ピアニストの想いを繋ぐ、会津塗の「ピアノプレート」
400年の歴史を持つ会津塗の伝統を受け継いだ「ピアノプレート」。福西惣兵衛商店の専務・福西敦子さんの熱い想いが込められた、モダン×伝統の一品だ。会津塗の産地である福島県会津若松を訪れ、その奥深い魅力を探った。
ONTOMO編集部員/ライター。高校卒業後渡米。ニューヨーク市立大学ブルックリン校音楽院卒。趣味は爆音音楽鑑賞と読書(SFと翻訳ものとノンフィクションが好物)。音楽は...
春の兆しが見え始めた3月中旬。福西惣兵衛商店の専務・福西敦子さんが、「ピアノプレート」を携えて遠路はるばる神楽坂の編集部を訪ねて下さった。
グランドピアノの表面を思わせる艶やかな黒色に、同じくピアノを弾く筆者も魅入られてしまった。
ピアノに限らず楽器はなんでも、単なる愛情というには複雑すぎる感情をその奏者に抱かせるものだ。何しろ音楽はある人間の青春時代を容易に奪っていく。
敦子さんも音楽に青春時代を捧げた一人だ。大学まで専門的にピアノを学び、伝統工芸の世界に入った今もなお、音楽は彼女の一部でありつづける。
敦子さんはどのような想いでこの器を形にしたのだろうか。ご本人に伺った。
きっかけはテーブルウェアフェスティバル。ピアノ好きのお客様との出逢いから始まった
ピアノ三昧の日々から気づいたら漆器屋の女将に……
敦子さんの運営するブログに添えられた一文だ。
毎年東京で開催される器の祭典「テーブルウェアフェスティバル」に出展したときのこと。敦子さんのブログを読んだあるお客様が、「実は私もピアノを弾いているんです」とお声をかけて下さったことがきっかけで会話が弾んだ。
ある日ご自宅に招かれた敦子さんは、テーブルの上にさり気なくしつらえられた食器を目にする。「ピアノプレート」の原型となるプラスチック製のお皿だった。
「これを漆器で作ってほしいんです」
その申し出をきっかけに、商品開発が始まった。
この形と大きさになるまで、試行錯誤を繰り返したという敦子さん。
「見る人が見ればわかる」というごくシンプルなデザインだ。料理やお菓子をのせると“余白”が生まれ、グランドピアノの非対称性が強調される。敢えて鍵盤の模様を描かず、装飾を廃したのは、「主役は料理」という敦子さんの考えから。
「医食同源というように、健康のための料理。本当に美味しいものをちょんちょんとのせて、テーブルを自分の世界として楽しんでもらえたら」
どんなお菓子を盛りつけよう? 一緒にお出しするお茶は何にしよう? と考えるだけで楽しい。音楽好きのお客様なら、器をきっかけに会話が弾むこと必至だ。
「使いやすく飽きないデザインであることはもちろん、これだけものが溢れる時代だからこそ、すぐに捨てられてしまうようなものではなく、新鮮な驚きと喜びを与えられる器を作りつづけていきたいと思っています」
ピアノプレートは、伝統技術だけではなく、おもてなしの精神をも受け継いでいるようだ。
会津塗の産地、会津若松を訪れる
敦子さんが神楽坂を訪ねて下さった翌日、福島県の会津若松を訪れた。
会津への列車の旅は印象的なものだった。東京から郡山まで新幹線で約一時間半。そこから磐越西線でさらに一時間ほどかけて会津若松へ向かう。
枯れた田畑がつづくわびしい風景を、車窓からぼんやり眺めていたときだった。突如、視界が一面の雪景色に包まれた。福島の名山・磐梯山が降らせる雪である。
「見て、綺麗だねェ、磐梯山!」と、乗客の間から歓声が上がった。
ところが、ちょっと目を離した隙に雪は姿を消し、元の寂しげな風景に戻っていた。狐につままれたような気分だった。
七日町は、会津若松駅から徒歩15分程度の距離。毎月「7」のつく日に市が立ったことから名付けられたそうだ。城下町として栄え、往時は行き交う旅人や商人たちで活気に満ち溢れていたという。筆者が訪れたときは3月中旬、まだ肌寒く人通りは少なかったが、関東より一か月近く遅れて桜が花開くと、全国から旅人が訪れる。
通りには、古くは明治時代に建てられた蔵が軒を連ねており、伝統工芸品を扱う店が現代の旅人を出迎える。福西惣兵衛商店もそんな通りの一角に店舗を構えている。
店頭に並ぶのは伝統工芸品ばかりではない。洋式の食卓にも合うモダンなデザインのもの、アート性が高く作り手の個性が表れたものまで、料理人の感性を刺激する器が取り揃えられている。
伝統工芸が見直されつつあるいま、福西惣兵衛商店は、インバウンドや海外展開も視野に入れながら、現代のライフスタイルに馴染む器を提案することで、新しい時代を切り拓いていこうとしている。
店主の福西正樹さんは四代目。江戸時代から13代つづく福西本家より、初代惣兵衛(正樹さんの曾おじいさんにあたる)が大正8年に分家した。以来、ここ七日町通りで漆器屋を営んでいる。
福西惣兵衛商店の蔵の2階はギャラリーになっており、美しい塗物の展示を見ることができる。展示を拝見しつつお話を伺った。
筆者の目を引いた金色の漆器類は、昭和初期に輸出用として作られた品物だそうだ。重厚感のある色味のためか一見重そうな印象を受けたが、手に取らせていただくと、陶器とはまた違ったやわからさを感じた。塗物ならではの温もりだ。
会津塗の製造工程は、器のかたちを作る「木地」、下地から仕上げの上塗りまでの「塗り」と、細かな模様を描く「蒔絵」という3工程に分かれる。それぞれの工程を違う職人が担当する分業制だ。
一つの器が生まれるのに、どれだけの時間が費やされているのか。職人が熟練に要する時間も含まれているのだと考えれば、自ずと道具に対する愛着も沸いてくるというものだ。
残念ながら漆器の生産流通は減少の一途をたどってきた。現在、会津漆器協同組合に加盟する事業所は、商店も含み約120社だが、この数は全盛期の約五分の一程度に過ぎない。まだ家に和室があった昭和時代は漆器が盛んに用いられていたが、日本人のライフスタイルは洋風に取って代わられた。安価な工業製品が、工芸品の減少に拍車をかけているのはいうまでもない。
職人の高齢化や後継者不足も深刻な問題だ。そんな状況に歯止めをかけるべく、会津漆器協同組合は昭和46年に技術後継者養成所を立ち上げ、平成15年度より「会津漆器技術後継者訓練校」として新しくスタート。現在活躍する中堅の職人のほとんどがこの養成所と訓練校の出身だという。
町をあげての地方創生事業が功を奏し、七日町通りは魅力的な観光地として旅人を呼び寄せている。桜や紅葉の季節はまた違った表情が見られるだろう。七日町通りを訪れた際は、旅の記憶に、会津塗の器を持ち帰ってみてはいかがだろうか。
ともに長い歴史を持つ会津塗とクラシック音楽。「ピアノ」が繋いだふたつの世界に想いを馳せながら、ピアノプレートを食卓にしつらえて、ゆったりとした一時を過ごしたい。
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