読みもの
2022.12.10

元祖ピアノアイドル 松井咲子の 毎日がespressivo! #1 アイドルの時期を経て掴んだピアノの仕事

元AKB48のメンバーで、当時は珍しかった現役音大生のアイドルとして注目された松井咲子さん。得意のピアノを生かして活動の幅を広げてきた彼女が、ずっと一緒だったピアノを通して見えてくる表情豊かな(espressivo)世界、音楽が与えてくれる❛気づき❜について、語っていきます。

ききて・まとめ
山本美芽
ききて・まとめ
山本美芽 音楽ライター

ピアノ教育とジャズ・フュージョンを軸に執筆。ピアノ教本研究家として全国で講演を行う。著書「練習しない子のためのピアノレッスン」「ピアノ教本ガイドブック」(音楽之友社)...

撮影:ヒダキトモコ

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小学生の頃はピアニストになるのが夢でしたが、高校に入ってから、それは難しいかなと思うようになりました。

AKB(AKB48)に入ったからこそ、私なりの形でピアノの仕事ができるようになって、幸運だったと思っています。

アイドルとピアノの両立は甘くない

高校2年生の冬にAKBを受けて仮合格、仮ではなく「合格」したのが2008年、高校3年生でした。それから連日のようにダンスのレッスンが始まりました。歌のレッスンは入ってしばらくしてからやりましたけど、最初はひたすらダンスでした。

高校(東京音楽大学付属高校)は当時は護国寺にあったので、学校が終わってから友達に「ごめん」といって秋葉原に急いで行き、ダンスのレッスンを毎日夜まで。AKBは楽曲が何百もあるので、その振り付けを覚えるのは、とても苦労しました。まわりは子どもの頃からダンスをやっていたり、バックダンサーをやっていた子もいる中で、私はダンス経験もないし運動も苦手なので、何がなんだかわからない状態でした。踊れる人、スタイルがいい人は前に行く、そこは厳しい世界でした。

鏡のあるスタジオに動きやすい服で集まって、先生がみんなの前で踊りながら教えてくださって、あとは立ち位置を覚えて曲を完成させます。当時はまだスマホがないので、全員ポータブルDVDプレイヤーを持っていました。

録画した練習用の映像をDVDでもらって、電車の中とかリハーサルの前にずっと見たり、立ち位置は紙を見ながら確認して。夕方の5時ごろから始まり早くても夜の9時、10時まで。夕ご飯はどうしていたのか覚えていないんです。スキマ時間に食べていたのかも。

自宅に帰ると夜の11時か12時、それからピアノを練習していましたけど、1時間か2時間がせいぜいで、ピアノの鍵盤に突っ伏して寝ちゃってた時もありましたね。翌日は普通に朝起きて、学校に行って1時間目から出ていました。

松井咲子(まつい・さきこ):1990年12月10日生まれ、埼玉県蕨市出身(蕨市PR大使)。桐朋学園芸術短期大学ピアノ科卒業。元AKB48(在籍期間2008年~2015年8月)。テレビ埼玉「マチコミ/大人散歩」・「魅力まるごと いまドキッ!埼玉」レギュラー。KORG Digital Pianoイメージキャラクター。そのほかテレビ、ラジオ、WEBメディア等に多数出演。

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