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2022.10.25
ONTOMO作曲家辞典

ラフマニノフの生涯と主要作品

セルゲイ・ラフマニノフの生涯と主要作品を音楽学者の佐野光司が解説!

音楽之友社
音楽之友社 出版社

昭和16年12月1日創立。東京都新宿区神楽坂で音楽の総合出版、並びに音楽ホール運営事業を行なっています。

セルゲイ・ラフマニノフ
Sergey Rachmaninoff
1873・4・1 ノヴゴロド州オネグ―1943・3・28 カリフォルニア州ビヴァリーヒルズ

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文-佐野光司(音楽学者)

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ラフマニノフの生涯

交響曲第1番の失敗からピアノ協奏曲第2番の完成まで

ロシアの作曲家,ピアノ奏者。由緒ある貴族の家系で父は近衛隊の将校。オネグで早くから母親に,その後女性ピアニスト,アンナ・オルナーツカヤにピアノを学ぶ。父の浪費により家運が傾き,1882年サンクトペテルブルクへ移る。同年サンクトペテルブルク音楽院へ入学。85年,従兄のピアニスト,アレクサンドル・ジロティ(A. Ziloti)の勧めでモスクワへ行き,ニコライ・ズヴェーレフ(N. Zverev)にピアノを師事。翌年モスクワ音楽院へ入学し,和声法と作曲をアレンスキー,対位法をタネーエフに学ぶ。91年第1位でピアノ科修了,92年にはプーシキンの詩によるオペラ《アレコ Aleko》で大金メダルを得て音楽院を卒業。同年作曲したピアノ曲《幻想的小品集 Morceaux de fantaisie》op.3はその第2番〈前奏曲〉が特に好評を博し,彼の名を海外にまで広めた。93年,尊敬するチャイコフスキーの死を悼んでピアノ三重奏曲《悲しみの三重奏曲(偉大な芸術家の思い出)Trio élégiaque》op.9を書く。翌年からモスクワのマリインスキー女子専門学校のピアノ教師となり,その傍らロシア各地を演奏旅行して名声を博す。しかし交響曲第1番 op.13(1895,初演は97年グラズノフ指揮)の失敗から,一時指揮者に転向しようとする。99年ロンドンのフィルハーモニック協会(現ロイヤル・フィルハーモニック協会)の招待を受けて渡英,構想中のピアノ協奏曲第2番の演奏を求められたが,完成していないため実現せず,指揮者として自作の交響詩《岩 Utyos》op.7を,またピアニストとして〈エレジー〉op.3-1などを演奏して好評を博す。前記の交響曲第1番の失敗から端を発した精神的ストレスは,モスクワの精神科医ニコライ・ダール博士の催眠療法によって回復し,1901年にピアノ協奏曲第2番 op.18が完成。この作品は04年にグリンカ賞を受け,彼の名は国際的にも不動のものになる。

自作のピアノ協奏曲第2番をラフマニノフが2台ピアノに編曲した楽譜の表紙(1901年出版)

交響曲第2番の初演、ピアノ協奏曲第3番他による演奏旅行

1904年9月から2シーズン,モスクワのボリショイ劇場の指揮者となり,この間オペラ《フランチェスカ・ダ・リミニ Francesca da Rimini》を作曲,06年1月に上演している。同年から作曲に専念するためドレスデンに移り,ここで交響曲第2番 op.27(1906-07),ピアノ・ソナタ第1番 op.28(1907),交響詩《死の島 Ostrov myortvïkh》op.29(1909)など主要作品を作曲。交響曲第2番は,08年サンクトペテルブルクで初演され,同年初演されたスクリャービンの交響曲第4番《法悦の詩》と競って2回目のグリンカ賞第1位を得た。1909-10年にアメリカへ渡り,仕上げたばかりのピアノ協奏曲第3番 op.30他のプログラムで各地を演奏旅行,帰国後17年まで指揮者,ピアニストとしての演奏の合間を縫って作曲を行う。

1917年の革命でアメリカへ渡ったのち客死

1917年の革命のためストックホルム,コペンハーゲンなどを経て,18年にアメリカへ渡った。以後生活のため演奏活動に力を注ぐ。26年以来,再び創作に力を注ぎ,ピアノ協奏曲第4番 op.40(1926),ピアノと管弦楽のための《パガニーニの主題による狂詩曲》op.43(1934),交響曲第3番 op.44(1935-36)などを書く。晩年は,アメリカ,ヨーロッパでの多忙な演奏活動により体調を崩していたが,企画された演奏会のキャンセルを望まず,43年2月のノックスヴィルでの演奏会を予定通り終えた後,フロリダの演奏会をキャンセル,翌月には前年に購入したビヴァリーヒルズの自宅で帰らぬ人となった。

ラフマニノフ46歳、カリフォルニアにて(1919年)

19世紀のロマン的情念を歌い続けた作曲家

ラフマニノフの初期の音楽的源泉は,当時の他のロシア作曲家と同じくショパンとリストであった。これはチャイコフスキーに代表されるモスクワ楽派(西欧とロシア民族主義の折衷的傾向を持つ)に由来するもので,西欧的香気とロシア的な暗い抒情性とが融け合い,哀愁を帯びた豊かな旋律性を基調としている。ラフマニノフの作曲家としての活躍は主に20世紀に入ってからであるが,同時代の他の作曲家,例えばスクリャービンらがロマン派の音楽語法から脱却して自己の新しい語法を探求していったのに対し,最後まで19世紀のロマン的情念を連綿と歌い続けた。彼の音楽はピアニストとしての本能と密接に結び付いている。ピアニスティックなパッセージ,ダイナミックなピアノの和音効果に多くを負っており,その演奏技巧に依拠する音の効果が楽曲構築の技法を上回り,そのため楽想が練り上げられる過程が短いタイプの作曲家であった。従って心に映じた感傷は直接音に移され,その音楽は意味深さには欠けるが平易で親しみやすいものとなっている。

ラフマニノフの主要作品

【オペラ】

《アレコ》 1892 ; 《けちな騎士》 op.24  1903-05 ; 《フランチェスカ・ダ・リミニ》 op.25  1900-05 

【交響曲】

No.1  d  op.13  1895 ;  No.2  e  op.27  1906-07 ;  No.3  a  op.44  1935-36改訂38 

【管弦楽曲】

ジプシーの主題による奇想曲  op.12  1892-94 ;  交響詩 :《岩》 op.7  1893, 《死の島》 op.29  1909 ;  交響的舞曲  op.45  1940  

【協奏曲】

ピアノ協奏曲 : No.1  fis  op.1  1890-91改訂1917,  No.2  c  op.18  1900-01,  No.3  d  op.30  1909,  No.4  g  op.40  1926改訂41 ;  パガニーニの主題による狂詩曲  op.43(p, orch) 1934

【室内楽曲】

悲しみの三重奏曲[偉大な芸術家の思い出] d  op.9(p-trio) 1893改訂1907,17 ;  2つの小品 : op.2(vc, p  1.前奏曲  2.東洋風舞曲) 1892,  op.6(vn, p  1.ロマンス  2.ハンガリー舞曲) 1893 ;  チェロ・ソナタ  g  op.19  1901   

【ピアノ曲】

組曲(2p): No.1《幻想的絵画》 op.5  1893,  No.2  op.17  1900-01 ;  6つの小品  op.11(4hds  1.舟歌  g  2.スケルツォ  D  3.ロシアの主題  h  4.ワルツ  A  5.ロマンス  c  6.賛歌  C) 1894 ;  ピアノ・ソナタ : No.1  d  op.28  1907,  No.2  b  op.36  1913改訂31 ;  幻想的小品集  op.3(1.エレジー  es  2.前奏曲  cis  3.メロディ  E  4.道化師  fis  5.セレナード  b) 1892改訂1940[3のみ],40?[5のみ];  サロン小曲集  op.10(1.ノクターン  a  2.ワルツ  A  3.舟歌  g  4.メロディ  e  5.ユモレスク  G  6.ロマンス  f  7.マズルカ  Des) 1893-94改訂1940[5のみ];  楽興の時  op.16(1.b  2.es  3.h  4.e  5.Des  6.C) 1896改訂1940[2のみ];  ショパンの主題による変奏曲  op.22  1902-03 ;  10の前奏曲  op.23(fis, B, d, D, g, Es, c, As, es, Ges) 1903[第5曲のみ1901];  13の前奏曲  op.32(C, b, E, e, G, f, F, a, A, h, H, gis, Des) 1910 ;  練習曲集《音の絵》: op.33(1.f  2.C  3.c  4.a  5.d  6.es  7.Es  8.g  9.cis) 1911[4はop.39-6として,3と5は没後に出版],  op.39(1.c  2.a  3.fis  4.h  5.es  6.a  7.c  8.d  9.D) 1916-17 ;  コレッリの主題による変奏曲  op.42  1931  

【合唱曲】

6つの合唱曲  op.15(女声/児童cho  1.たたえよ  2.夜  3.松  4.波はまどろむ  5.捕らわれの身  6.天使) 1895-96 ;  カンタータ《春》 op.20(Br, cho, orch) 1902 ;  聖ヨハネ・クリソストモスの典礼  op.31(無伴奏cho) 1910 ;  合唱交響曲《鐘》 op.35(S, T, Br, cho, orch) 1913 ;  晩祷  op.37(無伴奏cho) 1915 ;  3つのロシアの歌  op.41(cho, orch  1.小川を越えて  2.ああ,ヴァーニカよ  3.赤らめた頬におしろいを塗って) 1926 

【歌曲】

6つの歌  op.4(1.お願い,行かないで  2.朝  3.夜の静けさに  4.美しい人よ,私のために歌わないで  5.ああ,私の畑よ  6.そんなに昔だろうか,友よ) 1890-93 ;  6つの歌  op.8(1.スイレン  2.わが子よ,お前は花のように美しい  3.思い  4.私は悲しい恋をした  5.夢  6.祈り) 1893 ;  12の歌  op.14(1.私はあなたを待っている  2.小さな島  3.昔から恋には慰めが少なく  4.私は彼女のところへ行った  5.この夏の夜  6.あなたは皆に愛される  7.友よ,私の言葉を信じるな  8.おお,悲しまないで  9.彼女は真昼のように美しい  10.私の心の中に  11.春の奔流  12.時は来た) 1896[1のみ1894];  12の歌  op.21(1.運命  2.新しい墓の前で  3.たそがれ  4.彼女たちは答えた  5.ライラック  6.ミュッセからの断片  7.ここは素晴らしい場所  8.紅すずめの死に寄せて  9.メロディ  10.聖像画の前に  11.私は預言者ではない  12.何という苦しさ) 1902[1のみ1900];  15の歌  op.26(1.心の底には多くの響きが  2.神は私から全てを奪った  3.さあ休もう  4. 2つの別れ  5.愛する人よ,さあ行こう  6.キリストはよみがえりたまえり  7.子供たちに  8.私は許しを乞う  9.私は再びひとり  10.私の窓辺に  11.泉  12.夜は悲しい  13.昨日私たちは会った  14.指輪  15.全ては過ぎ行く) 1906 ;  14の歌  op.34(1.ミューズ  2.私たちの誰の心にも  3.嵐  4.そよ風  5.アリオン  6.ラザロの復活  7.そんなことはない  8.音楽  9.あなたは彼を知っていた  10.その日を私は覚えている  11.小作農奴  12.何という幸せ  13.不協和音  14.ヴォカリーズ) 1912[7のみ10改訂12,14のみ15];  6つの歌  op.38(1.夜の庭で  2.彼女のもとに  3.ひな菊  4.ねずみ捕りの男  5.夢  6.おーい) 1916  

 

【編曲】

WR(またはVR)のポルカ[ベーア《笑い上戸》に基づく](p) 1911

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