読みもの
2024.09.29
大作曲家たちのときめく(?)恋文 6通目

ショスタコーヴィチ「死ぬほど君が好きだ」〜音楽祭で通訳をした女性に書いた手紙

大作曲家たちも、恋に落ち、その想いを時にはロマンティックに、時には赤裸々に語ってしまいました。手紙の中から恋愛を語っている箇所を紹介する、作曲家にとってはちょっと恥ずかしい連載。
第6回は、ショスタコーヴィチによる熱烈な恋文を紹介します! 旅行中に毎日欠かさず手紙を書いていた相手とは……?

増田良介
増田良介 音楽評論家

ショスタコーヴィチをはじめとするロシア・ソ連音楽、マーラーなどの後期ロマン派音楽を中心に、『レコード芸術』『CDジャーナル』『音楽現代』誌、京都市交響楽団などの演奏会...

イラスト:ながれだあかね

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愛しいリャーリャ。モスクワを出発してからもう二日目に入ります。(中略)

汽車の旅は退屈です。退屈なのは一人旅なのと、リャーリャがいないから。ぼくと一緒にバクー行きを説得すべきでした。万が一、君に断られた場合でも力ずくで連れてくるべきでした。なにしろぼくたちは強い情熱と嵐のような行動の時を生きているのですから……。(中略)

君はぼくの人生にまるで晴天の霹靂のように現れた。ぼくは死ぬほど君が好きだ。君なしでは生きられない。リャーリャ、ぼくを待っていてほしい。ぼくはじきに戻る。すべての問題を一緒に解決しよう。つよくキスしています。

 1934年6月15日
『驚くべきショスタコーヴィチ』 ソフィア・ヘーントヴァ著、亀山郁夫訳より

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通訳の女性と恋に落ちたショスタコーヴィチ(27歳・既婚)

熱烈なラブレターだ。書いたのは27歳のドミトリー・ショスタコーヴィチ、リャーリャというのは、エレーナ・コンスタンチノフスカヤという、まだ20歳の学生。

ショスタコーヴィチとエレーナは、1934年春にレニングラードで行なわれた国際音楽祭で知り合った。この音楽祭では《ムツェンスクのマクベス夫人》をはじめとする数々のショスタコーヴィチの作品が演奏されたが、エレーナは通訳のひとりだったのだ。

外国語が苦手だったショスタコーヴィチは、彼女に英語の家庭教師を依頼した。ほどなくふたりは恋愛関係になる。最初に掲げたのは、ショスタコーヴィチが演奏旅行でバクーに向かう列車で書いたものだ。

ショスタコーヴィチ:組曲《黄金時代》
マクシム・ショスタコーヴィチ指揮 ボリショイ劇場オーケストラ

音楽祭にはディミトリ・ミトロプーロスがソ連を訪れて〈黄金時代〉組曲を指揮した。ミトロプーロスの通訳を務めたのもエレーナだったかもしれない。

あれ、1934年といえば、ショスタコーヴィチはもう既婚者だったのでは、と思われた方もいらっしゃるだろうか。そのとおり、彼は1932年にニーナ・ヴァルザールと結婚している。この時期には夫婦関係はかなり冷えこんでいたようだが、既婚だったことは確かだ。

だがショスタコーヴィチはこの旅行中、ほぼ毎日(ときには1日に2通)エレーナに手紙を送り続けた。8月頃にはニーナとの結婚生活はほぼ破綻し、離婚も時間の問題と思われた。1935年には、ショスタコーヴィチはエレーナとともに公的な場にも姿を表すようになる。

ところが、優柔不断な性格だったショスタコーヴィチは、ニーナと離婚してエレーナと結婚する決心がなかなかつかなかったようだ。そうこうしているうちに、1935年秋、ニーナの妊娠がわかり、ショスタコーヴィチ夫妻は元のさやに戻る。エレーナとの関係も終わる。

エレーナのその後と「交響曲第5番」

それからまもない1936年1月28日、『プラウダ』紙に、「音楽のかわりの荒唐無稽」という論説が出た。《ムツェンスクのマクベス夫人》を非難する内容のこの論説は、順風満帆だったショスタコーヴィチの運命をがらりと変えてしまった。ショスタコーヴィチはエレーナにその記事を見せて「ほら、ぼくと結婚しなくてよかっただろう」と言ったらしい。

エレーナはその後、内戦の始まったスペインにわたり、そこで記録映画監督のロマン・カルメンと出会い、結婚した。1937年に作曲された「交響曲第5番」にビゼーの《カルメン》が引用されているのは、エレーナへのメッセージ(当てこすり?)との説もある。

ショスタコーヴィチ:歌劇《ムツェンスクのマクベス夫人》第1幕第3場
チョン・ミョンフン指揮

『プラウダ』紙に出たこの作品を批判する論説によって、ショスタコーヴィチの生活は一変した。セルゲイがカテリーナを強姦するこの場面の音楽に、スターリンが激怒したためと言われる。

ショスタコーヴィチ:交響曲第5番~第4楽章
ムラヴィンスキー指揮

楽章の最後に252回にわたって鳴る「ラ」の音は、エレーナの愛称「リャーリャ」を表すという説もある。

ショスタコーヴィチ:劇音楽《スペインに敬礼》~ロジータの歌

ショスタコーヴィチは交響曲第5番の直前、エレーナがスペインに去ったころに、おそらく偶然に、まさにスペイン内戦を扱う劇音楽《スペインに敬礼》を書いている。〈ロジータの歌〉は、戦いで殺されたロジータという女性のことを「あなたの名前は決して忘れない、ロジータ、ロジータ」と歌う。

ところで、2019年に、ショスタコーヴィチがボリショイ劇場のバレリーナ、ニーナ・イヴァノヴァに宛てて書いたラブレターが10通、ロシアのオークションに出品された。日付は1935年から39年で、これまで知られていなかったものだ。つまりショスタコーヴィチは、エレーナと別れて、ニーナと関係修復したはずの時期に、また別の女性にちょっかいを出していたのだ。さすがにこれはイヴァノヴァのほうが断ったらしい。

昔の人を現在の倫理観で判断するのは良くないとかいう意見をあえて無視して言うが、ショスタコーヴィチは、女性関係に関しては本当にだらしなくて、正直ドン引きすることもあるのだが、今後全3回にわたって、そんなショスタコーヴィチの心温まらないラブレターを紹介していきたい。

参考文献

『驚くべきショスタコーヴィチ』ソフィア・ヘーントヴァ著、亀山郁夫訳(筑摩書房、1997)『ショスタコーヴィチの生涯』ローレル・E・ファーイ著、藤岡啓介・佐々木千恵訳(アルファベータ、2005)
The Cambridge Companion to Shostakovich, Pauline Fairclough and David Fanning, Cambridge University Press, 2008

増田良介
増田良介 音楽評論家

ショスタコーヴィチをはじめとするロシア・ソ連音楽、マーラーなどの後期ロマン派音楽を中心に、『レコード芸術』『CDジャーナル』『音楽現代』誌、京都市交響楽団などの演奏会...

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