手紙から見えてくる「最高のコンビ」だったモーツァルト父子
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モーツァルト親子は望みうる最高の、理想的なコンビ
「親ガチャ」という言葉が流行語大賞にノミネートされたのが2021年、しかし子が親を選択できないという事情は、何も今に始まったことではない。親の側からすると、「子ガチャ」もあってしかるべきで、親もまた、子の選択をできないという意味では、同じである。「親ガチャ」にしろ、「子ガチャ」にしろ、その背後には、お金持ちが幸せになるという単視眼的な幸福観が控えている。
さて、あの天才モーツァルトは、どうであったのだろうか。モーツァルト家は庶民の家で、けしてお金持ちではなかった。買いたいものがなんでも買える経済的余裕はないし、貴族のように豪華な家に住むこともなかった。もしモーツァルトに天賦の才能がなければ、この世の大半の人と同様、歴史に名を刻むことはなかったはずだ。
だが、あにはからんや、彼は音楽の天才であった。しかも、幸いなことに、父レオポルトは子の天才を見抜く洞察力を持っていた。父親は子に「別格の才能」を見て狂喜し、家運を託した。また、子は父親の持つ「家族の幸福を切り開く力」を信じ、嬉々としてファミリー・ビジネスの先頭に立った。父子は、望みうる最高の、理想的なコンビであったのだ。
だが、2人の良好な関係は、「マンハイム=パリ旅行」を契機に、徐々に変わり始める。青年は、だれも例外なく、大人への階段を登り始めるからだ。父子がどうして書簡のやり取りをすることになったかは、本書に書かれているので省略するが、この旅行記を読むと、モーツァルトがレオポルトにとってどんな子であり、レオポルトがモーツァルトにとってどんな親であるのかが、手に取るようにわかる。モーツァルト理解は、この旅に始まるといっても過言ではない。
▼モーツァルトが「マイハイム=パリ旅行」の際、1778年6月にパリで作曲した「交響曲第31番ニ長調K.297《パリ》」。この翌月(7月3日)に同行した母マリアがパリで亡くなっている。ネヴィル・マリナー指揮アカデミー室内管弦楽団の演奏
父の手紙も読むことで見えてくる「完璧な台本」
さて、ここで、こんな状況を想像していただきたい。舞台上で面白い漫才が演じられている。ボケとツッコミの絶妙の掛け合いなのだが、ひとりの演者のマイクが不調で、相手のツッコミが聞こえてこない。はたして、こんな漫才が、観客に面白いだろうか。せっかく台本は完璧なのに、である。相方の話が聞こえないと、笑えない。
「マンハイム=パリ旅行」の書簡にも、同じことが言える。これまでさまざまな翻訳本が出版されてきたが、モーツァルトの手紙しか訳されてこなかった。そこには、相方にあたるレオポルトの手紙がなかったのである。本書では、親子の丁々発止の会話が読者の目に飛び込んでくる。往復書簡という形で、とても興味深いことばの掛け合いが演じられるのである。
2004年よりモーツァルトバー・キール(http://www.biwa.ne.jp/udtsibow/)を主宰。開店当初から、モーツァルトに関わるさまざまなテーマを設定して、毎月レコード鑑賞会を実施。また、2010年より地方紙『滋賀報知新聞』に月1度、「モーツァルトコラム」を投稿。コラムは現在第4シリーズ『ステージパパ・レオポルトの本音』に突入、インタビュー形式で、ヴォルフガングの実像に迫ろうとしている。大学では哲学専攻、当時の研究テーマは「スピノザ」、現在はひたすら「モーツァルト」。手紙を通してドイツ語で語るモーツァルトの生の声を聞くことが最大の楽しみ
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