読みもの
2020.08.03
高橋彩子の「耳から“観る”舞台」第19回

コロナ禍を予言!? ダークでユーモラスな世界観を音楽が彩る——新国立劇場演劇『イヌビト~犬人~』

8月5日(水)から始まる、新国立劇場の長塚圭史作・演出&近藤良平の振付による親子向け舞台シリーズ第3作『イヌビト~犬人~』。長塚が「感染したことに気づかず、自分でも知らないうちに人を感染させてしまうウイルス」という設定の原案を思いついたのは、偶然にもコロナ禍以前のことだそう。出演に、シリーズ常連の長塚、近藤、首藤康之、松たか子のほかダンサーら10名を新たに迎え、阿部海太郎の音楽も注目の舞台を高橋彩子さんが解説します。

高橋彩子
高橋彩子 舞踊・演劇ライター

早稲田大学大学院文学研究科(演劇学 舞踊)修士課程修了。現代劇、伝統芸能、バレエ、ダンス、ミュージカル、オペラなどを中心に執筆。『The Japan Times』『E...

写真提供:新国立劇場
左から近藤良平、首藤康之、長塚圭史、松たか子

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表現者はときに、図らずして予言的な作品を発表することがある。そこに描かれた状況が後世になって出現し、人々を驚かせる作品群の中には、すでにあった萌芽を丁寧に発展させた結果もあれば、いつ起きてもおかしくない普遍的な題材を扱ったもの、でき過ぎた偶然の産物などもある。最近では、アルベール・カミュの小説『ペスト』、大友克洋の漫画『AKIRA』などの先見性が話題になった。

実は、新国立劇場で間もなく上演される長塚圭史作・演出、近藤良平振付『イヌビト~犬人~』も、コロナ禍を先取りするようにして構想された音楽劇だ。

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“イヌビト病”をCOVID-19の現実に照らした物語に

『イヌビト~犬人~』で描かれるのは、ある町に愛犬プティを連れて引っ越してきたタナカ一家が見舞われる騒動。この町では誰もが口元を覆っており、タナカが話しかけようと近づくと、皆一様にタナカを批判しながら距離を取ってくる。彼らはイヌの声を聞くと、イヌと飼い主を処分しろと騒ぎ出す。実はこの町には“イヌビト病”という感染症が蔓延し、人々を恐怖に陥れていた。イヌビト病とは、イヌに噛まれた人間が夜になると発症する病気で、イヌビトになった人間は、別の人間を噛んでウイルスを伝染させてしまう。しかも噛まれた人はその事実を忘れてしまうため、皆、自分が感染しているかどうかわからない。恐怖、猜疑心、パニック、デマが人々を襲う——。

COVID-19を彷彿とさせるこの作品を、長塚は3月以前に構想・執筆していたが、現実の状況が虚構と重なっていくなか、一度白紙に戻し、感染拡大を予防するために定められたガイドラインに沿って書き直したという。

出演者たちはマスクやマウスガードをつけて演じたり、ソーシャルディスタンスを保って行動したり。それが現代の反映・風刺にも、舞台上の感染症対策にも繋がるというわけだ。しかし本作は、今に酷似した状況を描くにとどまらない。次第に明かされるのは、30年前に起きながら人々の記憶から葬り去られていた出来事と、その中で起きた別離のドラマ。やがて物語は、思いがけない再会、そして愛へとたどり着く。

実のところ、長塚がこうした物語を書くのは今作に限ったことではない。自ら率いる演劇プロデュース・ユニット(現在は劇団化)“阿佐ヶ谷スパイダース”で上演した『悪魔の唄』(05年)のゾンビにしろ、シアターコクーンに書き下ろした『ドラクル GOD FEARING DRACUL』(07年)のドラキュラにしろ、イヌビトと同じく、突如として人の前に現れる異形の者であると同時に、哀しいバックグラウンドをもつ存在だった。

特にドラキュラは、噛みつくことで同類を増やす点や、最後は愛の物語に昇華していく点が『イヌビト』と共通する。近年は、三好十郎やアーサー・ミラー、井上ひさしや秋元松代などの作品も演出し、自作としても山田風太郎『魔群の通過』を基にした『あかいくらやみ ~天狗党幻譚~』(13年)や英国留学中に執筆した未発表戯曲『桜姫~燃焦旋律隊殺於焼後~』(19年)ほか、さまざまなテイストの舞台を世に送り出している長塚だが、本作はある意味、久々に自家薬籠中のテーマに取り組み、発展させたものと言えるかもしれない。

ユーモアあふれる親子向け舞台シリーズの3作目

先程から“恐怖”だの“哀しい”だのと書いているが、それは恐らくじわじわと効いてくる隠し味のようなものであって、全体としてはユーモアあふれる舞台になるはず。客席を笑顔にしてきた、長塚圭史作・演出&近藤良平振付による親子向け舞台シリーズの3作目だからだ。

カバンを盗まれたことで“音”を失ってしまった女性とその夫を描いたシリーズ1作目『音のいない世界で』もユニークな切り口の物語だったが、シリーズの魅力を確立させたのは、2作目の『かがみのかなたはたなかのなかに』だろう。

新国立劇場『音のいない世界で』(2012年)  撮影:谷古宇正彦
左から長塚圭史、首藤康之、近藤良平、松たか子。

孤独な海兵たなか(首藤康之)は鏡の向こうにいる自分そっくりな男・かなた(近藤良平)と出会う。2人は可愛らしいけいこ(松たか子)に恋をするが、けいこのほうにも分身こいけ(長塚圭史)がおり、4人はややこしい四角関係に。けいこと同じ服は着ていても対照的な容姿のこいけなのだが、見ているうち、2人の女性の印象は逆転していく。男性である長塚がこいけを演じることが、ギャグにはならず、性に関わる話をほどよく異化しながら豊かな世界を作ることに成功していた。

今作ではカタカナ表記に変わるが、前作に続いてタナカを演じるのは首藤康之。一方、カナタはタナカの息子の名となってダンサーの西山友貴が演じ、タナカの妻でありカナタの母であるツマコはダンサーの島地保武が扮するなど、今回はカナタとツマコの演者の性別が逆転する。松たか子は、独特の立ち位置と語り口で客席と舞台を繋げてくれる案内役、イヌのプティ、害獣駆除の専門家マツダタケコの3役を演じる。

このほか、保健所の人サルキ(近藤良平)、害獣駆除の助手ジョシュモト(長塚圭史)、タナカ家のおしゃべりな隣人として登場するネタモト夫妻(柴一平&碓井菜央)とウワサバヤシ夫妻(黒須育海&入手杏奈)、終盤にある大きな役割を担う保健所の人テリヤ(岩渕貞太)などのキャラクターも、大いにドラマを盛り上げてくれることだろう。

シリーズ第2作目となった新国立劇場『かがみのかなたはたなかのなかに』(2017年)  撮影:宮川舞子
右から近藤良平、松たか子、長塚圭史、首藤康之。

演劇とダンスを融合させ、その先の表現へ

ここまで読んでおわかりの通り、本作には俳優とダンサーが混じっている。もともとバレエ出身の首藤、コンドルズ主宰の近藤、俳優の松、長塚という越境的な顔ぶれによるシリーズだったが、今回新たに加わった出演者も、ダンスパフォーマンス集団“梅棒”にも出演経験のある俳優の大久保祥太郎、さまざまな舞台やイベントで踊る碓井、コンテンポラリー・ダンス界で活躍する入手、岩渕、黒須、柴、島地、中村駿、西山、浜田純平という、多士済々の10名。彼ら全員が、台詞を言ったり踊ったりしながら、この物語を進めていくのだ。

中でも気になるのは、ト書きで「イヌめく」などと指示されている動き。日本には、歌舞伎『義経千本桜』の狐のような前例もあるわけだが、今回はどのようなものになるのだろうか? 

演出も行なう長塚は、コンドルズの舞台に出演した過去をもち、振付家の登竜門であった“トヨタ コレオグラフィーアワード”の審査員も務めるなど、ダンスとの関わりが深い。17年に演出した『作者を探す六人の登場人物』の際にも配役に俳優とダンサーを混ぜ、筆者が行なったインタビューで「ジャンルの違う人達が違うままでパッキリ分かれてしまうのではつまらない」と語って、その先の表現を探求していた。今回、近藤とともにどのようなものを生み出すのか注目だし、いずれ劣らぬ個性をもつダンサー陣からも日々、さまざまなアイデアが出ているに違いない。

阿部海太郎の洗練された音楽にも注目

そしてもう一つ、大きな要素となるのが、音楽だ。出演者たちが歌う歌は3曲あるという。作曲は、洗練された緻密な音作りに定評がある阿部海太郎。

蜷川幸雄演出『わたしを離さないで』(14年)やインバル・ピント&アヴシャロム・ポラック演出『100万回生きた猫』(15年)、小野寺修二演出『竹取』(18年)、そして長塚演出『イーハトーボの劇列車』(19年)など、数々の舞台音楽も手がけてきた阿部だけに、今回どのような音で舞台を彩るのか、注目だ。

シリーズで初めて、小劇場から中劇場へと場所を移し、木津潤平による美術も盆で回る(回り舞台)など、大人数でのダイナミックな音楽劇となる『イヌビト』。愉快でダークでチャーミングな舞台に期待したい。

『イヌビト~犬人~』稽古場映像

『イヌビト ~犬人~』

日程: 8月5日(水)〜8月16日(日)

会場: 新国立劇場 中劇場

作・演出: 長塚圭史
振付: 近藤良平
音楽: 阿部海太郎

キャスト:
近藤良平、首藤康之、長塚圭史、松たか子
入手杏奈、岩渕貞太、碓井菜央、大久保祥太郎、黒須育海
柴 一平、島地保武、中村 駿、西山友貴、浜田純平

料金: S席6,600円(子ども ※4歳~小学生 3,300円)  A席5,500円(子ども2,750円)  B席3,300円(子ども1,650円)全席指定・税込・4歳未満入場不可

高橋彩子
高橋彩子 舞踊・演劇ライター

早稲田大学大学院文学研究科(演劇学 舞踊)修士課程修了。現代劇、伝統芸能、バレエ、ダンス、ミュージカル、オペラなどを中心に執筆。『The Japan Times』『E...

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