紛争と音楽——ピアニスト、マリー・アンジュ=グッチとダン・タイ・ソンへの取材から
大学院でインドのスラムの自立支援プロジェクトを研究。その後、2005年からピアノ専門誌の編集者として国内外でピアニストの取材を行なう。2011年よりフリーランスで活動...
先日スタートした、ソプラノの田中彩子さんの対談連載。
第1回のゲストは、紛争調停官の島田久仁彦さんでした。私はこの記事をまとめる係をつとめたのですが、話を聞くにつけ、紛争調停官とはなんという責任重大な仕事なのだろうと……。
自分の身の安全もかかっていますが、交渉中の判断によって、紛争の行方、たくさんの人の命や運命が変わるかもしれない。想像するだけで胃がキリキリしてきます。
それに比べると小さい話ではありますが、私自身、学生時代にインドのスラムの支援プロジェクトの研究をしていたとき、現地で会ったフランス人に、「そんなリサーチなんて時間の無駄じゃない?さっさと行動を起こせよ。失敗したっていいじゃないか」といわれたときのことを思い出しました。
私は、「失敗が彼らの生活をダメにしたり、コミュニティを崩壊させたりするかもしんないのよ。失敗が自分だけに返ることじゃないから、入念にリサーチしないと動きだせない」と反論。しかし、向こうも「そんなこと言ってると、いつまでも何もできないぞ!」と一歩も引かず、まあまあの喧嘩になった記憶(でも今思えば、彼が正しかったのかもしれない)。
やらないで後悔するより、やって後悔するほうがいいのでは、というのは、人生において何度もあらわれる問いですね。
さて、今回原稿をまとめながら思い出したことが、他にもあります。
一つは、子ども時代にコソボ紛争を経験している、1997年アルバニア生まれのピアニスト、マリー・アンジュ=グッチさんの話です。
マリー・アンジュ=グッチさんのTOPトラック
音楽好きの家に生まれた彼女は、いつ襲撃されるかわからない緊張感に満ちた生活の中、ピアノを弾く間だけは現実を忘れることができたと話していました。結果、仕事として音楽家を目指すという意識すらなく、ただひたすらに音楽が人生の一部となって、それが今も続いているのだと話していました。
プロを目指そうとする人の多くが直面するであろう、自分が音楽をする意味とはなにか? という問いも、そもそも浮かぶことすらない。迷いのかけらもないわけです。
すごい。ただ、厳しい芸術の道を進むことへの確信の源が「紛争」であるというのは、どこか辛い気もします。
一方で、ある意味まったく逆のことをおっしゃっていたのが、ベトナム戦争中の1958年に生まれたダン・タイ・ソンさんです。
1980年にショパン国際ピアノコンクールで優勝したダン・タイ・ソンさんのショパン『夜想曲集』(1849年製エラールのピアノで演奏)
疎開先のボロボロのピアノでも、弾いている時間は楽しかったというソンさんに、「その間は戦争のことを忘れられたのですか?」と聞くと、「あー、そんなことは考えたことすらなかったなぁ」とのこと。
当時のベトナム人にとっては、とにかく戦争が日常だったから、戦時下の状況に対して辛いという認識すらなかった。平和な状態という、比較対象がなかったから。そのせいか、疎開先でも子どもたちはよく笑っていた。
……そうおっしゃっていたのです。
戦争が日常であるという感覚のすさまじさ。そして、戦時下の暮らしにも笑いはあるという話からは、人間の強さ、加えて、「こことそこは別世界ではない」ということを思ってしまいました。
関連する記事
ランキング
- Daily
- Monthly
関連する記事
ランキング
- Daily
- Monthly