読みもの
2024.03.22

なぜ違う?受難の季節に考える、バッハ《マタイ受難曲》と《ヨハネ受難曲》の違い

復活祭が近づくと、日本でも受難曲を耳にする機会が訪れます。J.S.バッハの《マタイ受難曲》は多くの人に愛される名曲ですが、同じバッハの名曲《ヨハネ受難曲》も上演される機会が増えてきました。そこで気になるのが、この2曲のさまざまな違い。具体的にどのようなところが違っていて、その違いはどこからきているのか――ひとつずつ順を追って見ていきましょう。

加藤浩子
加藤浩子 音楽物書き

東京生まれ。慶應義塾大学文学部卒業、同大学院博士課程満期退学(音楽史専攻)。音楽物書き。主にバッハを中心とする古楽およびオペラについて執筆、講演活動を行う。オンライン...

レオナルド・ダ・ヴィンチ『最後の晩餐』

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「受難曲」は文字通り、イエス・キリストの受難の一部始終を綴った音楽だ。ジャンル自体の歴史は古いが、一般に知られているのはヨハン・ゼバスティアン・バッハの《マタイ受難曲》と《ヨハネ受難曲》である。そもそも、バッハのこの2作品以外の「受難曲」を知っている人はとても少ないのではないだろうか。それほど、バッハの《マタイ》と《ヨハネ》、とくに《マタイ》の存在は大きい。

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「受難曲」ができるまで

「受難曲」はもともと、キリストが受難したとされる「聖金曜日」(復活祭の日曜日の前の金曜日)の礼拝で、福音書(新約聖書)の受難の記事を、司祭が朗読していたのが始まりである。それが朗唱されるようになり、さらに司祭一人ではなく、福音史家(エヴァンゲリスト)、イエス、トゥルバ(群衆)が受難記事の朗誦を受け持つようになり、14世紀にはトゥルバに単旋律の合唱が導入された。

16世紀、カトリック教会の腐敗に対して「宗教改革」を起こしたマルティン・ルターは、「人間の救いはイエス・キリストの教えと働き、とりわけ十字架に具現されている」という「十字架の神学」を唱え、受難を重視したので、ルター派プロテスタントでは「受難曲」が発展

バッハの時代には、福音史家による受難記事の朗誦に、自由に作詞された合唱やアリア、レチタティーヴォ、そして合唱によるコラール(讃美歌)を加えた「オラトリオ風受難曲」という大規模な形式が出来上がっていた。

「オラトリオ風受難曲」は受難曲の歴史のハイライトであり、バッハの受難曲はその頂点に位置する。

*レチタティーヴォ:話し言葉の自然なリズムやアクセントを模した、または、強調した歌唱様式

聖トーマス教会前のバッハ像

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