読みもの
2021.05.26
洋楽ヒットチャートの裏側で Vol.5 プリンス没後5年

プリンス「パープル・レイン」大ヒット前夜! 新米ディレクターの試行錯誤

インターネットがなかった時代、まさに自らの手で数々の大ヒットを生み出した元洋楽ディレクターたちによる連載。第5回は、2016年に急逝した伝説的ミュージシャン、プリンス。代表作「パープル・レイン」の大ヒットの前夜、新米ディレクターだった佐藤淳さんが、日本の音楽ファンにプリンスの音楽を届けるための奮闘を綴ります。

佐藤淳
佐藤淳

1983年留年中のところを、ワーナーパイオニア(後のワーナーミュージックジャパン)洋楽部に拾われ、ワーナーブラザーズレーベル、ゲフィンレコードを制作宣伝担当。ポニーキ...

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この文章を、2021年4月21日に書いている。あの日から5年経った。プリンスの命日ではない。もっともっと良い音を求めて、エレベーターに乗った彼が“上階に引っ越した”記念日だ。

自己紹介させてもらうと、僕はアルバムで数えると「パープル・レイン」から「グラフィティ・ブリッジ」までの7枚、プリンスの担当ディレクターを務めた者だ。終わりではなく始まりの物語。僕が初めてプリンスというアーティストを見かけたときから「パープル・レイン」発売直前までの記憶。

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テレビで出会った気になるミュージシャンの担当に

落第生だった僕が、毎週欠かさず観ていた音楽番組「ベストヒットUSA」。日本におけるミュージックビデオ番組の先駆け、しかも地上波のプライム・タイムだった。CS局もYouTubeも存在しなかった時代である。

そんな「ベストヒット」で、「リトル・レッド・コルヴェット」という曲が気に入った。小柄な黒人が自意識丸出しで歌っていた。趣味がいいかは別にして、ご本人もバンドメンバーもグラムだった。聴いたことのないサウンドが強く印象に残った。

そんな落第生を、1983年の8月という半端な時期にワーナーパイオニア洋楽部が拾ってくれて、いきなり洋楽王国の見習いになった。ONTOMOでエキサイティングな記事を発表している名ディレクター、田中敏明さんのもとで見様見真似、ただ駆けずり回った。「On the job training」などという、小洒落た人事用語が生まれる遥か昔のことだ。

ワーナーブラザーズ本社から先々のリリース・スケジュールが来る。その膨大なリストを師匠が見ながら、この中で国内盤をリリースする作品はどれか、どのアルバムを2人のうちどちらが担当するか、の指示を貰う。そんな月例ミーティングで師匠が言う。「プリンスの新譜、担当してみろ」。

気になるあの黒人アーティストが、いきなり僕の膝の上に置かれた。

届いた名作「パープル・レイン」のポテンシャルを信じて

新作アルバムである「パープル・レイン」の準備がもう始まっている時期なのに、前作「1999」アルバムから、「デリリアス」に続き「Let’s Pretend We’re Married」もチャート上昇。プリンス、ものすごいパワーである。

先行したアルバムからのシングル・カットだと、アルバム収録時の邦題を踏襲することになるので、先輩が編成した「1999」を見てみると、「Let’s Pretend」の邦題は……「夫婦のように」!? さっそく前任の先輩にクレームを言う。

「Tさん、プリンスの邦題で“めおとのように”はないでしょう。演歌じゃないんだから」

「馬鹿、それは“ふうふのように”って読むんだよ。大体こんな変な曲がシングルになると思わないじゃん」

“ふうふ”だと演歌度は下がるのだろうか? こっそり邦題を替えさせてもらう。

「Let’s Pretend We’re Married」、邦題は「夜のプリテンダー」。

そして本国から待望の新作「パープル・レイン」の音源が、いつものようにシルバーのテープで到着する。師匠と僕のデスクのあいだに鎮座する、小さくて赤いモノラルのカセットプレーヤーで、他の新作もそうであるように、日本国で初の音出しが成される。

ストレートなロックンロール、パワーバラード…….。一度聴いただけで、このアルバムのヒットポテンシャルが、洋楽ディレクター1年生の僕にもわかる。

苦悩の邦題決め地獄......ヒントはディスコで踊る黒人たちにあった!

しかしながら、何故かファースト・シングルに選ばれたのは、不思議な不思議な味わいの「When Doves Cry」という曲だった。先輩の邦題をからかった呪いのように、僕にも邦題地獄がやって来た。

まずはカタカナ化してみる。「ホエン・ダヴス・クライ」……。「ホエン」の文字面が弱々しくて、ヒットしそうにない。じゃあそのホエンを失くして短縮形「ダヴス・クライ」。恐る恐る師匠に提出したが「何だかわからない」ということで却下。そもそもDovesをカタカナ化すると、「ダヴス」なのだろうか「ドヴス」か。福岡宣伝のY先輩からご提案をいただく。「おーい、淳! 邦題は“どブスが泣くとき”にしろよ。媒体でウケるぞ~」。う~ん、全社期待のアルバムの大切なファースト・シングルをお笑いにしていいのだろうか。

ディスコ宣伝担当のU先輩がテスト的に「When Doves Cry」の12インチを六本木で回してみてくれる。「すごい反応ですよ。黒人がくるくる踊ってる」。

そうか、あのループするリズムの中毒性がこの曲の魅力なんだ。視点を変えて邦題を考え尽くす。師匠に何度目かのチャレンジ案を出してみる。

「ビートに抱かれて」……「ビートに抱かれて」……。ラジオで邦題がコールされるのをイメージしていたのだろう。師匠は二度口に出したあと、僕の邦題に判子を押してくれた。

ファースト・シングルの邦題が承認された。師匠の指導を仰ぎながら、プリンス期待のニュー・アルバム日本リリースの準備を進めていく。帯キャッチ、ライナーノーツ、宣伝資料、広告。本国からは早くも、派手な戦勝の知らせが続々と届く。

LP盤は紫色。色の配合も決めさせてもらう。甲府の工場にカッティング作業に初めて行く。「そんなに音圧上げたら下手すると針飛びますよ」心配そうなエンジニアさんをよそに、僕はプリンスの音の力に高揚している。プレッシャーより楽しみが勝っている。もうすぐこの稀有な作品を日本に紹介できるのだ。新米なりに考えたあれこれが合っていようとなかろうと、賽は投げられた。

届いてくれ。一人でも多くの人に。届け!

佐藤淳
佐藤淳

1983年留年中のところを、ワーナーパイオニア(後のワーナーミュージックジャパン)洋楽部に拾われ、ワーナーブラザーズレーベル、ゲフィンレコードを制作宣伝担当。ポニーキ...

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