読みもの
2023.02.08
特集「ラフマニノフ」

指揮者・ピアニストとしても頂点を極めたラフマニノフ〜本人の演奏で振り返るその功績

ラフマニノフ生誕150年ということで、ピアニストや指揮者としても活躍したラフマニノフの功績を振り返ります。手が大きかったというエピソードは有名ですが、実際にどのようなレパートリーを得意としていたのでしょうか? ラフマニノフ本人によるピアノ演奏や指揮をした音源とともに、お楽しみください。

大井駿
大井駿 指揮者・ピアニスト・古楽器奏者

1993年生まれ、東京都出身。2022年、第1回ひろしま国際指揮者コンクール(旧:次世代指揮者コンクール)優勝。パリ地方音楽院ピアノ科、ミュンヘン国立音楽演劇大学古楽...

ピアノを弾くラフマニノフ(1930年代末撮影)

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ロシアで生まれ育ち、ロシア革命をきっかけにヨーロッパとアメリカにて活動したセルゲイ・ラフマニノフ。現在では作曲家として有名ですね。フィギュアスケートやCMだけでなく、映画でもラフマニノフの音楽を耳にすることがあります。しかし、この記事を読み終えられる頃には、「ラフマニノフといえば作曲家」という考えは変わっているでしょう……!

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ピアニスト、ラフマニノフ

ロシア時代

10歳のラフマニノフ(ペテルブルクにて撮影)

貴族の家に生まれたラフマニノフは、4歳の頃からピアノのレッスンを受け始めます。それから12歳のときにペテルブルク音楽院の子どものための課程に入ります。しかし、このときの家庭内の状況は非常に悪く、9歳のときに家が破産、両親は離婚し、繊細だったラフマニノフは何もかもが嫌になっていました。レッスンや授業をサボっては友達とアイススケートをし、遠くへ出掛けてはいつまでも帰ってこなかったそう。

そしてとうとう、定期試験のすべての科目で不合格に。お母さんは学校へ呼び出され、退学を告げられます。家に帰ったお母さんは烈火のごとく怒り、親戚のツテを使って、息子をモスクワ音楽院のスパルタ教師の元へ寄宿させます。

ズヴェーレフ門下の集合写真
1880年代末に撮影。ズヴェーレフは前列中央、ラフマニノフは後列右から2番目。前列左にはスクリャービンの姿も。

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