シューマン「天使と一緒にいるように永遠に君と戯れていたい」試練を乗り越えてクララと結婚!
大作曲家たちも、恋に落ち、その想いを時にはロマンティックに、時には赤裸々に語ってしまいました。手紙の中から恋愛を語っている箇所を紹介する、作曲家にとってはちょっと恥ずかしい連載。
第8回は、ロベルト・シューマンがクララの父から猛反対を乗り越えて結婚にいたるまでの手紙を紹介します。
京都産業大学外国語学部助教。専門は18世紀の文学と美学。「近代ドイツにおける芸術鑑賞の誕生」をテーマに研究し、ドイツ・カッセル大学で博士号(哲学)を取得。ドイツ音楽と...
ロベルト・シューマンの妻といえば、世界初の女性プロピアニストとして知られるクララ・シューマンである。深く愛し合っていた2人であるが、当初はクララの父フリードリヒ・ヴィークからの妨害を受けていた。
どうやって、この大きな試練に立ち向かったのだろう? 書簡を手がかりにして、ロベルトとクララが困難を乗り越えるまでの過程を追っていきたい。
試練に立ち向かう2人
何度も説得を試みたロベルトとクララだが、その気持ちがヴィークに伝わることはなかった。1839年、2人はついに結婚の認可を得るための訴訟を起こした。これに激怒したヴィークは、クララを家から追い出し、シューマンに侮蔑の言葉を投げつけたという。
師と揉めることになったロベルト、父と争うことになったクララ。結婚への障壁はひじょうに高かったが、2人は互いに励まし合いながら立ち向かっていった。クララからロベルトに宛てた手紙には、次のように書いてある。
カールスルーエ 1839年2月2日
私には今わかりました。父がいなくとも世界でやっていけると。そう長くはかかりません。すぐに、私はすぐにあなたの元に……。
千の挨拶、あなたの貞節な花嫁クララ・シューマンより
ああ、なんて素敵な名前でしょう!
ここには「父から独立したい」という気持ちがつづられている。しかし、それはクララをロベルトとの結婚へ駆り立てただけではない。1人の人間として自由に生きたいという願いは、プロのピアニストとして自立するための原動力になったようにも思える。
女性としての愛とピアニストとしての信念を貫いたクララは、広く尊敬を集めてきた。肖像画がドイツマルクの図柄に選ばれたのも、その生き様が多くの人の心を捉えたからだといえる。
そうした強い信念を持つところに、ロベルトも惹かれていたのだろうか。次の書簡では、クララを「鎧をまとった強い少女」と呼び、心から信頼していると打ち明けている。
1838年1月3日
しかし、僕は君と戯れていたい。天使と一緒にいるように。永遠に……。まだ、私たちは目標からどれほど離れているのでしょう。君には、まだ多くの困難や多くの闘いが待ち受けているでしょう。でも、私には信頼に値する鎧をまとった強い少女がいる。君の手を、クララ、僕の唇を押し当てるよ。
試練を乗り越えた喜び
ロベルトとクララの想いが通じたのだろうか。1840年、裁判所が「結婚を許可する」という判決を出し、2人は無事に結婚することができた。その際、花嫁のクララへ捧げられたのが、歌曲集『ミルテの花』である。
1曲目の「献呈」(Widmung)は、詩人リュッケルトの詩に曲が付けられている。「君は僕の魂、君は僕の心/君は僕の喜び、ああ、君は僕の痛み/君が僕の世界 僕の生きる場所」という歌詞は、ロベルトが共に試練を乗り越えたパートナーに向けた言葉と考えられる。
曲に込められた想いに感銘を受けたのだろうか。結婚式に参加していた友人のリストは、「献呈」をピアノ曲にしている。
結婚後、ロベルトとクララはライプツィヒに居を構え、共に暮らし始めた。2人が新婚生活を送った家は、現在、シューマン記念館として公開されている。当地を訪れた際は、ぜひ記念館を訪れ、試練に屈さなかった2人の絆に想いを馳せたい。
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