お正月に定番のアノ曲……知られざる宮城道雄「春の海」のヒットの秘密
日本全国お正月に必ず流れる曲、宮城道雄作曲「春の海」。ヒットの秘密を探りに宮城道雄記念館に行ってきました。
1974年生まれ。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学院修士課程修了。Maqcuqrie University(シドニー)通訳翻訳修士課程修了。2008年よりクラシ...
お正月のド定番「春の海」
お正月シーズン、テレビやレストランなどさまざまなところで流れている定番曲といえば、「春の海」です。
お箏が奏でる ♪チャン チャラリラリラリン チャン チャラリラリララン
そこに加わる尺八の ♪チャラ〜 チャ〜チャララ〜ララ〜ン
日本の正月にあの流麗な音楽をまったく聴いたことがないという人は、おそらくいないのではというくらい超有名。
そんな「春の海」についてクイズです。あなたは答えられますか?
Q1:いつ、誰が作曲したの?
Q2:どうしてお正月の定番になったの?
Q3:「春の海」って、どこの海?
すべてサクッと答えられる人は、案外少ないかもしれませんね。
では、「春の海」について少し詳しくみていきましょう。
実は意外と“最近の”音楽!?
お箏や尺八の独特な音色から、「春の海」に対してこんなイメージをもっていませんか?
「日本の伝統的な音楽でしょう?」「昔からある古典的な音楽なのでは?」
実は「春の海」が誕生したのは意外と最近(!?)で、昭和4(1929)年に作られた曲なのです。しかも、作曲された当時は「日本の伝統」「古典」などというイメージとはほど遠く、人々にとっては実に「新しい」響きに満ちた音楽だったのです! 今の私たちの感覚からすると、信じられないかもしれませんが……。
作曲者は宮城道雄。彼は明治27(1894)年に神戸で生まれ、昭和31(1956)年に亡くなるまでに、400曲以上もの作品を残した箏曲家・作曲家です。
出典:『夢乃姿』(国立国会図書館デジタルコレクションより)
8歳で失明の宣告を受け、当時は視覚障害を持つ人が職業にしていた箏曲家となるべく、お箏を習い始めます。熱心に稽古を積み、早くも11歳で免許皆伝。13歳から10年間は父親の都合で朝鮮(現韓国)を拠点としますが、23歳で東京へ。次々と先進的な感覚で自作品を発表するという、当時の箏曲界にとっては異例中の異例とも言える彼の活動は、センセーショナルなまでに賛否の渦を巻き起こしました。その音楽を支持する層は次第に厚くなり、宮城は日本の音楽界の重要人物となるのでした。
そんな宮城道雄についての資料に出会えるのが、東京・神楽坂にある宮城道雄記念館です。宮城が晩年まで暮らした敷地に建設された記念館には、宮城の生涯を追うことのできるパネルや写真資料、所有していた楽器や楽譜、当時の所持品が展示され、音響・映像資料なども利用することができます。
本記事の執筆は、宮城道雄記念館資料室室長で『箏を友として 評伝・宮城道雄〈人・音楽・時代〉』(2015年、アルテスパブリッシング)の著者である千葉優子さんにご協力いただきました。
西洋音楽が広まった明治・大正の日本で
さりげなく「新しい響き」だとか「先進的な感覚で」などと書きましたが、実はそんなに簡単なお話ではありません。当時の人々にとって何が新しく先進的であったかというと、宮城の作る音楽や音楽家としてのあり方が、「西洋音楽的であった」ということなのです。
明治、大正、そして昭和初期——宮城道雄が生きたこの時代、日本は西欧列強と張り合えるほどに近代化した、強い国づくりをしていくことが急務でした。スピーディに近代化を進めるなかで、人々は江戸時代までのライフスタイルを捨て、ドッと流入してきた西洋文明を取り入れながら、さまざまな面で「西洋に追いつけ追い越せ」とモチベーションを燃やしていたのです。
もちろん音楽シーンにおいても西洋音楽の普及がはかられました。軍楽隊や教会の賛美歌などのほか、学校でも子どもたちが「ドレミ」の体系で歌えるようにと教育されていきました。とはいえ、ついこの前まで♪チン・トン・シャン〜♪の世界で生きていた人たちが、ある日突然♪ドレミ〜♪と歌えるはずもありません。日本人が西洋音楽を取り入れるべく、いかに奮闘してきたか。それについては宮城道雄記念館資料室室長・千葉優子さんの著書『ドレミを選んだ日本人』(2007年、音楽之友社)に大変詳しく書かれているので、ぜひ読んでみてください。
伝統を破壊したと批判された初の自作品「水の変態」
さて、宮城道雄が生まれたのは、神戸市中央区浪花町で、神戸港開港に伴い外国人居留地とされた地域でした。千葉さんによれば、教会から聴こえるオルガンの響きや、ホテルで演奏される楽団の音楽など、宮城はおそらく物心ついたころから日常的に西洋音楽を耳にする機会があったとのこと。
柔らかく鋭敏な感性を持った道雄少年にとって、その音楽体験はとても重要な刷り込みとなったのではないでしょうか。幼いころの西洋音楽の体験は自然と、道雄自身の音楽へとつながっていくのです。
13歳で朝鮮に渡ってから、日本で習った曲ばかりを弾くだけでは飽き足らなかった道雄は、弟が朗読する和歌にインスパイアされて、初の自作品を生み出しました。14歳(1909年)の道雄による「水の変態」です。
歌と箏一面からなる「水の変態」は、霧、雲、雨、雪、霰など、水のさまざまな形態を表現しています。
ONTOMO読者やクラシック音楽ファンなら、ドビュッシーの「水の反映」やラヴェルの「水の戯れ」といったピアノ曲を思わず連想してしまうような世界観ではないでしょうか。 輪郭のないまま、さまざまに姿を変える水の生き生きとした様子が、箏の超絶技巧によって、美しくエネルギッシュに描き出されてゆきます。
この作品に対する道雄の作曲態度からは、ベートーヴェンが交響曲第6番「田園」を作曲したときに、自然を絵画のように描写しようとしたのではなく、あくまでも「自分が自然から受けた感情を表出した」と述べたことも思い出されます。千葉さんは、「西洋の近代的作曲態度」によって作られたこの作品こそが、「日本の音楽の近代化の始まり」であったと言います。
とはいえ、現代の私たちの耳からすると、使われている音(音階)や箏の音色、その何とも言えない間合い(非拍節的リズム)から、なんとなく「日本的なもの」を感じる音楽ではないでしょうか。
しかし、当時の人々には、大きな違和感を与えたようです。「ピアノの真似」「洋楽の真似のしそこない」「擬音を使うなど音楽では最下等」などと酷評する専門家もいたそうです(ちなみに、この曲の中ではどこにも「擬音」はないんですが、なんとか批判したかった感じがしなくもない…!?)。つまり、私たちの感覚とは裏腹に、とても西洋的に聴こえたのだと思います。
のちに宮城が上京後、大正8(1919)年に本郷の中央会堂で開かれた「宮城道雄自作箏曲第一回演奏会」でもこの「水の変態」が披露されました。そのほかの宮城の初期作品を聴いた人々からは、賛否両論が巻き起こりました。すでに西洋音楽に通じていた人々や文学者や学者からは賛同を得たものの、邦楽界からは「箏曲の伝統を破壊し、いたずらに奇をてらうものだ」と一蹴されたのです。
社会のあり方が大きく変わったこの100年。「日本人」の感性もここまで変化したというのは、とても興味深いですね。
本題の「春の海」に入るまで長くなってしまいましたが、
・宮城の時代は、まだ日本が西洋音楽を取り入れていく初期の段階にあったこと
・宮城自身は、幼い頃から自然と西洋音楽に馴染みがあったこと
・本国日本を離れていた環境で、自作品を生み出したこと
・当時の人々は道雄の音楽を「西洋的」ととらえたこと
これらは注目すべきポイントです。
ちなみに宮城は後年、レコードをたくさん買い求め、西洋音楽オタクばりに愛してやまなかったとのこと。中でもドビュッシー、ラヴェル、オネゲル、ミヨーといった宮城と「同時代人」と言えるフランスの作曲家、そしてストラヴィンスキーの音楽が大好きだったそうです。
「春の海」を大ヒットに導いた名演奏
さて、ようやく「春の海」クイズの回答です。
Q1:いつ、誰が作曲したの?
すでにご紹介したとおり、宮城道雄が昭和4(1929)年12月に作曲しました。
Q2:どうしてお正月の定番になったの?
そもそもこの曲は、昭和5(1930)年の宮中歌会始のお題「海辺巌」にちなんで作られたもので、1月2日に広島放送局からラジオで流れたのが正式な初演でした。
そうした作曲と初演の経緯から、「お正月の定番」となったのかもしれません。
Q3:「春の海」って、どこの海?
かつて旅した瀬戸内海ののどかな印象にインスパイアされて作曲されたそうです。
箏と尺八のための二重奏による純粋器楽曲ですが、それまでの邦楽にとって、この編成はこれまた異例でした。箏・三味線・尺八という合奏はありましたが、必ず歌も付いているのが伝統的なスタイルでした。ですから、この作品でも宮城道雄は斬新な試みを行なったのです。
ところで、この曲がここまで有名になったのには、もう一つきっかけがあったことを最後にご紹介します。
フランスの女性ヴァイオリニスト、ルネ・シュメー(1888〜?)が来日した際、宮城のもとを訪れて何曲か演奏を聴いたそうです。シュメーは中でも「春の海」をいたく気に入り、自分で尺八パートをアレンジし、宮城との共演を申し出たのでした。そして昭和7(1932)年5月31日、日比谷公会堂で二人が共演した「春の海」が大きな話題を呼んだのです。
客席で実演に接した川端康成は、連載中の新聞小説「化粧と口笛」の中で、その時に受けた感動に言及したほど。二人の共演はすぐにレコーディングも行なわれ、瞬く間に大ヒット。アメリカやフランスでも発売されたそうです。
シュメーと宮城による演奏は、今もCDやネット動画サイトを通じて聴くことができます。シュメーのヴァイオリンは、まるでシャンソンを歌うかのように伸びやかで美しく、宮城の箏はシュメーの呼吸を感じ取るようにしてピタリと寄り添い、柔らかにかつ生き生きと奏でられます。なんともお洒落な「春の海」。尺八バージョンとは一味違った表現が感じられ、こちらもオススメです。
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