絶望クリスマス──ゲーテの『ウェルテル』に学ぶ、ホリデーブルーの乗り切りかた
すべての人にとってクリスマスが楽しい季節なわけではありません。欧米ではクリスマスが近づくと気持ちが沈む「ホリデーブルー」という現象も知られています。
もし、あなたが何かに絶望して、クリスマスを楽しく過ごせないなら、頭木弘樹さんが紹介してくれたゲーテの言葉を読んでみてください。ゲーテが書いた永遠の名小説『若きウェルテルの悩み』をテーマに、マスネの音楽も紹介する「絶望クリスマス」は、ホリデーブルーな人々への力強いメッセージです。
筑波大学卒業。大学三年の二十歳のときに難病になり、十三年間の闘病生活を送る。そのときにカフカの言葉が救いとなった経験から、『絶望名人カフカの人生論』(飛鳥新社/新潮文...
それを読むと自殺する発禁本
昔、それを見ると死ぬというビデオが出てくる『リング』という映画がありました。
さらに昔には、それを読むと自殺するというので、発禁騒ぎになった本が現実に存在しました。
それが、ゲーテの『若きウェルテルの悩み』です。
自殺の報道があると、それに影響されて、自殺者が増えるのですが、その現象をことを「ウェルテル効果」と言います。
これもゲーテの『若きウェルテルの悩み』からきた名称です。
といっても、『リング』のようなホラーではなく、『若きウェルテルの悩み』は恋愛小説です。
青年ウェルテルは、シャルロッテという女性を心から愛し、シャルロッテもまたウェルテルを愛するように。
でも、彼女にはすでに婚約者がいて、恋をかなえることのできないウェルテルは、苦悩し絶望して、自殺します。
そんな情熱的な物語です。
ゲーテとシャルロッテの恋
じつは、これはほとんど実話で、しかもゲーテ自身が経験したことです。
ゲーテは若い頃、父親に強制されて大学で法律を学び(当人は作家になりたかったのです)、ヴェッツラーという都市の高等法務院に研修に行かされました。
そこで出会ったのが、シャルロッテという女性です。
いままさに幸福を知った!
心をわしづかみにされたのだ、
女性の魅力的な姿に。
(情熱三部作 ウェルテルに)
ゲーテは22歳、シャルロッテは19歳。
ゲーテはシャルロッテに恋をします。
シャルロッテもゲーテに思いを寄せます。
あの人がわたしを愛している!
──そのときから、
わたしは自分自身に、
どれほど価値を感じられるようになったことか。
(若きウェルテルの悩み)
神が聖者のためにとっておいたような幸福な日々を、わたしは送っている。
この先、自分の身に何が起きようと、人生の喜びを、
最も純粋な喜びを味わったのだと言っていい。
(若きウェルテルの悩み)
右:シャルロッテのモデルとなったシャルロッテ・ゾフィー・ヘンリエッテ・ブッフ(後にケストナー)
自分が自殺する前に、友達が自殺した
しかし、シャルロッテは、ゲーテの友人の婚約者でした。
ゲーテは絶望し、故郷のフランクフルトに帰って行きます。
そして、自殺を考えます。
わたしは短剣をいつもベッドのそばに置き、灯りを消す前に、
その鋭い切っ先を胸に突き刺せないものか、試してみていた。
(自伝 詩と真実)
そんなとき、ヴェッツラーでの友人のひとりが、人妻へのかなわぬ恋に絶望して自殺したという知らせが届きます。
その衝撃の中で、一カ月ほどで一気に書き上げたのが、この小説です。
『若きウェルテルの悩み』はゲーテが25歳のときに出版され、ドイツ国内はもとより、ヨーロッパ各国で翻訳され、さらに中国でまで翻訳されるという、大ベトスセラーになりました。
当時、ドイツは文化的に遅れていると見なされていて、ドイツの小説がヨーロッパ中で評価されたのは、初めてのことでした。
あのナポレオンも愛読者で、わざわざゲーテに会いに来たほどです。
本が人の命を左右する
ところが、かなわぬ恋に苦しんで自殺する主人公のウェルテルにあこがれて、まねをして自殺する若者が急増しました。
本に書いてあるウェルテルの服装と、同じ服装をして死ぬ者も少なくなかったので、影響はあきらかでした。
そのため、あちこちで発禁になりました。読むのを禁止するところ、販売を禁止するところ、印刷さえ禁止するところ、読んだら罰金、売ったら罰金、大変な騒ぎです。
当のゲーテとは言うと、自殺しませんでした。
この小説を書くことで、自殺せずにすんだのです。
あらいざらい懺悔した後のように、
わたしはほっとして、解放された気がした。
新しい人生に踏み出していけると感じた。
現実を詩に変えたことによって、
わたしは今や、気が楽になり、晴れ晴れした気持ちだった。
(自伝 詩と真実)
ある人がゲーテのところに行って、「あなたの『若きフェルテルの悩み』を抱いて自殺した人がありますよ』と報告すると、ゲーテは不思議そうにいった。
「へえ。わたしはあれを書いて煩悶から抜け出したんだがね」
(三浦一郎『世界史こぼれ話 2』角川文庫)
『若きウェルテルの悩み』を読んで、自殺した人がたくさんいたわけですが、その一方で、ゲーテ自身のように、自殺を思いとどまった人も、じつはもっとたくさんいたのではないでしょうか? 自殺した人とちがって、そういう人がいたということがわからなかっただけで。
芸術にはそういう力があるのではないかと思います。
『若きウェルテルの悩み』が出版されたのは、日本で杉田玄白らが『解体新書』を出版した頃です。
その頃から、240年以上、読まれ続けている恋愛小説。それがゲーテの『若きウェルテルの悩み』です。
今でも、多くの人のトラウマ本となり、あるいは失恋に苦しむ人の救いとなっているのですから、すごいことだと思います。
クリスマスの絶望
なぜ、クリスマスなのに、自殺の話とか、『若きウェルテルの悩み』の話をしたかというと、じつは欧米ではクリスマス時期の自殺者がとても多いのだそうです。
自殺を禁じるキリスト教の信者が多いなかで不思議なことですが、クリスマスなのに、自分には救いが来なかったことに絶望してしまうのです。
そして、『若きウェルテルの悩み』の主人公のウェルテルが自殺するのも、クリスマスの前なのです。
クリスマスの前に、ウェルテルは最後にシャルロッテのところを訪れて、「オルシアンの歌」を読みます。
その詩に2人の恋愛を重ね合わせて、ウェルテルもシャルロッテも激しく心を動かされ、涙を流します。
その名シーンがアリアとして歌い上げられるオペラ《ウェルテル》(ジュール・マスネ作曲)が、来年3月に新国立劇場で上演予定とのことです。小説で読むのもいいのですが、じつに激しい感情の渦巻く物語ですから、オペラがぴったりだと思います。
マスネ 歌劇《ウェルテル》~アリア「春風よ、なぜ私を目覚めさせるのか(オルシアンの歌)」
ロベルト・アラーニャ(ウェルテル)
マスネ 歌劇《ウェルテル》~最終場面 (ウェルテル: ヨナス・カウフマン/シャルロッテ: ソフィー・コシュ /アラン・アルティノグリュ指揮: メトロポリタン歌劇場管弦楽団)
原作と異なり、オペラでは瀕死のウェルテルのもとにシャルロッテが駆けつける。舞台裏からは、クリスマス・キャロルを練習する子どもたちの歌声が聴こえてくる。
世間が華やかだからこそ、よけい落ち込む人もいる
クリスマスからお正月にかけては、世間が華やぎ、にぎやかに盛り上がり、道を歩いている人たちも、とても楽しそうに見えます。
悲しんでいる人、孤独な人、絶望している人にとっては、ますます落ち込んでしまう時期でもあります。
私も、クリスマスやお正月の多くを病院で過ごしましたから、まさにそうでした。
この記事を読んで、クリスマスになんてことを書くんだと思った方もおられるでしょうが、世間が明るいものばかりになる時期だけに、あえてこういうものも書いてみました。
今、落ち込んでいる人は、ぜひゲーテなどの文学や、音楽や、絵画などの芸術にひたってみてください。
芸術というのは、精神的に余裕のある人が教養を身につけるためにたしなむ、というようなものではありません。じつは劇薬であり、精神的に追い詰められている人にとっては、命綱となってくれることもあります。
私も人生の崖を踏み外したとき、文学や音楽や絵画などの命綱に助けられて、なんとか生きてきました。
頭木弘樹・編訳 草思社文庫
二人が対話しているかのように、ゲーテの前向きな言葉と、カフカの後ろ向きな言葉を並べました。二人のエピソードもたくさん書きました。希望と絶望の「間」の本。
大宮勘一郎 ・編訳
集英社文庫ヘリテージシリーズ
『若きヴェルターの悩み』という人名もドイツ語読みの新訳が収録されていて、自分を「俺」と呼ぶヴェルター(ウェルテル)が斬新です。
ジュール・マスネ《ウェルテル》(フランス語上演/字幕付き)
日時:
2019年3月19日(火)18:30
2019年3月21日(木・祝)14:00
2019年3月24日(日)14:00
2019年3月26日(火)14:00
出演:
ウェルテル: サイミール・ピルグ
シャルロット: 藤村実穂子
アルベール : 黒田博
演出: ニコラ・ジョエル
ポール・ダニエル指揮 東京交響楽団
【お問い合わせ先】
新国立劇場ボックスオフィス
tel.03-5352-9999
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