日めくりオントモ語録/吉松隆
「神をすら殺してしまった時代」に神を称え、
「調性を解体してしまった時代」に歌を歌い、
「自然を破壊してしまった時代」に鳥と戯れた
ひとりの音楽家、ここに眠る。
―― 吉松隆「音楽の友」1992年7月号より
1992年4月27日に亡くなったフランスの作曲家、オリヴィエ・メシアン追悼特別記事の「オリヴィエ・メシアン 生涯と作品と」の中から。
この文章には「墓碑銘」という見出しがついているが、実際のメシアンの墓があるサン・テオフレの墓碑には文書ではなく楽譜が刻まれているため、これは吉松隆のメシアンへのオマージュということだろうか。吉松は文章中、メシアンを「音楽を通じて20世紀という時代における人間性を称えた、まさに最後の巨匠の世代のひとり」と称賛している。
吉松隆:『朱鷺によせる哀歌』作品12
1953年(昭和28年)東京生まれ。作曲家。
慶應義塾大学工学部を中退後、一時松村禎三に師事したほかはロックやジャズのグループに参加しながら独学で作曲を学ぶ。
1981年に「朱鷺によせる哀歌」でデビュー。以後、現代のクラシック系音楽創作界(いわゆる「現代音楽」)の非音楽的な傾向に異を唱え、調性やメロディを全面的に復活させた独自かつ異端の路線を貫き、作曲活動を展開する。
作品は、交響曲6曲や協奏曲10曲を始めとするオーケストラ作品を中心に、〈鳥のシリーズ〉などの室内楽作品、〈プレイアデス舞曲集〉などのピアノ作品のほか、ギター作品、邦楽作品、舞台作品など多数。
1998年からはイギリスのシャンドス(Chandos)とレジデント・コンポーザーの契約を結び全7枚に及ぶオーケストラ作品集を録音。また、プログレッシヴ・ロックの名作「タルカス」のオーケストラアレンジ、NHK大河ドラマ「平清盛」の音楽なども担当。クラシックというジャンルを越えた幅広いファンの支持を得ている。
1908年12月10日、翻訳家であった父ピエール・メシアンと、詩人の母セシル・ソヴァージュの長男としてフランスのアヴィニョンに生まれた。早くから音楽の才能を示し、11歳でパリ音楽院に入学を許され、マルセル・デュプレにオルガン、モーリス・エマニュエルに音楽史、ポール・デュカスに作曲を学び、輝かしい成績とともに5つのプルミエ・プリが授与される。1931年、パリの聖トリニテ教会の首席オルガニストに任命され、最期までその職務を果す。パリ・エコル・ノルマル音楽院、ついでスコラ・カントルムで教鞭をとり、捕虜収容所から解放された1941年、パリ音楽院の教授に迎えられ、1978年まで世界中から集まった若い作曲家たちの多くを育成。1967年フランス学士院会員となる。1922年4月27日、パリで没す
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