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2018.07.22
オントリちゃんとゆく! 日本全国オンガクの旅 File.02

『箱根八里』が描いた道をゆく! 箱根の山の険しさや武士の逞しさはいかほどか?

鳥居忱作詞・滝廉太郎作曲の『箱根八里』。箱根の山の険しさ、それを越えていく武士の逞しさを描いた曲だが、それは実際にどれほど険しいのか? 身をもってその険しさを知れば、この曲をもっと味わえるのではないか?

……そう考えた「健脚自慢の音楽ライター」小島綾野さんは、若葉萌える5月、オントリちゃんとともに箱根の山に挑んだ。

歩いた人
小島綾野
歩いた人
小島綾野 音楽ライター

専門は学校音楽教育(音楽科授業、音楽系部活動など)。月刊誌『教育音楽』『バンドジャーナル』などで取材・執筆多数。近著に『音楽の授業で大切なこと』(共著・東洋館出版社)...

写真:小島綾野

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『箱根八里』 鳥居忱(まこと)作詞・滝廉太郎作曲

箱根の山は、天下の険

函谷関も ものならず

万丈の山、千尋の谷

前にそびえ、後方にさそう

雲は山を巡り、霧は谷を閉ざす

昼なお暗き杉の並木

羊腸の小径は苔滑らか

一夫関に当たるや、万夫も開くなし

天下に旅する剛気の武士

大刀腰に足駄がけ

八里の岩根踏みならす

かくこそありしか、往時の武士

小田原~箱根湯本:いざ、箱根八里に挑む

「箱根八里」とは、東京と京都を結ぶ東海道五十三次のうち、小田原宿(神奈川県小田原市)~三島宿(静岡県三島市)の8里(約32km)の区間を指す。現在では車で越えるのはわけないが、もとは東海道最大の難所だった。

某は小田原駅で電車を下り、そこから1kmほどの国道1号線沿いにある小田原一里塚跡へ。

片側3車線の現代的な道路で見過ごしてしまいそうな碑だが、某とオントリにとっては冒険のスタート地点だ。

小田原一里塚跡。東海道の起点は、日本橋から20番目の一里塚だ
小田原の市街地では国道1号線を歩く

小田原駅箱根湯本駅を結ぶ箱根登山鉄道に沿い、しばし幹線道路のありふれた風景を進む。国道1号線、およびそれに並行した住宅地を行ったり来たりする旧東海道を歩いていくと、風祭駅周辺はかまぼこ博物館やレストランなどが並び観光客で賑わう。その脇を通り抜けたら「風祭一里塚跡」だ。小田原から4km、箱根八里の1/8を達成。

上:風祭周辺は箱根登山鉄道と並行
右:風祭一里塚跡。この辺りはごく普通の住宅地

箱根湯本~畑宿:憧れた「石畳の道」の理想と現実

小田原市から箱根町に入ると、箱根湯本駅の手前にある三枚橋……ここから見る湯本駅の駅舎は、小田急のポスターなどで見る「箱根」そのものだ。だが駅には向かわず、橋を渡って駅の対岸を走る旧東海道へ。お土産屋さんが立ち並ぶ駅前の商店街とは異なり、素朴で落ち着いた旧街道には老舗旅館や民宿などが軒を連ねる。

その一角には「旧東海道石畳」なる、歴史の香る遊歩道も。アスファルトの車道から揚々と石畳を踏みしめ、「これが『往時の武士』が歩いた道……!」と感慨にふけるが……思ったより歩きにくい。つるんとした石の表面は滑りやすく、凸凹も不規則で気が抜けず、ちょっとした下り坂にもものすごい集中力を要する。「歩く」という行為がこんなに難しいのか……と思ったのは、初めて歩いた1歳の頃以来かもしれない(?)。

しかし、この石畳は数百mでいったん終わり、再び温泉街を縫う車道へ。2つ目の一里塚「湯本茶屋」を過ぎた奥湯本には有名リゾートが経営する温泉旅館もあり、高級車が行き来する。

その脇で、きつくなってきた上り坂に息をつきながら進む某とオントリは、まだ何も知らなかった。この程度の坂は、箱根の山の序の口ですらないことを……。

三枚橋から箱根湯本駅を望む
駅前の商店街と違い、旧街道は落ち着いた雰囲気
初体験の石畳を踏みしめながら、旅館の裏手を進んでいく
バスが通る旧街道をひたすら山の方へ

旧街道を進み、箱根新道須雲川インターを越えるともう旅館はなく、のどかな山間の里といった趣。そして地図はヘアピンカーブに。

「なんでこんなに大回り?」と思いながら現地に至ると……さもありなん、勾配が急だということだ。2次元の地図からそれを想像しえなかった己の貧困な読解力に苦笑しつつ、エンジンをめいっぱい吹かす車の脇でえっほえっほと坂を上り、カラフルな大天狗山神社を過ぎると……いよいよ江戸時代の旅人も歩いた、石畳の道が本格的に始まる。

須雲川インター周辺から。これから向かう山上は雲に隠れて見えず……
坂の中腹に建つ大天狗山神社。鳥居はふもとの須雲川集落からもよく見える
道路脇に口を開ける石畳の道。この辺りでは「須雲川自然探勝歩道」というハイキングコースも兼ねている

この辺りから先では、アスファルトで舗装されたバス通りの「旧東海道」とつかず離れずの形で、「箱根旧街道」と称された石畳の道が国指定史跡として保全されている。できる限り江戸時代の石畳そのものが保存され、必要なところは面影を極力残す形で修復。ところどころに説明の看板もあり、悠久の歴史を感じながら歩きたいという旅人を歓迎する。

石畳が整備されたのは江戸時代のこと。それ以前は雨が降ると脛まで足を取られるほどの泥道で、竹を敷き詰めた舗装がされていたそうだが(頻繁な補修の度に莫大な手間がかかった)、石畳が敷かれて往来はぐっと便利になったという。

平成の人間にはそれでも歩きにくいが、道ができる・整備されるとはただの土木工事にあらず、そこを通る人やモノの可能性を格段に広げ、社会や未来を変えるということだ。現在でも東海道は日本を代表する大都市をつないでいるが、それらの発展の一端は、この道に石を並べた名も知れぬ江戸時代の人々にあるに違いない。

この表示があるところは、江戸時代の石をそのまま残している部分。それ以外の場所もできるだけ江戸の面影を残しつつ修復されている

たくさんの市井の人々や侍、飛脚、参勤交代の大名行列が踏みしめた石畳を進む。時折ぽっかりとバス通りにぶつかり、それを横断するとまたガードレールの切れ目から石畳の道が続く。過去と現在を行き来するような遊歩道は、当然のことながら延々と続く上り坂……やがて石畳の道が民家の脇にひょっこり顔を出すと、畑宿の集落だ。

畑宿は箱根寄木細工の中心地で、今も工房が軒を連ねる通りをつかの間歩く。すると出会えるのは「畑宿一里塚」、道の左右にこんもり盛られた土に大木が葉陰を落とし、旅人に一服の涼をもたらす。

時にはこんな木橋も。森林浴にも最適だ
畑宿の集落には寄木細工の工房が軒を連ねる
畑宿の「金指寄せ木工芸館」。からくり箱やお盆などの他、音楽ファンが惹かれるモダンなインテリアも
畑宿一里塚。明治時代の道路整備で一里塚の多くが取り壊され、左右一対の塚が残っているのは珍しいようだ
塚に植えられた大木の葉陰は、旅人の癒しだった

今も長期間のプロジェクトなどで途中の目標を達成したら「一里塚を越えた」と言うが、そもそも一里塚たるものを知っていただろうか。

時に数百kmにわたる徒歩の旅をする人々が腰を下ろして一息つき、ここまで辿り着いた自分の足を労ったり、先の道程を想ったりしたのだろう……と、「一里塚」という言葉の重みをも改めて知る。

そして旧街道は再び石畳の道へ。「羊腸の小径は苔滑らか」と歌われるとおり、苔むして曲がりくねる森の小径は静謐さをもたたえ、さらに勾配はきつくなっていく。

畑宿~甘酒茶屋:「天下の険」を身をもって知る

車道でも「箱根七曲り」と称され、ヘアピンカーブが続く辺り。地図を見ても等高線がみっしりと詰まり、急峻な山肌を物語っている。だが、石畳の旧街道は、なんとそれをまっすぐに上っていく。

箱根八里のあらゆる坂には「女転坂」(馬に乗った女性の旅人が、この辺りで落馬して命を落としたそう)や「割石坂」(刀で巨石を真っ二つにした強者がいたとか)など由来ある名前がついているのだが、畑宿から続く上り坂はことさらに熾烈である。

もっとも苦しいのは「橿木坂(かしのきざか)」……もはや崖に近い傾斜は、現在は階段になっているが、江戸時代に編まれた『東海道名所記』には、「おとこ、かくぞよみける。『橿木のさかをこゆればくるしくて、どんぐりほどの涙こぼる』」という記述があるそう(現地の案内板より)。

現代人よりはるかに健脚なはずの江戸の旅人、しかも壮健な男性がどんぐりほど大粒の涙をこぼす坂……その辛さはどれほどだというのか。

緑に隠れて終わりの見えぬ階段の中腹で、音楽ライター某はどんぐり……否たわわに実る巨峰のような涙をこぼした。小田原から延々続く上り坂を3里、既に普段の生活を遥かに凌ぐ酷使をした足はなかなか上がらず、太もももふくらはぎも痛い。足を踏み外せば大ケガでは済まなそうな急坂で、もう帰りたいバス乗りたい温泉入りたいこんな体当たりチャレンジやめたい……と思ったところで、この坂を上るか下るかしなければそれもできるはずがなく……

車道と石畳の道を行ったり来たりしながら、街道最大の急斜面に挑む
先の見えない橿木坂の階段。だが江戸の頃には階段ですらない急斜面だったようだ
木々の間からわずかに見えるのは箱根湯本の街。こんなに歩いてきたのか

 

そもそも『箱根八里』という曲は、付点のリズムが勇ましさを表しているといわれるが、実際はあんなに意気揚々と歩けるような道程ではない(ことが身をもってわかった)。

「天下の険」の只中で途方に暮れ「あんなのウソだー!」と叫びたくもなる某だが、たとえば《惑星》を作曲したホルストとて宇宙飛行士ではないのだし、音楽とは事実を正確無比に描くことを目的としたものではないはずだ。むしろ、優れた音楽が鮮やかに描くイメージは、見たことのない景色を脳裏に描かせ、行ったことのない場所に人々の意識を誘う。

だから、某が『箱根八里』の名旋律を口ずさみ、「本当の箱根八里とはどんなものなのだろう」と想像や期待を膨らませて、実際に今この天下の険に足を運んでいる……それ自体がこの曲の魅力の証左の1つということではなかろうか。

そんなことを考えつつ、それでも1段1段と上っていくと……どんな坂にも必ず終わりは来る。やっと階段を上りきると、ほどなくして現れるのが「甘酒茶屋」だ。

甘酒茶屋手前の猿滑坂。「猿も滑るほどの危険な坂」という意味だそう
甘酒茶屋はまるで昔話のような店構え

茅葺屋根の軒先に藤が咲きこぼれる甘酒茶屋は、江戸の昔から旅人を労ってきた休息処で、車やバスで乗り付ける観光客も多い。橿木坂で疲れ果てた某が命からがら訪ねると、土間や囲炉裏のある板の間、その奥に続く畳の間や縁側に席が設けられ、人々が癒しを得ていた。

熱々の甘酒をすすると優しい糖分が滋味深く染みわたり、炭火で焼かれた力餅を頬張れば体力があっという間に回復。

今までなぜ「力餅」とか、餅の入ったうどんを「力うどん」と称したりするのかと首を傾げていたのだが、これは確かに底をついた力がもりもり湧いてくる。この発見は、車ではなく徒歩で坂を上った者にしか体感できないご褒美ではなかろうか(もちろん車で行っても、甘酒茶屋の甘酒やお餅はおいしいです!)。

甘酒茶屋~箱根宿:やっと辿り着いた芦ノ湖

体力をフルチャージし、再び出発。甘酒茶屋から少し進むと「旧街道石畳」というバス停があり、ここからは芦ノ湖まで残りわずかな区間を楽しんで歩ける、手軽なハイキングルートとしてガイドブック等にも紹介されている。

小田原から歩いてきた某とオントリにとってはラストスパート、林の中の上り坂を進み、標高約800mの旧東海道最高地点を過ぎると、視界がぽっかりと開ける。遠くかすんで見えるのは芦ノ湖、そして(晴れていれば見えるのは)富士山だ。

旧街道最高地点、そして芦ノ湖までラストスパート!この日は雨上がりで路肩がぬかるみ、石畳がどれだけ水はけを解消してくれているかも実感

目視できたゴールに心が高鳴り、疲れ切った足に鞭打って石畳の坂を転がり下りていく。やがて車道に出ると、間近に迫る芦ノ湖の湖面と箱根神社の大鳥居。湖畔にある4つ目の一里塚「葭原久保一里塚」を通過しつつ、「ひ~るなおくらき、す~ぎ~のなみき♪」と口ずさみながら杉並木を歩く(平らな道って、こんなに余裕がもてるのか!)。

そして辿り着いた芦ノ湖!
芦ノ湖畔にある箱根神社の大鳥居の脇にはバスターミナルや遊覧船乗り場もあり、元箱根観光の起点になっている

江戸時代に植えられた樹齢400年ほどの大木が続き、恩賜箱根公園に辿り着くとその駐車場脇には『箱根八里』の歌碑がある。

そして、至るのは箱根関所跡。江戸と京を移動する人々を管理した、いわば出入国審査だ。『箱根八里』にも「一夫関に当たるや、万夫も開くなし」とあるが、箱根関所は厳しいことで知られ、それも「箱根の山は天下の険」と謳われる理由の1つだったよう。役人が通行人を検めた部屋や関所破りを拘留した牢などが復元されており、隣の資料館では関所破りをした者の悲惨な末路なども伺い知れる。

関所を通過した先にあるのは、箱根宿に端を発する旅館街。『東海道中膝栗毛』の弥次さん・喜多さんをはじめ、江戸の旅人は小田原から三島へ1日で到達する者も多かったようだが、某とオントリはここで1泊。箱根の温泉で全身の筋肉痛を揉みほぐした。

恩賜箱根公園にある『箱根八里』の歌碑
箱根関所を、足軽が見張っていた展望台から眺める。旧街道を塞ぐように鎮座する関所は芦ノ湖と背後の山々に阻まれ、天然の要塞となっていた

箱根宿~三島:富士山を眺めながら歩く「箱根西坂」

宿を発ち、わずかな上り坂を経て箱根峠を越えると静岡県に入る。

ついに箱根峠越え!

小田原から箱根宿へのアプローチを「箱根東坂」、三島からのアプローチを「箱根西坂」と呼ぶのだが、西坂は東坂に比べて格段に歩きやすく、また基本的に尾根伝いのため見晴らしもいい。

石畳のなだらかな坂を鼻歌交じりに下りていくと、あらゆるところで富士山を望める。山中新田の一里塚跡、行き倒れた旅人を供養した念仏石や豊臣秀吉によって滅ぼされたという山中城跡など、戦国時代からの歴史を伺えるスポットを辿りながらずんずん進んでいくと、2017年にできた新名所「三島スカイウォーク」が聳える。

天候にも恵まれ、西坂の旅はハイキングのように快適なものとなった
ぽっかり浮かぶ雲を見ながら歩く時間は、様々な雑事を忘れて己を省みる機会にもなる
雲が切れ、この旅で初めて富士山を拝む。江戸の旅人もこんなふうに富士を仰いだだろうか
日本一の大吊橋・三島スカイウォーク。たもとにある売店では「みしまコロッケ」などの名物もいただける
スカイウォークからの眺望。風や客の足踏みなどでわずかに揺れる

日本最長・400mの大吊橋からは富士山と駿河湾が一望でき、観光バスで乗りつけた世界中の旅行者が絶景に歓声を上げる。長い歴史を持つ街道は21世紀にもなお新たな歴史を刻み、世界の旅人を往来に迎え入れる。

笹原一里塚、そして急な傾斜に背負った米が体温で蒸されてしまうと言い伝えられる「こわめし坂」も、現在では住宅街の一角。点在する寺社に咲き乱れる初夏の花々に癒されながら歩を進めていくと、伊豆縦貫道路三島塚原インターへ。「羊腸の小径」を辿ってきた旅人は、見慣れたはずの近代的な道路に目を丸くする。

そしてインターからほどなく、1号線を挟んで現存するのが「錦田一里塚」。江戸と平成が共存する道端で一息つくと、その先はもう三島の市街地だ。ほどなくして三嶋大社に到着! 広々とした境内を散策しながら旅の完遂をお礼し、大社周辺の三島宿跡をこの旅のゴールとした。

西坂の旅路はほぼ富士山と一緒。どこもかしこも絶景で、ここに暮らす人々が羨ましい
松並木が続く錦田一里塚周辺。左手の草壁の向こうは国道1号線で、車がばんばん通っている
三嶋大社に到着。広い境内には池などもあり、市民の憩いの場にもなっている

某のスマートフォンのアプリによると、歩いた距離は40km弱(バス通りと行き来するなどして、8里=約32kmよりも長くなったよう)、かかった時間は東坂・西坂ともに6時間ほど。東坂では1000mほどの高度上昇と300mほどの下降、西坂でも300mほどの上昇と1000mほどの下降を記録していた。

なお、箱根八里ウォーキングに関する情報は、徒歩での東海道巡りを趣味とする先達らのウェブサイトや、小田原市・箱根町・三島市で発行されているパンフレットなどで得られる。観光案内所でも旧街道歩きについての質問は多いようで、某が小田原駅の案内所を訪ねると、慣れたスタッフの方がサッと地図を出してくれた。また、箱根湯本にある町立の郷土資料館にも箱根路の歴史は詳しい。道中で出逢い、某に情報を分けてくださった面々に、心からの感謝を申し上げる。そして、長い旅路にここまで同行してくださった読者諸氏にも深謝……もしや某の筋肉痛が感染していないだろうか、心配である。

「かくこそありけれ、往時の武士」……江戸の武士の勇ましい姿を『箱根八里』はそう描いた。平成の音楽ライターの汗と涙にまみれたヘッポコな旅姿も、長い歴史の中でこの「箱根八里」に刻まれた、無数の足跡の1つになったのだ(と自負)。

三島駅近くの本陣(参勤交代の際に大名が泊まる宿)跡。
現代の街角に、ふいに表れる歴史の面影を探すのも楽しい
歩いた人
小島綾野
歩いた人
小島綾野 音楽ライター

専門は学校音楽教育(音楽科授業、音楽系部活動など)。月刊誌『教育音楽』『バンドジャーナル』などで取材・執筆多数。近著に『音楽の授業で大切なこと』(共著・東洋館出版社)...

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