ワルター・ギーゼキング来日、N響とブラームス「ピアノ協奏曲第2番」他を共演
日本で最初の音楽カメラマンといわれる小原敬司(おはら けいじ/1896-1986)が記録した膨大な数の写真のネガ約24万コマが、昭和音楽大学附属図書館に所蔵されています。
6年ほど前から少しずつ、そのアーカイヴをリサーチしてきた林田直樹さんが、その1枚1枚を丁寧に見てきた中で、これは特に重要と考えられるカットをこの連載でご紹介していきます。
1963年埼玉県生まれ。慶應義塾大学文学部を卒業、音楽之友社で楽譜・書籍・月刊誌「音楽の友」「レコード芸術」の編集を経て独立。オペラ、バレエから現代音楽やクロスオーバ...
モーツァルトやベートーヴェン、ドビュッシーやラヴェルなどで不滅の名演奏を残した、フランスのリヨン生まれでドイツ系の大ピアニスト、ワルター・ギーゼキング(1895-1956)の初来日公演が、1956年(昭和28年)の春に読売新聞社の招聘で実現した。
東京では日比谷公会堂でのリサイタル(3月16日)に加え、クルト・ヴェス指揮NHK交響楽団の第345回定期公演(同19、20日)でモーツァルトの「ピアノ協奏曲第23番」とブラームスの「ピアノ協奏曲第2番」を演奏。同じコンビでベートーヴェン《皇帝》などを演奏した特別演奏会(同21、24日)も開かれ、地方都市でのリサイタルが続き、東京放送(現TBS)での観客を入れてのスタジオ・ライブの放送も行なわれた。当時の録音の一部はCD化もされている。
記者会見は3月14日の午後1時に読売新聞社の会議室で行なわれた。カメラマン小原敬司はギーゼキングのすぐ前から、巨匠の体温の伝わってくるような素晴らしいスナップを撮影した。
午後2時からは帝国ホテルでレセプション・パーティが催されたと当時の記録にあるが、それがもし本当なら、記者会見はごく短時間で済ませ、すぐに車で向かったのだろう。
レセプションにはN響の常任指揮者クルト・ヴェス、コンサートマスターのパウル・クリング、NHK会長の古垣鐵郎、楽壇の大御所のヴァイオリニスト安藤幸、JAPAN TIMESの音楽批評を担当するマルセル・グリリ、音楽評論家の属啓成、音楽学者のクラウス・プリングスハイムらも姿を見せた。日本側の大歓迎ぶりにはさぞかしギーゼキングも嬉しい喜びを覚えたことだろう。
リサイタルでは数多くのアンコール曲を演奏、当時足を運んだ人の話によると、ステージに出てきてピアノの前に座ってから、「はて何を演奏しよう?」と考える様子も見られたという。手の内に入ったレパートリーも膨大なものだった。
3年後には惜しくも60歳で急死したギーゼキング。唯一の来日公演は貴重な機会であった。
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