キャロル誕生の背景とは?〜「きよしこの夜」などドイツ珠玉のクリスマスソングの歴史
オーストリア文化史の専門家・山之内克子さんによる新連載がスタート! 音楽にまつわるエピソードから、世界史の1シーンを見ていきます。
第1回は、クリスマスキャロル誕生の歴史的背景を紹介します。ユネスコ世界無形文化遺産にも登録されている「きよしこの夜」をはじめ、名曲たちが次々に登場!
神戸市外国語大学教授。オーストリア、ウィーン社会文化史を研究、著書に『ウィーン–ブルジョアの時代から世紀末へ』(講談社)、『啓蒙都市ウィーン』(山川出版社)、『ハプス...
11月初旬を過ぎると、きらびやかなイルミネーションが煌々と灯され、ありとあらゆるクリスマスソングが街頭を彩る時季がやってくる。14世紀に起源をもつ聖歌にはじまって、20世紀のヒット曲ランキングから躍り出たソウルやヒップポップミュージックにいたるまで、いまや「クリスマスソング」の範疇は時代とともに広がるばかりだ。
それでもなお、クリスマスの音楽は、その独特のメロディと雰囲気によって、私たち日本人を含め、聴くものの心に深く沁みわたり、聖なる時期の到来、そして何より新旧の歳の去来を感じさせるのである。これらの音楽は、どのような背景のもとに生まれ、受容され、また、各地へと広く伝播したのだろうか。ドイツ語圏を中心にクリスマスキャロルの名曲とともにその歴史をたどり、各々の時代、キャロルを歌い続けた人びとの生活や精神を点描してみたい。
マルティン・ルターとドイツ・キャロルの誕生
ドイツにおけるクリスマスキャロルの歴史は古く、史料によれば、すでに14世紀には、クリスマスイブの深夜ミサの締めくくりとして、司祭、あるいは教会付属の合唱団によって披露されていたといわれている。ただし、これらの歌唱はあくまで厳格なカトリック教会儀式の一部として扱われたため、難解なラテン語による聖歌を、信者の人びとが聖職者らとともに斉唱する習慣はみられなかった。
このような聖歌歌唱のあり方に大きな一石を投じたのは、まさしくドイツ宗教改革運動をリードしたマルティン・ルター(1483〜1546)であった。当時、カトリック教会は内部腐敗と金権主義に陥り、聖職者らがこぞって「いま買えば死後にすべての罪が赦される」と称した「免罪符(贖宥状)」を大量に売りさばこうとしていた。ルターがこれにたいして、自身の破門と国外追放の危機をも顧みることなく激烈な批判をぶつけ、新しいキリスト教と、より純粋な信仰のあり方を追求したことは、誰もが知るところであろう。
(1483~1546)
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