読みもの
2019.04.29
高橋彩子の「耳から“観る”舞台」第12回

2人の人間国宝の競演——女流義太夫・竹本駒之助と文楽・吉田和生が作りだす最高のライブ体験を逃さないで

人は素晴らしい舞台との出会いによって、舞台芸術に心酔していくものなのかもしれません。

連載12回目の今回ご紹介するのは、舞台芸術を愛してやまない高橋彩子さんが、その芸を鑑賞できたことを「生涯幸せに思い、誇りにするであろう大切なもの」と言い切る女流義太夫の太夫(語り手)、人間国宝の竹本駒之助の舞台。しかも、文楽の人形遣いとして、こちらも人間国宝に選ばれている吉田和生との共演です。

日本の伝統芸能の頂点と言える競演を見逃したら、あなたは一生後悔するかもしれません。

高橋彩子
高橋彩子 舞踊・演劇ライター

早稲田大学大学院文学研究科(演劇学 舞踊)修士課程修了。現代劇、伝統芸能、バレエ、ダンス、ミュージカル、オペラなどを中心に執筆。『The Japan Times』『E...

イラスト:小池祐子
写真提供: KAAT神奈川芸術劇場

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ライブ芸術を愛する人なら誰でも、「○○○○に間に合わなかった」という無念の思いを抱いたことがあるのではないだろうか。

それは、ウラディミール・ホロヴィッツかもしれないし、中村歌右衛門かもしれないし、杉村春子、ジョルジュ・ドン、カルロス・クライバー、あるいはフレディ・マーキュリーかもしれない。逆に、伝説的な名演奏・名舞台を体験した人は、それを一生の思い出にできる。

筆者にとって、女流義太夫の太夫で人間国宝の竹本駒之助の芸は、間に合ったことを生涯幸せに思い、誇りにするであろう大切なものだ。

以前、鶴澤寛也インタビューでも書いたが、女流義太夫で語られるのは、文楽と同じ義太夫節。いわば、人形なしの文楽の女性版だ。

義太夫節では、基本的には一人の太夫が、一人の三味線弾きを相手に、登場人物たちの台詞や心情から、筋の進行や情景描写や作者の思いなどのナレーションまで、すべてを表現するが、ひとたび駒之助にかかれば、彫刻刀をふるう名工さながらの鋭く克明な描写力と、岩清水のようにじわじわと滲み出してやがて溢れる情感に、圧倒されずにはいられない。その芸の前には、多くの人はまだ声、言葉の可能性を十分に知らないのではないかとすら思ってしまう。

文楽の名人たちから薫陶を受けた天才、竹本駒之助

駒之助は、人形浄瑠璃の盛んな淡路に生まれた。中学校の部活動で義太夫節と出会い、淡路在住の女流義太夫の師匠に師事。やがて本場・大阪から来た女流義太夫のプロの目に止まり、1949年、14歳のときに、大阪で竹本春駒の内弟子として修業を開始し、「竹本駒之助」を名乗る。

1950年「竹本駒之助命名披露興行」淡路島・市村劇場にて。左が竹本駒之助。

内弟子修業とは、師匠の家に住み込み、家事の手伝いもしながら技芸を習うこと。寝食を共にするため、師匠の芸のすべてを吸収できるディープな修業だ。駒之助は、今の時代にはほとんど見られないこの修業をこなした最後の義太夫語りと言えるだろう。

とはいえ、10代の少女には、厳しい師匠との一つ屋根の下での修業はあまりにも辛く厳しいもの。そこで、外に出て視野と芸の幅を広げるため、春駒の理解のもと、文楽の名人である十代目豊竹若大夫に習い始める。さらに、若大夫が駒之助のためにと、後輩である豊竹つばめ大夫(のちの文楽の名人、四代目竹本越路大夫)に直々に頼み込んでくれ、師事することに。

その際、つばめ大夫から言われたのが「女だったら引き受けない。女だと思わず指導する」という言葉。実際、男性の弟子でもなかなか続かないと言われるほど厳しい師匠だったつばめ大夫はその後も、駒之助以外には女性の弟子は取らなかったという。

駒之助はさらに、つばめ大夫の理解のもと、当時の文楽界の名だたる名人たちからも教えを受けた。通常、文楽の世界では、教わる師匠は一人だけ。つまり駒之助は、文楽の複数の名人の薫陶を一身に受けた稀有な存在なのだ。その才能がどれだけ特別なものであったかがわかるだろう。実際、筆者も、初めて駒之助の語りを聴いたとき、かつて文楽の名人がそうであったと伝え聞く芸はここに残っていたか、と目を開かれたものだ。

その後、結婚、出産、育児に追われながら、芸の研鑽も積み続けた駒之助。99年には重要無形文化財「義太夫節浄瑠璃」の各個認定保持者、いわゆる「人間国宝」となり、18年には女流義太夫では初めて、文化功労者に選ばれた。83歳の今も第一線で迫真の語りを聴かせている。

竹本駒之助
写真提供: KAAT神奈川芸術劇場

母子の感動の再会を描く『良弁杉由来』

その芸を味わう機会として今回ご紹介したいのは、駒之助が長らく居を構える神奈川県秦野市の、秦野市文化会館で行なわれる「竹本駒之助の会」。

二人の“三番叟(さんばそう)”が五穀豊穣と子孫繁栄を願って舞う『二人三番叟』や、狂言をもとにしたユーモラスな『釣女』など、さまざまな演目が一度に楽しめる会だが、中でも注目なのは『良弁杉由来(ろうべんすぎのゆらい)』だろう。

奈良・東大寺の開山だった良弁僧正(ろうべんそうじょう)が、2歳のときに鷲にさらわれて杉の木で拾われ、義淵僧正に育てられたという言い伝えに基づいて、明治期に創られた演目だ。

菅原道真に仕えた夫・水無瀬左近の未亡人である渚の方(なぎさのかた)は、大事な息子・光丸を大鷲にさらわれてしまう。それ以来30年、息子を探し続け、今や老女となった渚の方は、東大寺の良弁僧正が、幼い時に鷲にさらわれたという噂を聞いて東大寺へ赴き、伴僧の勧めに従って二月堂の杉の大木に身の上を書いた張り紙をする。僧正はこの張り紙を見て、老女を呼んで話をし、やがて親子としての再会を果たす、という物語。実在した高僧とその母がモデルとあって、格調高い作品となっている。

人形左から、東大寺の高僧となった良弁僧正と、その母の渚の方。『良弁杉由来(ろうべんすぎのゆらい)』の一番の見所、親子が感動の再会を果たす場面。
イラスト:小池祐子

この物語のクライマックスである「二月堂の段」を、今回、駒之助が語る。駒之助にとって、10代の頃、文楽の大名人である豊竹山城少掾(とよたけやましろのしょうじょう)が語るのを聴いて「いつかやらせてもらいたい」と初めて強く願い、60代の頃、念願かなって自身の会で語った、思い入れのある演目だという。

母が近くにいるとは知らずに良弁が杉の木を見ながら漏らす親への思慕、もしや息子ではないかと思いつつ良弁に30年前の出来事を語る母の慟哭、そして感動の再会と、聴きどころたっぷり。そのすべてを語る駒之助の隣りで演奏する、駒之助の弟子、鶴澤津賀花の真っ直ぐで迷いのない三味線の音色にも聴き惚れるはずだ。

鶴澤津賀花 ©福田知弘

文楽界より、人間国宝・吉田和生と、ベテラン、吉田玉男が参加!

さて、今回の「竹本駒之助の会」にはもう一つ、特別な趣向がある。文楽の人形遣いとの共演だ。

最初に述べた通り、本来、女流義太夫には人形はつかない。それでも駒之助の語りは、まるで目の前で登場人物が動いているかのようにありありとドラマを浮かび上がらせるのだが、今回は人形までつくのだから、義太夫節デビューにうってつけだろう。

文楽の人形は、3人の人形遣いによって操作される。具体的に言うと、主遣い(おもづかい)が人形の頭(かしら)と右手を、左遣い(ひだりづかい)が人形の左手を、足遣い(あしづかい)が人形の足を動かす。三者の連携は、主遣いが左遣いと足遣いに指示を出しながら動くことで成り立っている。

1体の人形を、3人の人形遣いが動かす。顔を出しているのが、メインの人形遣い「主遣い」。残りの2人が「左遣い」「足遣い」。
イラスト:小池祐子

非常に高度な技が必要になるため、「足10年、左15年」などとも言われ、長い修業を経て主遣いになっていく。主遣いを経験後も、師匠や兄弟子の左を遣いながら修業を続けるのが通例だ。時には一人前の主遣いが、弟子や弟弟子の晴れ舞台に、左遣いで入ることも。

今回の『良弁杉由来』で渚の方の主遣いを勤めるのは、人間国宝の吉田和生。人形を柔らかに遣う、女方のエキスパートだ。良弁上人には、大きさのある立役(男性役)に定評ある吉田玉男。2018年に国立劇場で行なわれた文楽の本公演と同じ豪華な顔合わせが実現した。

吉田和生

先人たちの技芸を心身に注ぎ込んで自身の芸として表現し、継承していく伝統芸能。それは私たちにとって、“間に合わなかった先人”に束の間逢わせてくれるものでもある。その第一人者である駒之助、和生、玉男らの至芸を観逃し/聴き逃して後悔してほしくない。

公演情報
「竹本駒之助の会」人形浄瑠璃 人間国宝の競演 竹本駒之助×吉田和生

日時: 2019年5月6日(月・祝)13:00開演(12:30開場)

場所: 秦野市文化会館(神奈川県秦野市平沢82)

料金/全席指定: 3,500円(一般) 1,500円(中学生以上25歳以下の学生) 500円(小学生以下)

 

案内: 水野悠子(女流義太夫研究家)

「二人三番叟」
浄瑠璃: 竹本駒之助 竹本土佐子 竹本佳之助 竹本京之助
三味線: 鶴澤三寿々 鶴澤津賀榮 鶴澤賀寿 鶴澤弥々
人形: 三番叟 吉田玉翔 吉田玉誉

 

「良弁杉由来」
・東大寺の段
浄瑠璃: 竹本土佐子
三味線: 鶴澤三寿々
人 形: 渚の方 吉田和生 雲弥坊 吉田玉勢
・二月堂の段
浄瑠璃: 竹本駒之助
三味線: 鶴澤津賀花
人 形: 良弁僧正 吉田玉男 渚の方 吉田和生 弟子僧 吉田玉翔

 

「釣女」
浄瑠璃: 竹本佳之助  竹本京之助 竹本寿々女  竹本駒佳
三味線: 鶴澤賀寿  鶴澤津賀榮  鶴澤津賀花  鶴澤弥々
人 形: 大名 吉田玉勢 太郎冠者 吉田玉佳 美女 吉田玉誉 醜女 吉田文昇

高橋彩子
高橋彩子 舞踊・演劇ライター

早稲田大学大学院文学研究科(演劇学 舞踊)修士課程修了。現代劇、伝統芸能、バレエ、ダンス、ミュージカル、オペラなどを中心に執筆。『The Japan Times』『E...

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