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2024.08.23
ONTOMO作曲家辞典

サティの生涯と主要作品

サティの生涯と主要作品を音楽学者の朝川温子が解説!

音楽之友社
音楽之友社 出版社

昭和16年12月1日創立。東京都新宿区神楽坂で音楽の総合出版、並びに音楽ホール運営事業を行なっています。

エリック・サティ
Erik(Eric)Alfred Leslie Satie
1866年5月17日オンフルール生〜1925年7月1日パリ没

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文―朝川温子(音楽学者)

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サティの生涯

パリ音楽院でピアノを学び、39歳でスコラ・カントルムに入学

フランスの作曲家。海運業を営む父と,スコットランド人の母との間に第1子として生まれる。6歳で母が病死し、12歳のときに父が再婚。ピアノ教師であった継母にピアノの指導を受け、パリ音楽院に学ぶ。

1886年、軍隊に志願するが、ほどなく故意に気管支炎にかかり除隊。その後、モンマルトルの文学酒場のピアニストとして生計を立てながら作曲活動を行なう。89年のパリ万国博覧会で、ガムラン音楽や東欧の音楽に興味を持つ。90年,神秘主義的秘密結社〈ばら十字教団〉の専属作曲家となり、2年後に脱会するまでの間に劇音楽《星の息子 Le fils des étoiles》(1891)などを作曲する。

サティ:劇音楽《星の息子》

この頃ドビュッシーと出会い、親交を深める。39歳でスコラ・カントルムに入学し、ルーセルとダンディに師事。その後、コクトーやピカソをはじめとしたさまざまなジャンルの芸術家たちと親交を結び、互いに影響を与えながら、前衛的な舞台作品や数多くのピアノ曲を作曲するかたわら、ダダの機関誌などに健筆を振るう。

そして反ロマン主義、反印象派を標榜する若い作曲家たちから新青年派、六人組、アルクイユ楽派の指導者として仰がれるが、彼自身はこれを否定した。晩年は友人との不和や貧困のため恵まれぬ孤独な日々を送った。

初期はピアノ曲とばら十字教団のための作品が中心

サティの作品は幅広いジャンルにわたるが、その中でもっとも大きな位置を占めるのはピアノ曲である。そのほか、バレエや演劇など舞台音楽や歌曲、そしてカフェ・コンセールのためのシャンソンも見逃すことはできない。彼の様式は一般にいくつかの時代に区分して論じられることが多く、それには諸説あるが、およそ次のように捉えることができよう。

まず初期には、パリ音楽院卒業後に書かれた《オジーヴ Ogives》(1886)、《サラバンド》(1887)、《ジムノペディ Gymnopédies》(1888)などのピアノ曲と、ばら十字教団のための《ばら十字教団のファンファーレ Sonneries de la Rose+Croix》(1892初演)などが作曲された。これらは単旋聖歌風の旋律とダイアトニックな和音とが醸し出す単純で透明な響き,平行4・5度、7・9の和音の連続、4度堆積和音などを特徴としている。

この時期をサティの「神秘主義の時代」とする見方もあり、古代や中世の芸術に対するサティの愛着が、作品に直接的な形で反映している時代だといえる。

サティ:《ジムノペディ》、《ばら十字教団のファンファーレ》

シュザンヌ・ヴァラドンによるサティの肖像画(1893年)

皮肉とユーモアに満ちたタイトルが目立つ中期

続く中期は、2年間の沈黙の後,1897年以降1914年頃まで。4手連弾《梨の形をした3つの小品 3 morceaux en forme de poire》(1903)や《自動筆記 Descriptions automatiques》(1913),《干からびた胎児 Embryons desséchés》(1913)などの一連のピアノ曲に見られるように、ロマン派や印象派のパロディ、皮肉とユーモアに満ちたナンセンスなタイトルや曲中の文章などが特徴で、「エキセントリックな作曲家」というサティ像は、この時代の作品に負うところが大きい。またこの時期では、50曲以上にも及ぶと言われているシャンソンも重要である。

1909年のサティ

後期にはコクトーやピカソと傑作を生み出す

後期は、コクトーの台本とピカソの舞台装置によるバレエ《パラード Parade》(1916〜17)や晩年の傑作と言われる交響的ドラマ《ソクラテス Socrate》(1917〜18)、ピアノ曲では《ノクターン》(1919)、そして死の前年にはバレエ《本日休演 Relâche》など、極めて多彩な作品が書かれている。

線的な書法と非機能的な音楽展開、短い単位部分の並置・反復という構成原理は、初期から一貫してサティの音楽技法の根幹を成しているが、この後期では、そうした音楽の単純化が一層推し進められている。

バレエ《パラード》初版の楽譜

サティの影響は同時代の作曲家にとどまらず

サティはその初期から、反ロマン主義、反印象主義の姿勢を貫き、感情の表出を極限まで抑えた客観的な表現によって、20世紀の新しい音楽の方向性を指し示した。

ドビュッシーやラヴェルや六人組など、彼と同時代の作曲家に多大な影響を与えたばかりではなく、未来派の音楽を予告し、ダダやシュールレアリスムの先駆を成し、その大胆な手法と革新的な音楽思想は、第二次世界大戦後のケージやメシアンらにも極めてラディカルな問題を投げかけた存在として、今日、音楽史上で再評価されている。

サティの主要作品

【バレエ音楽】

《パラード》 1916-17

《メルキュール》 1924

《本日休演》 1924

【その他の舞台作品】

《ビザンツの王子》 1891

《星の息子》[3つの前奏曲](fl, hp/harm) 1891[p版が現存]

《天国の英雄的な門》[前奏曲](p) 1894

《びっくり箱》(3曲  p) 1899

《ジュヌヴィエーヴ・ド・ブラバン》(cho, p) 1899-1900

《メデューサの罠》(p) 1913 ; 《操り人形は踊る》(p/小orch) 1913

《夏の夜の夢のための5つのしかめ面》(orch) 1915

《風変わりな美女》(orch/2p) 1920

【管弦楽曲】

ばら十字教団のファンファーレ(3曲  tp, hp) 1892初演[縮小p版同年刊]

組み立てられた3つの小品(orch/4hds) 1919

家具の音楽 : 錬鉄の壁掛け(fl, cl, tp, str) 1918,  音のタイル張りの舗道  1918,  知事室の壁紙  1923

【器楽曲】

[眼鏡なしで]右と左に見えるもの(3曲  vn, p) 1914

いつも片目を開けて眠る見事に肥えた猿の王様を目覚めさせるためのファンファーレ[家具の音楽](2tp) 1921

【ピアノ曲】

梨の形をした3つの小品(7曲  4hds) 1903

不愉快な概要(3曲  4hds) 1908-12

馬の装具で(4hds/orch) 1911

オジーヴ(4曲) 1886

サラバンド(3曲) 1887改訂1911

ジムノペディ(3曲) 1888

グノシエンヌ(6曲) 1889-97

ゴシック舞曲(9曲) 1893

ヴェクサシオン  1893

冷たい小品(1.逃げ出したくなる歌  2.歪んだ踊り) 1897

金の粉  1901-02?

パッサカリア  1906

壁掛けとしての前奏曲  1906

新・冷たい小品(3曲) 1907

犬のためのしまりのない前奏曲(4曲) 1912

犬のためのしまりのない本当の前奏曲(3曲) 1912

自動筆記(1.船について  2.ランプについて  3.ヘルメットについて) 1913

干からびた胎児(1.ナマコの胎児  2.甲殻類の胎児  3.柄眼類(へいがんるい)の胎児) 1913

木製太っちょ人形のクロッキーとからかい(3曲) 1913

子どもの曲集(1.短い子供のお話  2.絵のような子どもらしさ  3.うるさいいたずら) 1913

あらゆる意味にとれる数章(3曲) 1913

古い金貨と古い鎧(よろい)(3曲) 1913

何世紀もの時間と瞬間の時間(3曲) 1914

嫌な気取り屋の3つのワルツ  1914

スポーツと気晴らし(21曲) 1914

最後から2番目の思索(3曲) 1915

官僚的なソナチネ  1917

ノクターン(6曲)[第6曲はロバート・オーリッジにより完成] 1919

最初のメヌエット  1920

【大規模な声楽曲】

貧者のミサ曲  1893-95

ソクラテス  1917-18 

【歌曲】

3つの歌(1.天使  2.花々  3.シルヴィ) 1887

シャンソン  1887

あなたが欲しい[ジュ・トゥ・ヴー] 1901?[p版, orch版同年]

優しく  1902

エンパイア劇場のプリマドンナ  1904

3つの愛の詩  1914

3つの歌(1.青銅の像  2.だて男  3.帽子屋) 1916

4つの小さな歌(1.エレジー  2.踊り子  3.乾杯の歌  4.さようなら) 1920

潜水人形(1.ねずみの歌  2.憂鬱  3.アメリカの蛙  4.詩人の歌  5.猫のシャンソン) 1923

【映画音楽】

《本日休演》の幕間(まくあい)映画のための音楽  1924

音楽之友社
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