読みもの
2024.06.15
大作曲家たちのときめく(?)恋文 4通目

モーツァルトが失意の演奏旅行中に奥さんに書いた手紙「最愛の、そして最高の妻よ、元気でね。健康にはちゃんと気をつけるんだよ」

大作曲家たちも、恋に落ち、その想いを時にはロマンティックに、時には赤裸々に語ってしまいました。手紙の中から恋愛を語っている箇所を紹介する、作曲家にとってはちょっと恥ずかしい連載。
第4回は、前回の罵詈雑言から汚名返上(?)すべく、モーツァルトが妻のコンスタンツェに書いた純愛な手紙を紹介します。

大井駿
大井駿 指揮者・ピアニスト・古楽器奏者

1993年生まれ、東京都出身。2022年、第1回ひろしま国際指揮者コンクール(旧:次世代指揮者コンクール)優勝。パリ地方音楽院ピアノ科、ミュンヘン国立音楽演劇大学古楽...

イラスト:ながれだあかね

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前の手紙を書いていたとき、手紙の上にぽろぽろと涙が落ちてきたんだ。でも今は、なぜか楽しくなってきた……ほら、捕まえろ……びっくりするくらいたくさんの小さなキスたちが、そこら中に飛び回ってやがる……なんてこった……見える、僕にはたくさん見えるぞ……ハハッ!! よっしゃあ! ……3つも捕まえてやったぞ……なんて豪華なんだ!(略)最愛の、そして最高の妻よ、元気でね。健康にはちゃんと気をつけるんだよ。そして、危ないから街ではあまりフラフラ歩かないでね。1000000回のキスを。

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1790年10月17日、マインツより

これは、モーツァルトがフランクフルトへ演奏旅行を行なった際の手紙で、ウィーンへの帰路の道中にマインツで書かれました。満を持して決行した私費での演奏旅行が思うようにいかず、妻にも関心を持たれなかったモーツァルトが書いた手紙の抜粋です。

不思議な手紙だな……と思われるかもしれませんが、その経緯を知れば、この手紙のようにモーツァルトの気が狂ってしまったのも、うなずけるかもしれません。

モーツァルトが直面したフリーランスの厳しさ

モーツァルトは、1781年にフリーランスの音楽家として大都会ウィーンで勝負に出たものの、定期的な収入もなく、膨大な人付き合いと仕事量に疲弊しきっていました。

少年時代から一つの場所にとどまらない生活をしていたモーツァルトにとって、ウィーンはやはり狭かったのです。ウィーンへ定住し始めて6年経った1787年、プラハで《フィガロの結婚》《ドン・ジョヴァンニ》の成功を収めたことをきっかけに、彼の目は再び外へ向き始めました。

モーツァルトは必死に演奏会を行ないますが、やはりフリーランスの音楽家の立場は弱く、収入も思ったほど得られませんでした。どんなに作曲して楽譜を売っても、どんなにオペラを書いて上演しても、演奏会の企画、交際費などの必要なお金をカバーできる状況ではなかったのです。

1789年、旅費を同伴者に出してもらうことを条件に、ベルリンへ演奏旅行をします。途中でライプツィヒに立ち寄って、聖トーマス教会でバッハが弾いていたオルガンを演奏。さらには、ゲヴァントハウスでも自らのピアノ協奏曲を演奏しましたが、集客はあまりに少なく、モーツァルトも「収益としては、考えられないくらいにわずかなものだった」と書き残しています。ベルリンでも、思ったような待遇を受けられず、ウィーンへ戻りました。

借金を抱えながら決行された最後の旅行

相変わらず収入も少ないままのモーツァルトでしたが、翌1790年に、再び旅行を計画します。行き先はフランクフルト。これは、神聖ローマ帝国のレオポルト2世の皇位戴冠式に合わせたものだったのですが、別に呼ばれたわけでもないので、自費で向かいました。さらに、戴冠式という大きなイベントに合わせ、宿泊費や食費は著しく高騰し、きっと大変だったに違いないでしょう。

ここまでの大きなイベントであれば、もちろんウィーンからもたくさんの人たちが参加します。その中には、宮廷楽長だったサリエリもいました。彼は、15人の宮廷音楽家を連れて、豪華にフランクフルトへ向かいましたが、フリーランスのモーツァルトにそこまでの余裕はもちろんありません。しかし、快適な旅をするために、そして意地を見せるためにも、借金をして立派な馬車を購入しました。

1790年10月9日、おそらくモーツァルトも参加したであろう、レオポルト2世の戴冠式の様子©︎Wien Museum

10月9日に行なわれた戴冠式にて、何かしらの機会を得ることを期待していたモーツァルトでしたが、式での出番はゼロ。しばらく経った15日に、ようやくフランクフルト劇場にて演奏会を行いますが、やはり「お金の面ではひどいものだった」(1790年10月15日)そう。

1790年にモーツァルトが行った演奏会の広告(©︎Oxford Music)
寛大な許可のもと、本日、1790年10月15日金曜日、市立大劇場にて、カペルマイスター・モーツァルトは、自らの興行のために大きなコンサートを催す。
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第一部
・モーツァルト氏の新しい大交響曲
・シック夫人によって歌われるアリア
・フォルテピアノ協奏曲、モーツァルト氏が自ら作曲し、演奏。
・チェッカレッリ氏によって歌われるアリア

第二部
・カペルマイスター・モーツァルト氏の協奏曲
・シック夫人とチェッカレッリ氏に夜二重唱
・モーツァルト氏による即興の幻想曲
・交響曲
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桟敷席、平土間席は2フローリン45クロイツァー、天井桟敷は24クロイツァー。
チケットは、カールベッヒャー通り167番地のモーツァルトの住居にて(木曜日午後から金曜日朝まで)、そしてチケット係のシャイトヴァイラー氏、またはチケット売り場にて入手できます。
開演は11時。

モーツァルトがフランクフルトで演奏した曲

ピアノ協奏曲第19番 へ長調 KV 459 「第二戴冠式」、ピアノ協奏曲第26番 ニ長調 KV 537 「戴冠式」

こうしたなかでモーツァルトは、ウィーンにて新居の引越しを行なっていた妻コンスタンツェへ手紙を書きますが、ごくたまに返事が来るだけで、ほぼ無視状態でした。1790年10月3日付の手紙には、「お願いだから、ほんの数行だけでもいいから、手紙を書いてほしいな」と送っています。

まったく首が回らない状態で決行された自費での演奏旅行で思うような成果が得られず、妻からもほとんど関心を持たれず、その心境は想像を絶するものでしょう。そんなときに書かれた手紙が、今回ご紹介したものです。本来は追伸として書かれたのですが、元の手紙が行方不明のため、追伸のみ現存しています。

しかし、そんなときでも奥さんの健康や安全を心配するモーツァルトは、きっと、いや絶対に心優しい人間だったに違いありません。

大井駿
大井駿 指揮者・ピアニスト・古楽器奏者

1993年生まれ、東京都出身。2022年、第1回ひろしま国際指揮者コンクール(旧:次世代指揮者コンクール)優勝。パリ地方音楽院ピアノ科、ミュンヘン国立音楽演劇大学古楽...

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