ワルシャワとクラクフを歩く~時代に翻弄されたポーランドから生まれた傑作映画たち
1919年、第一次世界大戦後に念願の独立を果たしたポーランド。このときの首相兼外務大臣はピアニストとしても知られたイグナツィ・パデレフスキ(1860~1941)だ。この政権を日本が認め、国交を樹立してから今年で100年になる。この記念すべきメモリアル・イヤーに、改めてポーランドの文化やその魅力に思いをめぐらせてみよう。
前編では、ポーランドを旅した山﨑隆一さんの足取りをワルシャワからクラクフへと辿りつつ、ポーランドが生み出した巨匠アンジェイ・ワイダの傑作や、映画「COLD WAR あの歌、2つの心」をご紹介。
編集プロダクションで機関誌・広報誌等の企画・編集・ライティングを経てフリーに。 四十の手習いでギターを始め、5 年が経過。七十でのデビュー(?)を目指し猛特訓中。年に...
ポーランドの首都、ワルシャワ――第二次世界大戦後に再建された旧市街を歩く
ワルシャワで道に迷ったら、まずは空を見上げ、高くそびえるその姿を探せばいい。1955年に完成した文化科学大宮殿は、市内のどこに行っても不思議な圧力で歩く者の目に入ってくる。このスターリン時代の名残りを視界から消したかったら、いっそのこと、その懐に飛び込んでしまうという手もある。200メートルもの高さからワルシャワの街を見下ろすと、近代的な高層ビルやショッピングセンターも建ちはじめていて、その姿は社会主義時代の記憶を懸命に覆い隠そうとしているかのようだ。
北東方向に目をやると、ヴィスワ川の手前に、少し色がくすんだような、高い建物がなくへこんで見えるところがある。ワルシャワ歴史地区(旧市街)だ。展望台から降りて、そこまで歩いて行くことにした。季節は秋。銀杏の葉が黄色く染まり、灰色がかった街に彩りを持たせている。この、銀杏が黄葉する時期をポーランドでは「黄金の秋」と表現するのだそうだ。
新世界通りに入ると、視界がぱっと開けた。ショパンの心臓が納められた聖十字架教会とコペルニクスの像が向き合うように建っている。この通りを抜ければ旧市街だ。第二次世界大戦で廃墟と化してしまったこの地区は、戦後、残された資料をもとに、もとの煉瓦や資材をできるだけ使ってほぼ完璧に復元された。ポーランドの人々の不屈の精神を象徴する場所である。平日、人気の少ない市場広場では、白髪の男性がひとりアコーディオンを弾いていた。
ワルシャワから電車で3時間。訪れる者を夢の中に誘う街、クラクフ
クラクフで道に迷って、空を見上げれば絶えず聖マリア聖堂の尖塔が見えるのに、なぜかそこまでたどり着けない。ユダヤ人街には洒落た雑貨店やカフェが並んでいて、細い路地を気の赴くままに歩いていたら、本当に迷ってしまったのだ。やっとの思いで戻ると、中央市場広場は霧が立ち込めていた。クラクフは訪れる者を夢の中に誘うような街だ。
ワルシャワから電車で約3時間。駅から旧市街へ向かうと、中世の要塞バルバカン、続いてフロリアンスカ門がそびえ立つ。門をくぐると前方に聖マリア聖堂が待ち受けているのが見えてくる。広場を越えてさらに進むとヴィスワ川沿いにヴァヴェル城と大聖堂がどっしりと建っている。どの建物も威風堂々とした佇まいで、遥か昔にここを訪れた人は、この光景を前にして思わず襟を正すような気持ちになったのではと想像する。
この街の大富豪フェリクス・ヤシェンスキ(1861~1929)は、浮世絵に代表される日本の美術品に魅了され、葛飾北斎や歌川広重の作品をはじめとする日本絵画を蒐集した。1944年、後にポーランドを代表する映画監督になるアンジェイ・ワイダ(1926~2016)はその展示会を鑑賞して感銘を受け、日本に親しみを持つようになっていった。その想いは時を経て1994年、ヴィスワ川を挟んだヴァヴェル城の向いに、ヤシェンスキのコレクションを収める日本美術技術博物館(マンガ館)をオープンさせるに至った。「マンガ」とは葛飾北斎のスケッチ画集「北斎漫画」からとられている。
今年は、日本とポーランドが国交を樹立して100年という記念の年だ。
ワイダの代表作を想起させる『COLD WAR あの歌、2つの心』
むかし、知人から「これ、本当にいい映画だから絶対に観て!」と勧められたのがアンジェイ・ワイダの代表作『灰とダイヤモンド』だった。そして、その週末の新聞の日曜版で、ちょうどその映画が特集されていたのだ。これは何かしらの縁があるに違いないと思ったのを覚えている。
モノクロの映像と徹底的に作りこんだ絵作り、教会で始まるオープニング、そして時代の中で必死に生きようとする登場人物たちの姿を見るにつけ、いやがうえにも『灰とダイヤモンド』がシンクロしてしまうのが、『COLD WAR あの歌、2つの心』だ。
第二次世界大戦後、ポーランドの伝統舞踊を披露する国立舞踊団「マズレク」を組織するべくポーランドの地方で民謡を採集するピアニストのヴィクトル。歌手をめざし、舞踊団のオーディションを受けて養成所に入るズーラ。お互いに惹かれ合う2人は、東西冷戦や雪どけという歴史的背景の中、ワルシャワからベルリン、パリへと舞台を変えながらすれ違いや再会を繰り返していく。緊張した国際情勢と、淡々と進む(ように思える)物語がズーラとヴィクトルの愛の深さを、もう狂気と呼べる域にまで際立たせていて、観たあとにはまるで鉛を飲み込んだかのように、ずっしりとした何かが胸に残る。
ラブ・ストーリーとしてだけでなく、音楽映画としても楽しめるのが本作の魅力。冒頭、ヴィクトルたちが農村を巡り求め歩くのは、土の香りがする民謡だ。先月来日したヤヌシュ・プルシノフスキが、「子どものころ、近所に足踏みアコーディオンを弾く人がいたよ」と話していたが、そのアコーディオンが初っ端から登場するほか、農夫がフィドルを弾きながら歌うワイルドな曲にはえもいわれぬ深い哀しみがあって、地を這うように響きわたるさまはまるでブルースのようだ。
そして物語を通じて流れるのが「2つの心」という民謡だ。舞踊団では少女の澄んだ歌声を聴かせる牧歌的なレパートリーとして、パリで2人が再会を果たすと今度は都会の憂いを含んだリリカルなジャズ・ナンバーとして。まるでヴィクトルとズーラを結ぶテーマソングのように形を変えながら現れる。農村の民謡からジャズまで、まるでポピュラー音楽の進化の過程をそのままなぞるような旅を味わえるのだ。
ポーランド映画とジャズといえば、ワイダの『夜の終りに』という1960年の作品もある。『灰とダイヤモンド』をはじめとする他の作品のように強烈な政治的テーマがあるわけではなく、都会に暮らす若者たちの生活をフィルターとして当時のポーランド社会を考察したような作品だ。スターリン批判から始まる「雪どけ」の時期、欧米の消費文化が流入してどこか浮ついた雰囲気をモダンジャズが象徴しているようでもある。音楽を担当するのはポーランドを代表するジャズ・ピアニスト/作曲家のクシシュトフ・コメダ(1931~69)で、本人役で出演もしている。
ワルシャワの体育館で医師として働き、夜はジャズバンドでドラムを叩いている主人公のアンジェイ。ある夜、友人の頼みで酒場で出会った娘を誘うが、彼女が終電を逃してしまったため、自分のアパートに連れてきた。お互いの腹を探り合う2人はどちらからともなく恋愛ゲームを始めるが――。
窓の外が白みはじめたころ、アンジェイは彼女のために卵を取り出し、フライパンの上に落とす。「スクランブルエッグの作り方は20種類以上ある」とつぶやきながら。
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