感無量
東京都出身。桐朋女子高等学校音楽科を卒業後、マルセイユ国立音楽院に入学。パリ国立高等音楽院ピアノ科を卒業。ピアノは中島和彦、ピエール・バルビゼ、ジャック・ルヴィエ各氏...
tout ému
トゥテミュ
感無量
「エモい」という表記をSNSやネット記事で見かけた。語学屋として、こういう妙な語彙は気になる。エモーショナルという英語から派生した表現だろう。私感だが、外来語に日本語の形容詞の活用を合体させての使用は、よほどセンスがよくないかぎり、すぐダサくなる。私は使わない。が、そういう「ダサ語彙」がどう生まれ、どんな人たちに使われて流行っていくのか、いつか辞書に掲載されるようになるか、消費され尽くしてどう廃れていくか。観察することは面白そうだ。
話は少し飛ぶ。ピアノ師匠のひとり、ブルーノ・リグットは、あるときショパンのポロネーズの楽譜に記載されたhéroïque(エロイック)という指示を指差し、「ショパンの時代の英雄的という言葉の重さと、いまどきのフランスの若者がこの言葉を見て思い浮かべるイメージの違いがまずあって、さらにそれを東の最果てからきたこの女子がどう解釈するか」と言った。ポエジーと情景と香りと触感、といった具合に五感を関連づけて楽曲演奏を教えるリグットのレッスンは言葉の使い方があまりに面白く、いま思うと私が翻訳(文芸)に興味を持つきっかけはあのレッスンの日々にあるのかもしれない。
ショパン: 《英雄ポロネーズ》op.53
ブルーノ・リグット(ピアノ)
書いていて思うが、エモいという表記が生まれるにいたった背景(がもしあるとすれば)は、ショパンが楽譜に「雄々しく、伝説の英雄のように、大胆に、勇壮に」という意味の単語héroïqueを書きいれたのと、少し似た必然性があってのことかもしれない。時代に応じての感動という言い方もできる。
とはいえ、クラシック音楽を教える現場ということでいうなら、「感動的」に弾けというメソッドや言葉遣いはとっくに消費され尽くしたのか、フランス語でplus émouvant (プリュ・エムヴァン/もっと感動的に)という指示をレッスン室で耳にした記憶はあまりない。時代による「教え方」の変遷なのかもしれない。自分が学生だった時代と比べると、そこはもっと歌いなさい、と楽器のレッスンで言うかわりに、もっと聴きなさい、という指示が当たり前になってきた。
フランスの書店では新刊書の帯に、よくBouleversant(ブルヴェルサン)やTouchant(トゥシャン)、Émouvant といった大きなフォントのコピーが躍る。「心を揺さぶられる」「染みる」「感動的」といった表現が市場で好まれるのは、どこの国でも共通しているということだ。ただし音(音楽)の表現についてコトバで適確に説明する、という「レッスンの現場」から文字の翻訳世界にジャンプした人間からすると、なんにせよ、どこまで言語化するか、どこからはコトバにしないか、そこが大切かとも考える。
面白かったのが、去年、浦安音楽ホールでカナダ出身のチェリスト、ジャン=ギアン・ケラスのワークショップを通訳したときのこと。ケラスがアマチュア・チェロ・アンサンブルとクレンゲルの「讃歌」を稽古したのだ。舞台からはみ出しそうなチェリストたちの間をケラスが縫うようにして、一人ずつの音程を確認して、演奏が始まると「そこはもっと!」と声をかけた。が、あるところからさき、スイングして! という単語だけで、あとは各奏者のタイミングや息づかいに応じて「スイ~ング!」と合いの手を入れるだけになった。不思議なことに、通訳も含めて全員、その声の裏に「切れよく」「やわらかく」「もっとインパクト」などという指示が伝えられた、ような気がしたのだ。
それ以来、レッスンのときに「あーあー」とか「うーうー」と言うだけで、本質的なことが伝わってしまうこともあるんです、と、たまに私は言っているが、あの場にいなかったひとは「まさかそんな」と必ず言って、なかなか信じてもらえない。
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