読みもの
2024.10.07
知識ゼロからわかる! インターネットと音楽についての法律相談室#8

ネットによる名誉棄損と デジタル時代の「表現の自由」

YouTube、SNS、ブログなどで自由に表現ができるようになった昨今。それに伴い、著作権への関心も高まっています。本連載では、インターネットと音楽についての著作権や関連する法律についての初心者向けの基礎知識を、アート関連のリーガルスペシャリストが集まった骨董通り法律事務所の弁護士・橋本阿友子さんに教えていただきます。
今回は、ネット上の誹謗中傷について。リスクを晒して表現をするパフォーマーを、法律の力でどこまで守ることができるのでしょうか?

取材・文
林田直樹
取材・文
林田直樹 音楽之友社社外メディアコーディネーター/音楽ジャーナリスト・評論家

1963年埼玉県生まれ。慶應義塾大学文学部を卒業、音楽之友社で楽譜・書籍・月刊誌「音楽の友」「レコード芸術」の編集を経て独立。オペラ、バレエから現代音楽やクロスオーバ...

お話を伺った弁護士・橋本阿友子さん
撮影:松谷靖之

この記事をシェアする
Twiter
Facebook

表現の自由はおろそかにできない強い権利

続きを読む

――不祥事は誰もが起こす可能性があるし、誰もが間違えます。どんな人でも会社でも、犯罪とまではいかなくても、何か恥ずかしい過去を抱えているものだと思うのです。それがたまたまネット上に出てしまって、消えずにいつまでも残っているために苦しんでいる人もいる。

橋本 まず、誹謗中傷する側の、表現の自由を考慮しなければならないのですね。違法性のハードルが高いのは、実は、表現の自由が根底にあるからなのです。表現の自由は、憲法が定めている権利の中でも、いちばん重要とされている権利のひとつです。

ですから、そもそもそのような投稿は表現として保護されないとか、投稿者の表現よりも投稿された側の名誉権の方が重要だということを積極的に言っていかないといけない。

表現の自由に関連して、ネット上ではいわゆる海賊版の問題もあります。何年か前に、「漫画村」で著作物を勝手に使われる被害があって、ブロッキングという議論が出た。ブロッキングとは、悪質なサイトへのアクセスを遮断して、そもそも閲覧できないようにする仕組みです。そのときも表現の自由との関係で、議論が大荒れしました。

――誹謗中傷も著作権侵害も、表現の自由の問題がかかわってくると複雑になってしまうのですね。

妙な正義感に基づいて、誰かを成敗するような感覚でネット上に攻撃的なことを書いたり、すでに弱っている人を寄ってたかって叩くようなことも、表現の自由で守られていると思っている人もたくさんいるような気がします。

橋本阿友子(弁護士・骨董通り法律事務所)
京都大学法学部卒業、京都大学法科大学院修了。マックス・プランク知的財産研究所(Max-Planck-Institut für Innovation und Wettbewerb)客員研究員(2023年)。ベーカー&マッケンジー法律事務所を経て、2017年3月より骨董通り法律事務所に加入。東京藝術大学・神戸大学大学院非常勤講師。上野学園大学器楽コース(ピアノ専攻)に編入し、2022年3月に芸術学士を取得した後、ドイツ留学中に、エコールノルマル音楽院にて研鑽を積む。国内外のピアノコンクール受賞歴を持つ自身の音楽経験を活かし、音楽著作権を中心に、幅広いリーガルアドバイスを提供している。エンタテインメントに関する法律問題について、骨董通り法律事務所のウェブサイトにおいて、随時コラムを公開している。
https://www.kottolaw.com/attorneys.html

キーワードは「受忍限度」

――名誉毀損に当たるかどうかは、明確な線引きというか、なにか判断の基準はあるのですか。

橋本 我々は、裁判所がどの程度まで言っているかという判例を見ます。違法性のレベルが高かったとしても、裁判所によって見解が分かれる場合があるので、明確な線引きは難しいと思います。

――毀損されたと本人が思うかどうかが大きなポイントなのでしょうが。

橋本 いいえ、名誉棄損は、人格的価値について社会から受ける客観的評価を低下させることとされているので、本人がそう思ったとしても、裁判所に名誉毀損だと認められない場合もあります。

名誉棄損したといえるためには、事実が摘示されている必要があるため、たとえば、「死ね」と言われたり、「バカ」と言われたりしても、それだけでは名誉棄損が認められないと考えられます。もっとも、「●●をしたバカ」といった具体的な事実とともに使用された場合や、「死ね」という言葉を呪詛のように短期間に繰り返し書かれたりすると、名誉棄損が認められる可能性もあります。

主観が問題となるのは、名誉感情侵害ですね。名誉毀損は、そのほかにも「公然と」行なわれることが要件だったり、認められるためのハードルは低くないですが、主観的に精神的苦痛を受けたということを理由に、名誉感情を侵害されたという主張ができる場合があります。いわゆる「侮辱された」という主張です。

――私は野球が好きで、阪神タイガースのファンなのですが、試合に負けてくると、もう選手に対する誹謗中傷の嵐で、X上でもすごいことになる。選手や監督に対する、目を覆いたくなるほど汚い言葉がバーッと出るのです。オリンピックでもそうですが、スポーツ観戦にはそういうところがあるじゃないですか。

ひいきのチームが何かすごいミスをして、負けそうになったら腹が立つのは当たり前なのですが、それがいまはネット上で全部可視化される。それはもう、誹謗の仕方が「バカ」といったレベルではありません。実際にチームが負けたわけだから、表現の自由なのかもしれないですけれど……。

橋本 名誉感情侵害については「受忍限度」という言葉があります。忍耐の限度を超えると違法と言われる。

でも、どの程度で「受忍限度」を超えるのかを見極めるのは難しく、裁判所でも判断の分かれるところです。

ただ、名誉棄損にしても名誉感情侵害にしても、何が名誉で何が侮辱かについては、法律にはどこにも書いていない。ですから結局、今まで裁判所がどう言っているかを調べて、だいたいの予測をつけます。その結果、これは違法とまでは認められないということもある。

――スポーツにせよ音楽にせよ、リスクを晒して自分で何かを表現したり競技をしたりしているパフォーマーに対して、SNSなどで、傷つくような言葉が可視化されることに苦しんでいる人は、実はたくさんいます。それを法律の力でなんとかできないかとも思いますが。

橋本 法律は、違法なものから守るというものなので、そのレベルに行かないものは、法律が出てこられないのです。本当に倫理の問題、あるいは教育の問題なのかもしれません。

そういう批判というものは、その人の価値観であって、別に世間の価値観ではないから気にするなということでしょうか。実際に名指しされて誹謗中傷されると、傷つくのは事実なのですが……。

――韓国では自殺者が出るレベルにまで、意見論評のようなものがSNSの誹謗中傷へと発展し、ネガティブな言葉の集積になって、表舞台に立っている人を追い詰めることがある。それは他人事ではないし、日本でもそういうことはいつ起きてもおかしくないと思います。

橋本 言葉の暴力も、本当の暴力と同じレベルで、かなりインパクトの強いものなので、加害者にならないようにするという目線では、SNSに投稿する人も、当たり前のことかもしれないのですが、今一度、自分が同じことを書かれたらどう思うかという基準を持った方がいいでしょうね。

日本は損害額が低すぎる

――名誉毀損ということで、もし裁判で勝って、賠償金が取れるとなったときは、どれくらい取れるものなのですか?

橋本 皆さんが思っているよりかなり低い金額かもしれません。個人の名誉棄損については、もちろん違法の程度やSNSだと投稿数によりますが、数十万といった金額でしょうか。日本はあまりにも損害額が低すぎる。しかも、弁護士に頼んで費用がかかっていても、名誉棄損についても使われる不法行為という法律構成で、裁判所が認める損害としての弁護士費用は、通常、損害額の1割なのです。私はずっとそれが問題だと思っています。

裁判に勝てばもちろん、被害が収まるケースが多いですし、意味はあるのですが、その費用を全部回収できるとは限らないのが現状です。

――どちらかというと、どんな人物なのかが特定できて、彼らに非を認めさせること自体の効果の方が大きいということですか。

橋本 そうですね。たとえば判決は出なくても、裁判所が主導で和解を成立させるケースがあります。和解の中で加害者に謝罪させることはできるので、それで少し気持ち的には収まる場合もあるのではないかと思います。

取材・文
林田直樹
取材・文
林田直樹 音楽之友社社外メディアコーディネーター/音楽ジャーナリスト・評論家

1963年埼玉県生まれ。慶應義塾大学文学部を卒業、音楽之友社で楽譜・書籍・月刊誌「音楽の友」「レコード芸術」の編集を経て独立。オペラ、バレエから現代音楽やクロスオーバ...

ONTOMOの更新情報を1~2週間に1度まとめてお知らせします!

更新情報をSNSでチェック
ページのトップへ