベルクはナチス・ドイツのユダヤ人排斥政策から逃れるために旧ソヴィエトへと亡命し、ドミトリー・ショスタコーヴィチと強い友情で結ばれた(曲調もややショスタコーヴィチに近い)。しかし、ソヴィエトにおいても反ユダヤの波に呑まれ、作品の一部は政府からの批判を受けて演奏禁止に。1996年まで生きたが、ソヴィエトの崩壊後も、その作品のクオリティに見合った評価が成されているとは言いがたい。
そうした彼の存在と音楽に光を当てたのは、アルヴォ・ペルトほか多くの作曲家をECMで紹介してきた、ヴァイオリニストのギドン・クレーメルだ。もしかすると雪の中に佇む男は、ヴァインベルクのヴィジュアル的メタファーなのだろうか。
なにか新しい音楽を、と常にサーチしているリスナーにとって、ECMとは、知らない土地の地図を次々に披露してくれるレーベルだ。近年は日本でもファンを増やしているウクライナ出身のヴァレンティン・シルヴェストロフや、『こうのとり、たちずさんで』『永遠と一日』といったテオ・アンゲロプロス監督の映画音楽を手掛けたギリシャのエレニ・カラインドルー、日本でも合唱のコンクールで歌われることが増えているエストニアのヴェリヨ・トルミスなども“ECM的佇まい”をもった音楽だといえるだろう。その地を散策し、お気に入りの名所を見つけるのはあなたの好奇心次第だ。
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