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2025.01.11
音楽を奏でる絵 #4

【音楽を奏でる絵】「シューベルティアーデ」の画家が求めた音楽と絵画の調和

西洋美術の歴史の中から音楽の情景が描かれた作品を選び、背景に潜む画家と音楽の関係、芸術家たちの交流、当時の音楽社会を探っていく連載。第4回は、オーストリア生まれの画家モーリッツ・フォン・シュヴィント。友人シューベルトとその仲間を描いた「シューベルティアーデ」の作者であり、音楽と絵画の調和を考え続けました。現在もウィーン国立歌劇場のホワイエにその名が生き続けています。

野々山 順子
野々山 順子 音楽/美術ライター

桐朋女子高等学校音楽科、桐朋学園大学ピアノ科(江戸京子氏に師事)を経て、コロンビア大学教養学部卒業(音楽、美術史を専攻)。マンハッタン音楽院でピアノ、イエール大学大学...

「交響曲(シンフォニー)」(シュヴィント画、1852年)の最下部

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ウィーンで生まれ、後にミュンヘンで活躍した画家モーリッツ・フォン・シュヴィント(1804-1871)。ピアノとヴァイオリンにも堪能で、シューベルトとも歌い弾く間柄だった。シュヴィントは「彼(シューベルト)が作曲するように、私も描くことができれば」と述べ、音楽と絵画の調和を考え続けた。

1.「シュパウン家でのシューベルティアーデ」~ 40年以上を経てシューベルトと仲間を懐かしむ

「シュパウン家でのシューベルティアーデ」(1868年、ウィーン・ミュージアム)

音楽家、詩人、作家、画家や芸術愛好家が邸宅に集い、シューベルトの作品を仲間たちと鑑賞する音楽会<シューベルティアーデ>。このセピア色の絵は、1826年12月15日にシュパウン家で催された雰囲気を40年以上を経て1868年に描いたもの。31歳の若さで他界したシューベルトと仲間を懐かしみながら描いたのであろう。

ピアノを弾くシューベルトの隣で歌うのはバリトン歌手のヨハン・フォーグル。この日は30曲以上の歌曲が歌われ、ピアノが上手な官吏ガーヒーとシューベルトが連弾を何曲か弾いたという。歌曲やピアノ連弾を主に、シューベルトが即興演奏する舞踏曲に合わせるダンスや詩の朗読も楽しむのが<シューベルティアーデ>の会だった。

<シューベルティアーデ>が催され始めたのは1815年。ウィーンでは1814年から15年にかけて、ヨーロッパで長きにわたった戦争終結後の政治的な国際秩序を再建するためにウィーン会議が開かれた。その後の平和な市民文化を重んじ、慎ましくも美しい生活空間や政治色のない文学などが求められた「ビーダーマイヤー様式」と呼ばれる時代文化と重なる。

シューベルトの左側に座るのが邸宅を提供するシュパウン(官吏)、右側がフォーグル(歌手)、ラハナー(作曲家)、バウエルンフェルト(詩人)、ショーバー(詩人、台本作家)、グリルパルツァー(劇作家)など。

中央奥に掲げられた額絵は、ハンガリーの伯爵の長女であるカロリーネ・フォン・エステルハージの肖像。シューベルトは伯爵の別荘で、令嬢二人にピアノと声楽を教えた。彼が多く手がけた四手用54曲のうち、多くがここでの滞在に関係して書かれている。その中でもっとも有名な「幻想曲 D.940」は彼女に献呈されている。

▼シューベルト「幻想曲 D.940」(トラック11~14)

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シュヴィントは、フォーグルとシューベルトが幾度か共演したであろう歌曲「魔王」の主題も描いている。

「魔王」(1830年頃、ベルヴェデーレ宮殿)

▼シューベルト「魔王」

友人たちと酒場でくつろぐシューベルト(左からラハナー、シューベルト、バウエルンフェルト)1862年

2. 「交響曲(シンフォニー)」~ 音楽の形式と絵画の融合

「交響曲(シンフォニー)」(1852年、ノイエ・ピナコテーク蔵)
「交響曲(シンフォニー)」の最下部

シュヴィントは「交響曲(シンフォニー)」と題した絵画について、「物語全体が4段階で展開します。交響曲で典型的な4つの楽章に似ています」と手紙で記し、下から上の画面を次のように描写する。邸宅劇場のリハーサルでソロを歌うために立ち上がる女性歌手に惹かれる男性、再会、仮面舞踏会で告白し合う二人、新婚旅行を終え男性が妻に新居となる小さい城を示す場面。

そして交響曲の4楽章の特性に精通する画家ならではの全体構成である。最下部の画面は堅固な構図で、活気がありながら堂々とした印象が交響曲の第1楽章に通じる。左右対称に分かれた合唱団と上に配された管弦楽は、呈示部・展開部・再現部の3部から成るソナタ形式の主部になぞらえる。

幅広い長方形から上に目を移すと、小さい正方形を豊かな装飾が囲む。登場人物を少なくした親密な情景は、緩やかで抒情的な第2楽章と合う。その上は第3楽章の多くが3拍子のメヌエットやスケルツォといった舞曲であるように、場面は仮面舞踏会。スケルツォートリオースケルツォといった三部形式の構成。通常第1楽章と第4楽章が長大なように、最上部の面積が再び大きくなる。半円形や回転する馬車の車輪は、最終楽章で主題が何度か回帰するロンド形式の例も連想できよう。

シュヴィントは、この絵画はベートーヴェンの「ピアノ、合唱、管弦楽のための幻想曲Op.80」(別名《合唱幻想曲》)に基づいていると語るが、実はこの作品は交響曲のような楽章区分はなく連続して演奏される。ベートーヴェンの交響曲第5番と第6番の初演、ピアノ協奏曲第4番とハ長調ミサ抜粋を含む大イベントが1808年12月22日に企画された際、その締めくくりとして初演された曲で、ピアニスト、オーケストラ、合唱団員が一同に会する当日の壮麗なフィナーレを願った作品である。

シュヴィントは《合唱幻想曲》に登壇する大編成の音楽家たちを描きこみ、物語的描写を交響曲のように構築したのである。《合唱幻想曲》の合唱が自然を讃える歌であるように、祭壇画のような全体の枠組みの左右に植物、アーチ型の最上部にギリシア神話の東西南北を象徴する風の神を彫りに似せる画法で描いている。

▼ベートーヴェン「ピアノ、合唱、管弦楽のための幻想曲Op.80」(《合唱幻想曲》)(トラック8~13)

なお最下部の演奏場面では、ベートーヴェンの胸像が見守る下にシューベルティアーデ仲間を描き込んでいる。画面左側に歌手フォーグル、シュパウン、シューベルトが見てとれる。指揮をしているのはフランツ・ラハナーで、前で楽譜を広げるのはソプラノ歌手カロリーネ・ヘッツェンエッカー。ピアニストの隣で譜めくりするのはシュヴィント自身である。

「歌手カロリーネ・ヘッツェンエッカー」(1848年、ゲルマン国立博物館蔵)

絵画「交響曲(シンフォニー)」のヒロインのモデルは、カロリーネ・ヘッツェンエッカーというミュンヘン歌劇場で賞賛を得ていたソプラノ歌手で、シュヴィントはさまざまな役柄に扮する彼女を素描と水彩で描いた。背後にはベートーヴェンとグルックの胸像があり、この絵が描かれたのは、当時ミュンヘンで人気があった旧オデオン劇場とされる。

3. 「森の中で:少年の魔法の角笛」~ 自然との「協奏」曲

「森の中で:少年の魔法の角笛」(1848年、シャック・ギャラリー蔵)

シュヴィントは、童話や妖精などもテーマに描いた。「ドイツ画家の挿絵による詩文集」(1846-47年)でヴァオルフガング・ミューラーの詩「森の中で」の挿絵を描いた後、油彩画も残す。森の中で黄褐色の光明や木の葉の音が聞こえてきそうな情景が、独り角笛を手にする少年に合奏を促しているかのよう。大木の幹や枝と少年が上げる手足を同じような傾斜で描いて統一感を出し、森の中の「協奏」曲が聞こえてきそうなイメージだ。

なおシュヴィントの大作では、ドイツのヴァルトブルク城内にある壁画「歌合戦」(1855年)がある。描かれているのは13世紀にこの城で繰り広げられた騎士歌人たちによる伝説的な歌合戦で、ワーグナーは楽劇「タンホイザー」の題材にした。

ウィーン国立歌劇場では、ロッジアの《魔笛》連作やホワイエのフレスコ画(1863-67年)がシュヴィントによるもの。オペラ作品などの場面を描いた画家の名を冠して「シュヴィント・ホワイエ」と呼ばれる。

野々山 順子
野々山 順子 音楽/美術ライター

桐朋女子高等学校音楽科、桐朋学園大学ピアノ科(江戸京子氏に師事)を経て、コロンビア大学教養学部卒業(音楽、美術史を専攻)。マンハッタン音楽院でピアノ、イエール大学大学...

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