読みもの
2023.04.05
高橋彩子の「耳から“観る”舞台」第31回

戯曲から聞こえてくる「時代の声」〜20世紀の名作『エンジェルス・イン・アメリカ』が問いかけるもの

舞踊・演劇ライターの高橋彩子さんが、「音・音楽」から舞台作品を紹介する連載。今回は、20世紀が生んだ名作演劇で、テレビドラマやオペラなど、形を変えて上演が続けられている『エンジェルス・イン・アメリカ』。2023年4月18日から始まる新国立劇場での上演を前に、この8時間の大作から発せられ、人々を惹きつける「声」を聞きます。

高橋彩子
高橋彩子 舞踊・演劇ライター

早稲田大学大学院文学研究科(演劇学 舞踊)修士課程修了。現代劇、伝統芸能、バレエ、ダンス、ミュージカル、オペラなどを中心に執筆。『The Japan Times』『E...

Direction:OGURA Toshimitsu Photo:FUJIKI Miho

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時代の声が聞こえるような戯曲が存在する。単に一つの時期を表しているというだけではない。確かに生きた人々の嘆きや呻き、鼓動や息吹が、時空を超えて迫ってくるような、そして現代の私たちもそれに感応し、呼応せずにはいられないような戯曲。あまたある演劇作品の中で、『エンジェルス・イン・アメリカ』は、そうした大きな声を発し続ける名作と言える。

錯綜する人物関係、入り混じる虚実

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『エンジェルス・イン・アメリカ』は20世紀を代表する戯曲であり最高傑作と言っても過言ではない。アメリカ人劇作家トニー・クシュナーによって執筆され、1991年に第一部「ミレニアム迫る」、1992年に「第二部 ペレストレイカ」を初演。通しての上演は8時間以上となる超大作だ。ちなみに、原題の副題は「A Gay Fantasia on National Themes」、すなわち、国家的テーマに関するゲイ・ファンタジア。いささか奇妙にも思える文言だが、作品を観れば「なるほど」と納得するはずだ。

舞台は、1985年のニューヨーク。信託財産で暮らす青年プライアーはエイズに感染したことを同棲中のユダヤ人の恋人ルイスに告白するが、ルイスは恐怖からプライアーのもとを逃げ出す。政財界を牛耳っているユダヤ人の大物弁護士ロイ・コーンもまた、医師からエイズと診断される。そのロイからワシントンDCの司法省への栄転話を持ちかけられた、裁判所の書記官でモルモン教徒のジョーは、妻ハーパーとの関係に苦慮しているが、そこにはジョー自身が抱え込む問題が関わっていた。

 

空想の旅の中で知り合うハーパーとプライアー。ジョーの職場で知り合い関係を深めていくジョーとルイス。プライアーとルイスの友人で元ドラァグクイーンの看護師ベリーズはロイの看護をし、ソルトレークシティの家を引き払ってニューヨークに来たジョーの母ハンナはプライアーと知り合う。ロイの前にはしばしば、かつて自らの手で死刑台へ送ったエセル・ローゼンバーグが姿を見せる。そしてプライアーの前には天使が現れ、プライアーを預言者と呼ぶ。人物関係は錯綜し、虚実も入り交じり、混迷を極める物語。彼らは一体どこへ向かうのか——?

1992年、英国ナショナル・シアターにおける第一部上演時のプログラム

クシュナー自身、ルイスやロイと同じくユダヤ系アメリカ人で同性愛者。また、ロイ・コーンのモデルは、実在した同名の弁護士だ。赤狩りが吹き荒れた1950年代、ソ連のスパイとされたジュリアス・ローゼンバーグ&エセル・ローゼンバーグ夫妻の裁判の担当検事として彼らを死刑にした際には、極めて強引な手段を用い、夫妻は冤罪と騒がれた(のちに実際にスパイだったことが判明)。

この作品では、エイズが不治の病であり同性愛者のものとされた時代を背景に、人種や宗教やLGBTQ+などを巡る諸相を通してアメリカの病理が描き出される。神なき時代の世界を漂泊する登場人物たちは、愛、健康、信仰、生活など、さまざまな面で挫折を味わい、絶望の縁にあって、どうにかして希望を見出そうともがく。

見事なのは、哲学的・神学的な壮大さを有しつつ、登場人物一人ひとりの痛み、葛藤、孤独が、ある種のユーモアを伴いつつ、丁寧に愛情深く描かれるところ。定めなき世を嘆くばかりではなく、敢然と歩みを進めていこうとする人々。打ちのめされながらも顔を上げ、引き裂かれながらも繋がろうとし、傷つきながらも再生へ向かおうとする彼らのひたむきでチャーミングな姿に、観る者は惹きつけられずにはいられないはずだ。

TVドラマ、オペラにも。そして今月、新国立劇場へ

初演以来、世界各地で上演されている『エンジェルス・イン・アメリカ』。2003年にはマイク・ニコルズ監督によりTVドラマ化もされている。ロイ・コーンにアル・パチーノ、ハンナにメリル・ストリープ、天使にエマ・トンプソンなど錚々たる顔ぶれが出演し、エミー賞を受賞。

2004年にはペーテル・エトヴェシュの作曲でオペラ化もなされた。

最近では2017年、マリアン・エリオット演出、プライアーにアンドリュー・ガーフィールド、ロイ・コーンにネイサン・レイン、ほかで上演されたイギリスのナショナル・シアター版が出色の出来。その映像はNTLiveとして日本でも上映され、多くの人が鑑賞した。

日本では1994年に銀座セゾン劇場でロバート・アラン・アッカーマン演出により第1部を初演、翌年に第1部と第2部を連続上演。天使に麻実れい、ハンナに佐藤オリエ、ほか。

2004年には同じアッカーマンの演出でtpt(theater project tokyo)が上演。ロイ・コーンに山本亨、ハーパーに中川安奈、天使にチョウ・ソンハ(現・成河)、ほか。tptはその後もスタッフ、キャストを変えながら何度か上演している。

2009年には杉原邦生率いるKUNIOが第1部を上演し、2011年に通し上演を果たした。ロイ・コーンに田中遊、天使に森田真和、ほか。

上村聡史の演出、国広和毅の音楽にも注目の新国立劇場公演

そして2023年4月、新国立劇場から新たな『エンジェルス・イン・アメリカ』が誕生する。フルオーディションで選ばれたキャストは、ロイ・コーンに山西惇、ジョーに坂本慶介、ハーパーに鈴木杏、ルイスに長村航希、プライアーに岩永達也、ハンナに那須佐代子、ベリーズに浅野雅博、天使に水夏希(台本順)。それぞれ他の役も兼ねる。

小田島創志の新訳による戯曲を演出するのは、上村聡史。新国立劇場『オレステイア』上演に際して連載第13回でも紹介した通り、スケールの大きな戯曲を多数手がけている気鋭の演出家だ。

その演出メモなどによれば今回は“右と左、愛と憎しみ、夢と現実、東と西、男と女、白と黒、生と死、原子と原子”などの衝突をユーモラスに描きながら“越境”“変化” “再生”を表現し、現代に繋がる物語を立ち上げるとのこと。舞台美術の乘峯雅寛と共有したイメージの一つに、チェルノブイリ原発事故で廃墟になった劇場があるという点にも注目したい。

上村聡史
新国立劇場『エンジェルス・イン・アメリカ』の出演者

音楽には、作詞・作曲・編曲のほか楽器演奏やボーカルもこなす音楽家、国広和毅。作品の世界観に丁寧に寄り添う、繊細でセンスに富む音・音楽は比類なく、今や演劇界で引っ張りだこの存在だ。

今回は上村の “現代性や資本主義の機械的でありメタリックな質感”というイメージでオリジナル曲を作曲するほか、 “普遍性・人間性・神話性の奥行き”としてクラシック音楽などを用いるという。上村のオーダーを受けた国広が作る音空間からも目が、いや耳が離せない。

国広和毅

今やエイズは不治の病ではなく、ソ連が崩壊して冷戦も終わった。しかし、21世紀の私たちにはCOVID-19のパンデミックが起き、ロシアはウクライナに侵攻し戦争を続けている。では、他の問題は? 20世紀の終わりに放たれた戯曲は、魅惑的なファンタジーの形をとりながら今、私たちに語りかけ、問いかけてくる——世界のとらえ方と、そこに対する自らの態度、生き方を。私たちはその声を受け止め、応答しなければならない。

新国立劇場演劇 フルオーディション Vol.5 『エンジェルス・イン・アメリカ』
イベント情報
新国立劇場演劇 フルオーディション Vol.5 『エンジェルス・イン・アメリカ』
トニー・クシュナー  翻訳 小田島創志  演出 上村聡史
出演  浅野雅博 岩永達也 長村航希 坂本慶介 鈴木 杏 那須佐代子 水 夏希 山西 惇

 

公演期間: 2023年 4月18日(火)~ 5月28日(日)

 

会場: 新国立劇場 小劇場

 

予定上演時間:
第一部「ミレニアム迫る」:4時間(休憩含む)
第二部「ペレストロイカ」:4時間(休憩含む)
高橋彩子
高橋彩子 舞踊・演劇ライター

早稲田大学大学院文学研究科(演劇学 舞踊)修士課程修了。現代劇、伝統芸能、バレエ、ダンス、ミュージカル、オペラなどを中心に執筆。『The Japan Times』『E...

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