音楽家とのコラボレーションで、音・空気を踊る。勅使川原三郎『月に憑かれたピエロ』
さまざまな舞台を耳から“観る”高橋彩子さんの連載第7回では、圧倒的な音・音楽への理解とセンスをもって芸術の世界を走り続ける勅使川原三郎演出・振付の『月に憑かれたピエロ』を紹介します。
クラシックに限らずポップスやロック、ときには自らの「歯」の音を使うこともある勅使川原が12月の東京芸術劇場で、2011年のラ・フォール・オ・ジュルネの上演が話題となったマリアンヌ・プスールと、シェーンベルクの名作を再共演。演出・振付のほか、自ら美術、照明まで手掛けるという舞台から目が離せません。
早稲田大学大学院文学研究科(演劇学 舞踊)修士課程修了。現代劇、伝統芸能、バレエ、ダンス、ミュージカル、オペラなどを中心に執筆。『The Japan Times』『E...
舞踊家にとって、音楽との関係は諸刃の剣だ。観客を舞踊家の思い描く世界へと導くにあたり、音楽は大いに力を発揮する。だが、踊りが音楽に拮抗しなければ、すべては音楽に飲み込まれ、流され、何も残らない。使用曲がメジャーなものであればあるほど、既視感や陳腐な印象を与える危険も増すだろう。それらを乗り越える振付や身体でなければ、“敗北”は決定的。つまり、極めてセンスや力量が問われるものなのだ。
あらゆる音・音楽を踊りにする勅使川原三郎
この点、勅使川原三郎ほど、音楽に対して豊かで鋭敏な感性を発揮する振付家は、そう多くない。まず特筆すべきは、選曲の幅広さだろう。そのダンスでは、バッハ、モーツァルト、シューベルト、ショパン、ショスタコーヴィチ、メシアンなどのクラシックから、電子音、ノイズ、ロック、ポップスほか、多種多様な音楽が効果的に使われる。ノイズとオブジェクトをタイトルに冠した『NOIJECT』(92年)、マイクを通して囁き声や叫び声を響かせる『Scream and Whisper』(05年。日本では06年の『ガラスノ牙』にその一部シーンが取り入れられた)をはじめ、音や音楽に真っ向から挑んだ創作も多数。
近年では、同名のオペラを原作に、勅使川原とダンサーの佐東利穂子が身体と魂の交感を繊細に表現した『トリスタンとイゾルデ』(16年)が鳥肌モノの傑作で、日本での初演後、スロヴェニア、フランス、イタリア、香港、ロシアなどでも上演されている。
ユニークなところでは、『誕生日』(14年)での戸川純〈隣の印度人〉、『私は2才』(15年)でのマンボ、『星座』(15年)で勅使川原が特殊なマイクに歯を当ててその場で出す音、『米とりんご』(16年)の童謡、『静か』(16年)での60分間の無音、『睡眠-sleep-』(16年)のアルヴォ・ペルト〈鏡の中の音楽〉やローリング・ストーンズ〈黒くぬれ!〉、『ピグマリオン―人形愛』(18年)の狼の唸り声などなど、近作だけでも印象深い舞台は枚挙にいとまがないほど。いずれの作品でも、音楽と踊りはともに強度を持って密接に結びつき、勅使川原ならではの世界観を形成しているのが特徴だ。
なお、勅使川原はオペラ演出でもキャリアを重ね、これまでに国内外でプッチーニ作曲《トゥーランドット》、パーセル作曲《ディドとエネアス》、ヘンデル作曲《アシスとガラテア》、藤倉大作曲《ソラリス》、モーツァルト作曲《魔笛》、ラモー作曲《ピグマリオン》を手がけている。
《ソラリス》は、タルコフスキー監督の映画化でも知られるスタニスワフ・レムの同名のSF小説を、藤倉大がオペラ化し、15年に世界初演した作品。10月31日に東京芸術劇場にて演奏会形式で日本初演されたばかりだが、台本にも関わった勅使川原の演出による、世界初演と同じ完全オペラ版も、ぜひとも日本で観てみたいものだ。
空気・空間を媒介に、音楽家と共演
勅使川原の振付では多くの場合、踊り手は共演者と直接的に組んで踊るというより、身体を取り巻く空気・空間と踊っているように感じられる。言い方を変えれば、空気および空間を媒介に、共演者、さらに観客とも繋がっていく。その空気・空間は、作品によって、あるいはシーンによって、柔らかかったり凝固したり、重かったり軽やかだったりと変幻自在。
当然、こうした空気や空間の変化によって、踊り手の呼吸も動きも変わる。そして、この空気や空間は、音・音楽と不可分だ。だから、勅使川原作品では、あらゆる音楽が違和感なく踊りと結びつくのではないだろうか。
それだけに、勅使川原と音楽家との共演は多い。ヴァイオリニストの庄司紗矢香と共演した『LINES』(14年)、ピアニストのフランチェスコ・トリスターノとの『LANDSCAPE』(14年)、前衛音楽家・灰野敬二や秋田昌美と行なった『勅使川原三郎×灰野敬二×MERZBOW』(15年)、雅楽の伶楽舎との〈秋庭歌一具〉やジャズピアニスト山下洋輔との『up』(共に16年)、笙奏者の宮田まゆみとの『調べ』(18年)……。ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン(LFJ)に頻繁に登場しているのを、ご記憶の読者もいるだろう。
そのLFJで11年、ソプラノ歌手マリアンヌ・プスールのドラマティックなシュプレヒシュティンメ(シェーンベルクが愛用した、語るように歌う技法)と管弦楽の演奏、そして勅使川原と佐東の、ときに神秘的、ときに諧謔的にと豊かに移ろう踊りで上演されたシェーンベルク作曲『月に憑かれたピエロ』が、この12月に再び、プスールと勅使川原、佐東によって上演される。
照らし合う2作。『月に憑かれたピエロ』と『ロスト・イン・ダンス-抒情組曲-』
ベルギーの詩人アルベール・ジローがピエロにまつわる情景を綴ったフランス語詩のドイツ語版(ハルトレーベンによる)から、21篇の詩を選んで構成されている『月に憑かれたピエロ』。「月」と「ピエロ(あるいは道化)」は、勅使川原の創作を語る上で欠かせないモチーフだ。
初期の代表作『月は水銀』(87年)を皮切りに、『月の駅』(87年)、『夜の思想』(88年)、『メランコリア』(89年)など、初期作品の多くは月で彩られ、勅使川原の白く塗った顔や衣裳、人形振りを想起させる動きなどから、19世紀に生まれたメランコリックな道化像と重ねて語られることもあった。白塗りをしなくなった最近でも勅使川原は、地唄『融』に乗せて能舞台で舞った『水銀の月』(11年)、硝子の破片群で月を象った美術を用いた『硝子の月』や萩原朔太郎の詩をもとにした『月に吠える』(いずれも17年)などで月をフィーチャーし、また哀愁溢れるソロ『道化』(15年)も発表している。
つまり、『月に憑かれたピエロ』は、勅使川原の作品世界とは相性抜群の作品なのだ。なお、LFJでは何もない空間での上演だったが、今回は“歪んだ月”をテーマに、勅使川原がデザインした美術が登場するという。
アーノルド・シェーンベルク: 『月に憑かれたピエロ』 op.21
マリアンヌ・プスール(シュプレヒシュティンメ) フィリップ・ヘレヴェーへ(指揮) アンサンブル・ミュジーク・オベリスク
さらに今回の公演では、ベルクの〈抒情組曲〉に乗せて送る勅使川原と佐東のデュオ、『ロスト・イン・ダンス-抒情組曲-』も併演される。この作品の発端は、今年4月のキューバにおける公演だ。勅使川原はこの公演で、キューバのダンスカンパニーAcosta Danzaのダンサー8名を起用した『One thousand years after』と、勅使川原と佐東のデュオ『Lost in dance』の2作を初演した。
キューバでの映像を見たが、前者では、白いコスチュームに身を包んだダンサーたちが、止まることのない流れるような動きで、時に静かに、あるいは狂おしく、憂いを帯びた情熱の音楽を体現。一方、後者は、シューベルトの音楽に乗せ、勅使川原と佐東が交互に踊るというもの。1着のジャケットを相手に着せては踊りだす2人に、踊りの魂を繋ぐ師弟の姿を重ねることもできそうな作品だった。
この『One thousand years after』で用いられた〈抒情組曲〉を使い、『Lost in dance』のコンセプトを受け継ぎつつ、新たに創作されるのが、今回の『ロスト・イン・ダンス-抒情組曲-』だという。
チラシに勅使川原は「『ロスト・イン・ダンス』は「ダンスに憑かれた」佐東利穂子に捧げるオマージュ作品」と書いている。月に憑かれたピエロ(≒勅使川原?)と、踊りに憑かれた佐東。シェーンベルクとベルクの音楽に乗せて、合わせ鏡のように映し合い照らし合う、珠玉の舞台を期待したい。
アルバン・ベルク: 〈抒情組曲〉
アンサンブル・レゾナンス(弦楽四重奏)
公演日時:
2018年12月1日 (土)18:00~
2018年12月2日 (日)16:00~
2018年12月4日 (火)19:30~
会場: 東京芸術劇場 プレイハウス
演出・振付・照明・美術: 勅使川原三郎
出演: ダンス:勅使川原三郎・佐東利穂子
歌:マリアンヌ・プスール/指揮:ハイメ・ウォルフソン
フルート:多久潤一朗/クラリネット:岩瀬龍太/ピアノ:田口真理子/ヴァイオリン:松岡麻衣子・甲斐史子/ヴィオラ:般若佳子/チェロ:山澤 慧
チケット料金:
S席 5,000円
A席 4,000円
65歳以上(S席) 3,000円
25歳以下(A席) 2,500円
高校生以下 1,000円
問合せ: 東京芸術劇場ボックスオフィス
0570-010-296
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