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2024.06.02
毎月第1土曜日 定期更新「林田直樹の今月のCDベスト3選」

北村朋幹のリスト「巡礼の年」全曲 独自のプログラミングで聴き手を深い思考へ誘う

林田直樹さんが、今月ぜひCDで聴きたい3枚をナビゲート。6月は、北村朋幹がリスト「巡礼の年全3年」に同時代および20世紀の作品を組み合わせた録音、フランスの鬼才、ルカ・ドゥバルグによるフォーレのピアノ独奏曲全集、ジャナンドレア・ノセダが、音楽監督をつとめるワシントン・ナショナル交響楽団と完成させたベートーヴェンの交響曲全集が選ばれました。

林田直樹
林田直樹 音楽之友社社外メディアコーディネーター/音楽ジャーナリスト・評論家

1963年埼玉県生まれ。慶應義塾大学文学部を卒業、音楽之友社で楽譜・書籍・月刊誌「音楽の友」「レコード芸術」の編集を経て独立。オペラ、バレエから現代音楽やクロスオーバ...

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DISC 1

リストの哲学的な本質が浮き彫りに

「リスト 巡礼の年 全3年」

北村朋幹(ピアノ)

収録曲
Disc 1
リスト: 巡礼の年 第1年「スイス」S.160
グリーグ: 抒情小曲集 より 4曲
  
Disc 2
ドビュッシー: 夜想曲
リスト: 巡礼の年 第2年「イタリア」S.161

Disc 3
ワーグナー/リスト: 「夕星の歌」(歌劇「タンホイザー」より)S.444
ノーノ: .....苦悩に満ちながらも晴朗な波...
リスト: 巡礼の年 第3年 S.163
[フォンテック FOCD9900]

古今東西のピアノ作品の中でも、フランツ・リスト(1813-86)の「巡礼の年」は、第1年「スイス」(9曲)、第2年「イタリア」(7曲)、当初「糸杉と棕櫚の葉々」というタイトルがつけられていたが無題となった第3年(7曲)からなる、最大級のスケールをもった作品集である。

その全曲をまとめて俯瞰するのみならず、リストと出会った同時代の作曲家たちからグリーグ「抒情小曲集」の4曲、ドビュッシー「夜想曲」、ワーグナー《夕星の歌》(リスト編)を、さらには20世紀イタリアの前衛作曲家ノーノの「……苦悩に満ちながらも晴朗な波…」を組み合わせることで、あたかも問いかけを発しているかのような構成がユニークである。

この3枚組の演奏にじっくりと耳を傾けていると、静寂の美しさに感じ入らずにはいられない。超絶技巧はリストの作品の中のある一面に過ぎず、聴き手を深い思考と瞑想へといざなう哲学的な本質こそが浮き彫りになる。

生前のポリーニが演奏した音素材を使用したノーノ作品では、まるでピアノが生き物のように心臓の鼓動を脈打ち、煌めくような光を放つ。こうした未来的な音楽をリストと対比させることの効果は計り知れない。

リストの人生の旅路を振り返り、周囲の人物や状況との関係を考察し、作品の核心へと案内してくれる北村自身による長文のライナーノーツも読みごたえがある。

いまこの時代に、演奏家がアルバムをCDでリリースするということには、どんな意味があるのか。ていねいに作り込まれた本作は、それに対するアーティスト側からの、ひとつの強い答えとも言えるだろう。

DISC 2

鬼才が解き明かす フォーレのピアノ曲、響きの秘密

「フォーレ:ピアノ独奏曲全集」

リュカ・ドゥバルグ(ピアノ)

Disc 1
3つの言葉のないロマンス Op.17
バラード嬰へ長調 Op.19
即興曲第1番変ホ長調 Op.25
舟歌第1番イ短調 Op.26
ヴァルス・カプリス イ長調 Op.30
即興曲第2番 Op.31
マズルカ変ロ長調 Op.32
3つの夜想曲 Op.33

Disc 2
即興曲第3番変イ長調 Op.34
夜想曲第4番変ホ長調 Op.36
夜想曲第5番変ロ長調 Op.37
ヴァルス・カプリス第2番変ニ長調 Op.38
舟歌第2番ト長調 Op.41
舟歌第3番変ト長調 Op.42
舟歌第4番変イ長調 Op.44
ヴァルス・カプリス変ト長調 Op.59
ヴァルス・カプリス変イ長調 Op.62
夜想曲第6番変ニ長調 Op.63

Disc 3
舟歌第5番嬰へ短調 Op.66
舟歌第6番変ホ長調 Op.70
主題と変奏 Op.73
夜想曲第7番嬰ハ短調 Op.74
8つの小品 Op.84
舟歌第7番ニ短調 Op.90
即興曲変ニ長調 Op.91
舟歌第8番変ニ長調 Op.96
夜想曲第9番ロ短調 Op.97

Disc 4
夜想曲第10番ホ短調 Op.99
舟歌第9番イ短調 Op.101
即興曲第5番嬰へ短調 Op.102
9つの前奏曲 Op.103
2つの小品 Op.104
舟歌第11番ト短調 Op.105
舟歌第12番変ホ長調 Op.106
夜想曲第12番ホ短調 Op.107
舟歌第13番ハ長調 Op.116
夜想曲第13番ロ短調 Op.119
[ソニーミュージック SICC-30841~30844]

今年没後100年を迎えたフランス近代の作曲家ガブリエル・フォーレ(1845-1924)のピアノ曲を、作品番号順にすべて演奏した4枚組CDがリリースされた。

もっとも人気の高い夜想曲のみならず、無言歌、バラード、即興曲、舟歌、ヴァルス・カプリスも全曲、さらには「主題と変奏Op.73」「8つの小品Op.84」など、フォーレが生前心血を注いだピアノ曲の数々を、時代順に聴くことができる。

1990年生まれのフランスのピアニスト、リュカ・ドゥバルグは、文学、絵画、映画やジャズに関して造詣が深く、即興演奏も得意としている。2016年にギドン・クレーメルがデュオのパートナーとして日本に連れてきた際には、その個性的な演奏が話題になった。以来、世界が注目する鬼才ピアニストとして頭角を現し、ソニーからは室内楽を含めすでに6枚のアルバムをリリースしている。

このレコーディングでは、ステファン・ポレロ社の102鍵を備えた革新的なコンサート・グランドピアノが使用されている。その特徴は、ゆとりをもって明瞭に響くということだろう。そのおかげで、フォーレの音楽における詩的で曖昧模糊とした響きの秘密が解き明かされるような効果がある。

演奏は後期にいくにしたがって、充実の度を増していく。とりわけ、最晩年の隠れた名作「9つの前奏曲Op.103」における闇に沈んでいくような思い、ギラリと光るような情熱、ほのかな慰めのような光――全曲演奏のクライマックスのひとつがここにある。

マラルメやプルーストの文学、ジャンケレヴィッチの哲学などにも触れたドゥバルグの長文の解説は、フォーレのピアノ音楽へのまたとないガイドとなっている。

DISC 3

たたみかけるようなリズム、現代人にとってのベートーヴェン

「ベートーヴェン:交響曲全集」

ジャナンドレア・ノセダ(指揮)、ワシントン・ナショナル交響楽団、カミラ・ティリング(ソプラノ)、ケリー・オコーナー(メゾソプラノ)、イサハ・サベージ(テノール)、ライアン・マッキニー(バス・バリトン)、ワシントン合唱団(合唱指揮:ユージン・ロジャース)

[収録曲]
Disc 1 (SACD Hybrid)
・交響曲 第1番 ハ長調 op.21
・交響曲 第3番 変ホ長調 op.55《英雄》
Disc 2 (SACD Hybrid)
・交響曲 第2番 ニ長調 op.36
・交響曲 第7番 イ長調 op.92
Disc 3 (SACD Hybrid)
・交響曲 第4番 変ロ長調 op.60
・交響曲 第5番 ハ短調 op.67
Disc 4 (SACD Hybrid)
・交響曲 第6番 ヘ長調 op.68《田園》
・交響曲 第8番 ヘ長調 op.93
Disc 5 (SACD Hybrid)
・交響曲 第9番 ニ短調 op.125《合唱》
Disc 6 (Blu-Ray/ pure audio/5.0 DTS-HD MA 24bit/192kHz 2.0 DTS-HD MA 24bit/192kHz Dolby Atmos)
・交響曲 第1,2,3,4,5,6番
Disc 7 (Blu-Ray/ pure audio/ 5.0 DTS-HD MA 24bit/192kHz 2.0 DTS-HD MA 24bit/192kHz Dolby Atmos)
・交響曲 第7,8,9番
+交響曲 第9番(収録:2023年6月3日)の映像
[キングインターナショナル KKC-6795]

いま改めてベートーヴェンの交響曲全曲演奏を行なう意味があるとしたら、それは一体何なのか?

1964年ミラノ生まれの指揮者ジャナンドレア・ノセダが、2016年から音楽監督をつとめるワシントン・ナショナル交響楽団を指揮したこの全集は、“現代人にとってのベートーヴェン”を突き詰めた内容といえそうだ。

たとえば、《運命》のニックネームで親しまれる第5番第1楽章の冒頭の“ジャジャジャジャーン”のフェルマータ*をこんなに極度に短く切る、きびきびした演奏があっただろうか? 第7番第1楽章の序奏から主部に移り、全合奏で第1主題に入るところも、溜めを作らずに一気になだれ込む。

*フェルマータ:音を長くのばし、拍子の運動を一時停止させる指示

昔ながらの重々しい、ロマンティックな演奏に慣れた人にはドライすぎると感じられるかもしれないが、このたたみかけるような気迫あるリズムには、まるで別の曲のような説得力がある。古楽系とは異なるやり方で、フルトヴェングラーやカラヤンの亡霊から自由になった演奏と言えるのではないだろうか。

ジャケットデザインは、「セサミ・ストリート」の放送作家・アニメーターで、絵本作家としても著名なモー・ウィレムズによる図形的な抽象絵画を用いている。これらはベートーヴェンの一つひとつの交響曲との対話の成果であり、観る者をまったく新しい視点へといざなってくれる。暗い過去に引きずられず、前へ前へと進むエネルギーを与えてくれる新しいベートーヴェン像が、確かにここには提示されている。

林田直樹
林田直樹 音楽之友社社外メディアコーディネーター/音楽ジャーナリスト・評論家

1963年埼玉県生まれ。慶應義塾大学文学部を卒業、音楽之友社で楽譜・書籍・月刊誌「音楽の友」「レコード芸術」の編集を経て独立。オペラ、バレエから現代音楽やクロスオーバ...

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