フランスで華開いたピアソラと、その後の教育環境~バンドネオンのスター誕生秘話
アルゼンチンで生まれ、フランスで作曲を学んで大家となったピアソラ。生誕100周年の今年、フランスでは26歳のバンドネオン奏者の新星、ルイーズ・ジャリュがピアソラのアルバムをリリースして話題に。前編では、ピアソラやバンドネオンとフランスとの関係を、パリ在住の音楽ライター船越清佳さんに指南していただきます。
※参照・引用:ドキュメンタリー映画『Astor Piazzolla, tango nuevo』(Arte France, Idéale audience, INA/プロデューサーFrançoise Gazio、監督Daniel Roselfeld )より
岡山市出身。京都市立堀川音楽高校卒業後渡仏。リヨン国立高等音楽院卒。長年日本とヨーロッパで演奏活動を行ない、現在は「音楽の友」「ムジカノーヴァ」等に定期的に寄稿。多く...
師によって“新しいタンゴ”が開花!
ピアソラは、すでに青年期にバンドネオン奏者として名声を得ながらも、コンサートピアニストにあこがれ、クラシックの作曲家になる夢を抱いていた。
1939年、ブエノスアイレスを訪れたアルトゥール・ルービンシュタインに、ピアソラは曲を見てもらった。巨匠はそれを気に入った様子でアルベルト・ヒナステラのもとで作曲を学ぶよう助言したという。
1954年、奨学金により、パリに作曲やオーケストレーション、指揮を学びに行く機会を得たピアソラは、あらゆる分野の世界的音楽家を輩出した名教授、ナディア・ブーランジェに師事する。これが彼の人生の決定打となったことは、あまりにも有名だ。
ピアソラのシンフォニアをつぶさに調べたブーランジェは、
「よく書けているけれど、ピアソラはどこにいるの?」
と問い、彼はついにバンドネオンを弾いていたことを白状する。
「バンドネオン! パウル・ヒンデミットが弾けなかった唯一の楽器ね!」
とユーモアで応えたブーランジェを前に、彼は自作のタンゴを演奏した。
「弾き終えた私の手をとって、彼女は『これこそがアストル・ピアソラよ!』と言いました。彼女は伝統的なタンゴの『チャッチャッチャ』や『タン!プン!』ではなく、和声とリズムの様式、“新しいタンゴ”を聴きとったのです。この出来事が私の目を覚ましました」(ドキュメンタリー映画『Astor Piazzolla, tango nuevo』より)
ピアソラの演奏映像(1977年)
“タンゴ・ヌエヴォ(新しいタンゴ)の父ピアソラ”は、こうして産声を上げたのである。ピアソラは生涯、ブーランジェを“第二の母”と呼んだ。
パリからアルゼンチンへ戻った55年に、クーデターがペロン政権を覆したときの心境を、ピアソラはこう回想している。
「ペロンが堕ちたとき、タンゴも堕ちた。……流行り始めたのはボレロ……ブギウギ、ロックンロール……そして〈タンゴ〉という形式は消えた。誰もタンゴを踊らなくなったからだ。でもそのとき、私が生まれた」(ドキュメンタリー映画『Astor Piazzolla, tango nuevo』より)
ピアソラの言う「踊らないタンゴ」「聴くためのタンゴ」は酷評され、経済的にも行き詰まる年月が続いた。74年に移住したヨーロッパでの成功が世界に広がり、そして祖国で認められるのは80年代に入ってからだ。
約30年にわたるピアソラの「革命」——〈新しいタンゴ〉と〈アストル・ピアソラの音楽〉の追求——は、古典的なタンゴを愛し、熟知していたピアソラだからこそ、万難を排して突き進み、成し遂げ得た偉業なのである。
ピアソラのプレイリスト
フランスの学校からバンドネオン界の新星が現る
ピアソラを、“第二の母”ナディア・ブーランジェに引き合わせたフランス。それからほぼ35年後、ヨーロッパのバンドネオン教育において最初の一歩を踏み出した国がフランスだったのも、興味深い偶然だ。
70年代のアルゼンチンでは、ビデラ将軍の軍事独裁政権による弾圧を逃れ、多くの文化人がフランスに亡命した。タンゴの大家ファン=ホセ・モサリーニもその一人である。
ファン=ホセ・モサリーニが率いるタンゴ・オーケストラによるアルバム(2006~2007年のツアーより)
1988年、パリ郊外にあるジュヌヴィリエ音楽院の当時の学長だった作曲家、ベルナール・カヴァナが、モサリーニとともにヨーロッパ初のバンドネオン専攻科を立ち上げる。同音楽院には、巨匠の教えを求めて、瞬く間に世界中から学生が集まった。モサリーニは、これまでに100人を超えるバンドネオン奏者を育て、その多くがプロとして活動を繰り広げている。日本で活躍する早川純、渡辺公章もモサリーニ門下である。
同時に、ジュヌヴィリエ音楽院は、地域の子どもたちにもバンドネオンへの門戸を開いた。ここで5歳からバンドネオンを習い始めたルイーズ・ジャリュさんは、26歳という若さながら、すでにフランスのバンドネオン界の第一線で活躍している。
次回は、ジャリュさんの生い立ちから、フランスの多くのメディア——フランステレビジョン(フランス3)のニュースや、大手新聞〈ル・モンド〉〈ル・パリジャン〉紙、フランス・アンフォ(フランステレビジョンのチャンネル)——で取り上げられ、その個性と大胆さに大きな賛辞が贈られた最新アルバム『Piazzolla 2021』(Klarthe records)について紹介する。
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