アリーナライヴでは聴くことができない貴重な演奏が詰まったトム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズ フィルモアのライブ4枚組は傑作だ
ラジオのように! 心に沁みる音楽、今聴くべき音楽を書き綴る。
Stereo×WebマガジンONTOMO連携企画として、ピーター・バラカンさんの「自分の好きな音楽をみんなにも聴かせたい!」という情熱溢れる連載をアーカイブ掲載します。
●アーティスト名、地名などは筆者の発音通りに表記しています。
●本記事は『Stereo』2023年2月号に掲載されたものです。
ロン ドン大学卒業後来日、日本の音楽系出版社やYMOのマネッジメントを経て音楽系のキャスターとなる。以後テレビやFMで活躍中。また多くの書籍の執筆や、音楽イヘ...
電撃的な出会いにもかかわらずプロモーションに失敗
ぼくは1970年代音楽出版社で働いていました。主にアメリカとイギリスの楽曲の権利を日本で管理する仕事ですが、ぼくが担当していた中にLAのシェルター・レーベルに所属するアーティストの曲が含まれていました。
元々リオン・ラセルとプロデューサーのデニー・コーデルが立ち上げた会社で、1976年にデニー・コーデルが手がけた新人グループのデビュー・アルバムが届きました。それがトム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズとの電撃的な出会いでした。
一度聴いただけでこれが間違いなく大物になると確信したものの、当時日本でシェルターの権利を持っていたレコード会社に連絡すると全然積極的ではなかったのです。
その理由はルックス。若い女性に受けるようなものでなければプロモーションに力を入れないとあっさり言われ、がっくりきました。レコード会社が売る気にならなければ音楽出版社は大したことができません。その時にぼくは自分の仕事に限界を痛感し、段々やる気を失っていったのです。
でも、あのアルバムのジャケットは確かに中身とのバランスが悪いと思います。黒のTシャツの上にバイカー風の黒い革ジャン、その下で肩にかけた弾丸ベルトがちらりと見えるトムの表情はゆがんだ笑顔というか、何か悪さをしそうな感じです。
そのせいか、アメリカよりちょうどパンク・ロックで盛り上がっていたイギリスの方で人気が出ました。2作目のアルバムはチャートの40位以内に入りましたが、1979年に発表された3作目『Damn The Torpedoes』が大ヒットし、80年代以降はアメリカを代表するロックンロール・バンドの一つとしてコンスタントにアルバムでもライヴでも、トム・ペティが2017年に亡くなるまで人気を保ち続けました。
ロス・ロボスと並びアメリカの理想的なバンド
日本には1980年に単独ツアー、また86年には基本的にボブ・ディランのバック・バンドとしても来日しましたが、その後は来ていません。どういうわけかこのバンドは日本では人気が今一つ出なかったけれど、ぼくの感覚で言えばロス・ロボスと並んでアメリカの理想的なロックンロール・バンドといえます。
トムは1950年生まれなのでアルバム・デビューした時にはすでに20代半ば。長いこと故郷のフロリダ州北部で数多くの小さい会場でライヴを繰り返し、ハンブルグ時代のビートルズと同じようにそうして演奏力を身に着けたことが後になって功を奏しています。
1986年にライヴ・アルバムが出ていますし、2009年に発表されたCD4枚組『The Live Anthology』ではアメリカ各地のさまざまな時期の演奏がぎっしりと詰まっていて、自作の他に粋なカヴァー曲も色々と含まれていました。
そして今度、そのアンソロジーにも数曲収録されていたサン・フランシスコのフィルモアでの1997年のライヴが改めて4枚組のCDボックスで発表されました。
1997年というとトム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズが出演するところはアリーナと決まっています。その規模となると集まってくる多くのファンが聴きたいのはヒット曲で、照明などの関係もあって大掛かりなコンサートでセット・リストを変更することはかなり面倒になります。
離婚したばかりのトムは若い頃のバー・バンドの感じに戻りたかったようで、アメリカの中で珍しくデビュー時からハートブレイカーズを支持してくれていたサン・フランシスコの伝説の会場で長期出演したいと言い出しました。
一度閉鎖されたフィルモアは大規模な改築工事を終えた後、1994年に営業を再開していましたが、収容人数は約1300人。結果的にハートブレイカーズは1ヶ月弱の間に20回出演し、そのうちの6回はちゃんと録音されました。ブートレグは出ていたものの、その中の音源が少しだけアンソロジーに収録された以外はまったく出回っていませんでした。
影響を受けたビートルズやバーズのカバーを含め多彩なメンバーが集結
これは傑作です。全部で58曲が収められていますが、アリーナのコンサートでは滅多に演奏しないようなカヴァーの曲が半分以上で、そのほとんどは60年代のものです。
トムが最も影響を受けたのがビートルズとバーズで、ここでバーズのロジャー・マグウィンが飛び入りで歌ったり、また近くの別の会場に出ていたジョン・リー・フカーが参加したり、このバンドの懐の深さがよく分かります。
他にはチャック・ベリー、リトル・リチャード、ボー・ディドリーのロックンロールからJ.J.ケイル、ビル・ウィザーズの「エイント・ノー・サンシャイン」、キンクスの「ユー・リアリー・ゴット・ミー」、サーフ・ロックふうに解釈した「ゴールドフィンガー」、グレイトフル・デッドの「フレンド・オブ・ザ・デヴィル」、ブカー・T &ザ・MGsの「ヒップ・ハッグ・ハー」と「グリーン・アニオンズ」、ローリング・ストーンズの「サティスファクション」……、まるでジューク・ボックス状態で続くパーティの雰囲気に観客もノリノリなので家で聴いていても興奮してきます。
ギターのマイク・キャンベルもキーボードのベンモント・テンチも随所でいいソロをとるし、94年から新たに参加したドラマーのスティーヴ・フェローニ、ベイスのハウィー・エプスティーン、リズム・ギターのスコット・サーストンは皆優れたアンサンブルのサウンドに大きく貢献しています。
もちろん彼らの名曲も含まれていて、このバンドを楽しむための最高の作品といっていいでしょう。
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