「先生、歌いたいです」。ウィズコロナの歌唱を諦めないためにできること
「学校の新しい生活様式」が示され、音楽の授業は大きな変化を求められています。とりわけ、歌唱活動は「感染症対策を講じてもなお感染のリスクが高い学習活動」として、多くの制限の中での活動を余儀なくされています。授業だけでなく、学校行事とも深く結びついてきた歌唱。「教育音楽」2020年9月号では、そんなウィズコロナの歌唱指導を探りました。その中から、名古屋市立志賀中学校の山本高栄教諭の実践をご紹介します。
全国の音楽の先生に役立つ誌面をつくるため、個性あふれる先生、魅力的な授業、ステキな部活……音楽教育の現場を日々取材しています。〔音楽指導ブック〕〔教育音楽ハンドブック...
強烈な通知……現場に出来たことは何か?
名古屋市教育委員会は「教育活動再開後の対応について」という伝達を、2回に渡って通知しました。
5月下旬に出された最初の通知には、「歌唱指導においては、範唱CDを聴いて曲想を捉え、どのように歌うとよいか考える場面を設ける。また、範唱CDを聴いて心の中で歌わせたり、ハミングさせたりする活動を取り入れる」というように、音楽科の教育活動には相当な制限がかかりました。また、7月上旬に出された2回目の通知では、「音楽室等の教室でマスクなしで歌を歌う場合には、《前後2mの距離を確保し、個人や少人数で歌う》、《声量を控えめに歌う》、《向き合わずに歌う》、《換気を確実に行う》などの配慮をして行う」などといった、全日本合唱連盟から提示されたガイドラインを踏襲したような条件がいくつか加えられました。しかし本当の問題は、この通知の後に私たちが何をやるか、ということではなく、教育活動再開前にどんな準備をしていたか、という点にあったように思います。
これを機に、たくさんの先生方が鑑賞教材や創作教材に取り組まれ、数々の実践を行っていらっしゃることは賞賛されるべきことです。しかし、「うちの学校は合唱コンクールが存続したから、そろそろ歌わせようかな?」や「コロナで学校行事が削減されたから、歌唱をやめて鑑賞をしよう!」という考えは、僕は少し違うかと思います。われわれ音楽教師は、今まで歌唱活動を通して、生徒に何を伝えたかったのか。歌唱を器楽に置き換えてでも同じことが言えます。行事が削減されたから、感染者を出すのがただ怖いから、音楽の授業を改善する……それだけでいいのでしょうか。
先生たちも怖い、生徒たちや保護者はもっと怖い
「うちの子が山本先生に歌わされました……」という電話が、学校再開から数日後、学校へかかって来ました。これには本当に応えました。家で、おうちの人に不安を漏らしたのでしょう。十数年間教師をやってきて、初めての内容でした。もちろん、出来得る限りの最大限の対策をして、授業に臨んだつもりでしたが、3カ月の休校生活は生徒たちの心を私たちが思っていた以上に蝕んでいました。とにかく音を発することが怖い。一方で、「先生、歌いたいです。座ってずっとマスクして黙っているのイヤです」と音楽室に駆け込んでくる生徒もいました。僕は、この両方の生徒が存在する学校の教室の中で、どちらの生徒にも安心・安全が保証される授業を組み直そうと奮起しました。
全国津々浦々の音楽大学(特筆して愛知県立芸術大学)や合唱団、他校の先生方の取り組みを調べ上げ、安全のために音楽室で利用できそうなものはことごとく試しました。また、独自のガイドラインを作成し、管理職に確認をいただき、「音楽の授業は、今苦境に立たされているけど、頑張って」と、励ましの言葉もいただきました。
音楽室入口の消毒ポンプはもちろん、アルボ-ス消毒液による手洗いやうがいの徹底。入室時はマスク装着。再開直後はフェイスシールドをして練習していましたが、お医者さんに相談した際に、熱中症の危険を指摘されたため、今は合唱用マスク(制作:株式会社奥山)に移行しました。
また、人数の少ない部屋や換気を徹底した部屋では、マスクを外して練習をしています。送風機や扇風機を回し、淀んだ空気が一瞬たりとも部屋の中に漂わないように心掛けています。国内外の科学実験結果などを鑑み、多方向から知見を得ながら、常に対策をアップデートすることが必要だと考えています(これは通常の授業だけでなく、合唱部の活動にも当てはまります)。
対策をとればとるほど出てくる、さまざまな課題
マスクを着用しての授業は、生徒の声が聞き取りにくいし表情が掴みにくい。教師から生徒へも同じ現象が起きます。特に、コンビニのレジに設置されているような対面シールドでは、生徒の顔が明瞭に確認できなかったり、声が遠かったり、苦労しました。慣れるとなんてことないのですが……。今は写真のようにマイクを利用し、生徒と向かい合うときは距離を取るようにしています(もともと声が大きいので必要ありませんという生徒も……笑)。アルコール消毒が苦手な生徒には、手洗いの推奨。アレルギーのある生徒への配慮も必要です。
何より一番大切にしていることは、マスクをしていてもしなくても、「歌唱を強制、強調しない」こと。この状況の中で不安に包まれているのは、皆同じ。一律に同じことなんて不可能です。このことをきちんと生徒に伝えてからは、安心して授業を受ける生徒が増えたように感じます。
ハミングマスターになろう‼
マスクを着けての歌唱に取り組むにあたり、「ハミング」にスポットを当て、授業を行いしました。いつも何気なく歌っている鼻歌が、鼻腔をどのように響かせているのか、こんな時にしか出来ない「響き」に特化した授業です。ハミングで音を定めることは案外難しく、教師側の説明やメソードも必要になります。慣れてきたら発展編として、ハミングから母音への移行を練習します。これらは全て飛沫を伴いませんので、安心して取り組むことができます。
空気の流れを可視化して体感する
合唱部の生徒とともに、エアロゾル(呼気や飛沫に含まれる粒子が空気中を漂う現象)の簡易実験を行いました。目に見えない空気の流れを、線香の煙を用い、生徒に「可視化」させます。
実験では、音楽室の環境を3段階(①窓を締め切った状態、②窓を開け換気をした状態、③窓を開け扇風機を利用した状態)に分け、音楽室に流れる空気の流れを体感します。
生徒の反応として、①では「煙が充満する」「体にまとわりついてなかなか離れない」といった意見。②では「窓の方に煙が流れ始めた」「①よりは煙が見えにくくなった」という意見。③では「煙がほとんど見えない、残らない」「線香を焚いているのも分からないくらい」といった意見が挙がりました。いくら換気や手洗い、消毒を指導しても、それらがなぜ大切なのか、本質を理解している生徒は少ないのではないでしょうか。こういった試みを通し、生徒たちは自然と安全意識を高めることができているように思います。
一番大切なものは「命」、その次は……?
教育現場で最も優先されることは、生徒の命、安心・安全です。誰も感染者は出したくありません。
では、それがイコール歌わないこと、演奏しないことなのでしょうか。上からの指示を待って、それを粛々と進めていけば安心でしょうか。その指示自体のファクトチェックはどうでしょうか。あれもこれも駄目、と多感な中学生の心から、音楽という名の栄養を奪っていいのでしょうか?
――私たちは何のために音楽の先生になったのでしょうか。
混沌とした世界の中で、僕は、歌唱活動の力を信じます。だから、学校再開時から、あらゆる手段で歌ってきました。一歩進んで、二歩も三歩も下がるような日々、「時期尚早なのではないか」とお叱りを受けたこともありました。未曾有の事態に何が正しいか未だに分かりませんが、苦しい今、このときこそ、「くちびるに歌を、心に太陽を」。休校明けに久しぶりに聴いた生徒の歌声は、自粛という無言の圧力から、鬱屈した心を解き放ってくれたのです。
合唱指揮者の辻 秀幸先生が「自分が自分らしく生きていく上で合唱活動は必要か否か」「徐々に動き出す合唱団を、どうか否定せずに観ててください」とおっしゃっていました。正にその通り!
希望を失わず、歌唱をあきらめない。音楽をあきらめない。この世界を生きる先生方の逞しい背中を、生徒はきっと見つめています。(7月時点)
——「教育音楽 中学・高校版」2020年9月号特集「ウィズコロナの歌唱指導を探る」より/山本高栄(愛知県名古屋市立志賀中学校教諭)
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