ローマ、ドーリア・パンフィーリ宮殿とカラヴァッジョが描いたカストラート
フォトジャーナリストの若月伸一さんと、美術史家の中村潤爾さんが「場所」と音楽にまつわる「美術」を結び付けて紹介する連載の第2回の舞台はローマ。
無数の遺跡が密集した永遠の都、ローマの中心に位置し、現在は美術館になっているドーリア・パンフィーリ宮殿。そこに飾られたローマゆかりの画家カラヴァッジョと、そのモデルになったカストラートのお話です。
遺跡が密集するローマの中心にあるドーリア・パンフィーリ宮殿
ローマ帝国時代、ローマは城壁に取り囲まれていた。現在のローマの繁華街、旧市街なども、その城壁の中にある。
ローマの地理的中心地に、白い巨大なデコレーション・ケーキのような建物、ヴィットーリオ記念堂が建っている。19世紀後半にヴィットーリオ・エマヌエル2世によりイタリア半島が再統一されたことを記念したものだ。
その南側には、古代ローマ時代の政治、行政の建物の遺跡フォロ・ロマーノ、ネロ帝の黄金宮殿、コレッセオ(巨大競技場)、カラカラ浴場など、遺跡が密集する。
記念堂に面して北側にはヴェネチア広場があり、その先に旧市街、繁華街が拡がる。観光名所、トレビの泉もこの地域だ。
旧市街の北端の城壁に、かつて北側の入場門であったポポロ門があり、その前がポポロ広場。カラヴァッジョの代表作のひとつ、《聖パウロの改宗》は、この広場に面するサンタ・マリア・デル・ポポロ教会にある。
記念堂の前のヴェネチア広場からポポロ広場まで、南北一直線にコルソ通りが走っている。コルソとは、コースの意味で、もともとここで競馬のレースが行なわれていたことからコルソと命名された。
そのコルソ通りを ヴェネチア広場(記念堂)から100メートルほど入った所に、現在、その多くの部屋が美術館として公開されているドーリア・パンフィーリ宮殿がある。
ドーリア・パンフィーリ家は、イタリア半島の名門中の名門の貴族で、教皇イノケンティウス10世はパンフィーリ家から出ている。
この宮殿は17世紀半ば、ドーリア・パンフィーリ家の当主が、現在の宮殿の近くの邸宅、修道院などを買いあさり、大改修をして築いたもので、ラファエロ、カラヴァッジョ、ヴェラスケスなど、ヨーロッパの名美術館と甲乙つけがたいコレクションを有す。ギャラリーには18世紀当時の展示様式を守り、壁を埋めるように所狭しと絵画が展示され、臨場感満点だ。
宮殿の白眉カラヴァッジョ《エジプトへの逃避途上の休息》
その数ある傑作の中でも、カラヴァッジョ作《エジプトへの逃避途上の休息》を取り上げよう。
画面中央にイエスの両親、聖ヨセフと聖母マリアが隣同士に座っている。右端には、眠る幼子イエスを腕に抱く聖母マリア。旅の疲れからだろう、首を傾け、右手をだらりとたらし、後ろにある楢の木に寄りかかりながら眠っている。このポーズは、同時期に描かれたと考えられ、同宮殿で並んで展示されている『改悛のマグダラのマリア』と同じだ。
写真:若月伸一
左:《改悛のマグダラのマリア》
モデルは、娼婦であったアンナ・ビアンキーニだと言われる。制作当時、20代前半であった画家はローマ随一の美術愛好家デル・モンテ枢機卿の邸宅に身を寄せていた。邸宅には、画家、音楽家、学者が出入りしており、貴族を取り巻く高級娼婦やチンピラなど、いかがわしい輩とも画家はつながりを持っていたようだ。
罪深き生活を悔い改めるマグダラのマリアならまだしも、処女懐胎した聖母マリアのモデルにも、娼婦を起用するあたりはカラヴァッジョの大胆で、面白いところだ。
左端には、荷物を詰め込んだずだ袋に腰を下ろす聖ヨセフ。一杯飲んだのか、すぐ横に藁がまかれた酒びんが転がっている。聖ヨセフは目の前にいる天使に楽譜を広げて見せている。
燕の翼をもつ天使は、空中を漂うような白布を裸身にまとい、我々鑑賞者に背を向け、ヴァイオリンを奏でている。全身の体重を片一方の足にかけ、もう片方の足は軽く浮かせ、腰と肩をくねらせる。
この優雅な立ち方は、古代ギリシャ・ローマ彫刻に起源にするルネサンス特有な立ち方、コントラポストだ。画家がルネサンスの伝統的な描き方も完全にマスターしていることがわかる。宗教画における楽器は神にささげられた永遠の賛美を表す。聖ヨセフは天使の奏でる音色にあわせ歌っているように見えるが、この音楽もマリアとイエスを讃えているのだろう。
天使のモデルはカストラート?
《音楽家たち》、《リュートを弾く若者》など、1590年代半ばに描かれたカラヴァッジョの絵画には音楽がモチーフとして頻繁に登場する。
パトロンであるデル・モンテ枢機卿は、システィーナ礼拝堂聖歌隊の後援会長であり、自宅で演奏会を主催する音楽愛好家であった。モデルとなったのは、カラヴァッジョと同時期にデル・モンテ邸に住んでいた多くの少年たちだ。女性との交流ができない聖職者という立場上、デル・モンテ枢機卿は少年たちとの交遊を楽しんだのだろう。
《リュートを弾く若者》のモデルは、非常に女性的だが、デル・モンテ邸に住んでいたカストラート(去勢した男性ソプラノ)で、システィーナ礼拝堂聖歌隊の一員だったペドロ・モントーヤと言われている。
《エジプトへの逃避途上の休息》の中でヴァイオリンを奏でる天使もまた、デル・モンテ邸に住むカストラートだったのかもしれない。
カラヴァッジョはデル・モンテの邸宅で楽器と演奏する音楽家のモチーフを見つけるのに苦労しなかっただろし、貴族の教養として重視されていた音楽をモチーフにすることで顧客を惹きつけられることを知っていたのだろう。
聖母の後ろは水辺が広がり、さらにその奥に風景が広がる。明暗の強烈なコントラスを特徴とするカラヴァッジョには珍しい奥行きのある風景描写が背景になっている。
現在は存在しないカストラートの数少ない録音のひとつ。歴史上最後のカストラートで、最盛期には「ローマの天使」と讃えられたアレッサンドロ・モレスキ(1858-1922)も、かつてはシスティーナ礼拝堂の聖歌隊に所属していた。
写実性に富んだカラヴァッジョの新しい宗教画
絵のテーマは、新約聖書のエピソード、「エジプト逃避」。救世主イエスが生まれたことを知ったユダヤのヘロデ王は、自らの地位が危ういとおもい、2歳以下の男児を皆殺しにする命令を下す。
なんの罪もない子どもたちは、泣き叫ぶ母親の前で無残にも殺された。しかし、そこにイエスはいなかった。聖ヨセフの夢の中に天使があらわれ、ヘロデ王の追求をのがれるためにエジプトに行くように告げられていたのだ。
エジプトへ向かう道中をテーマにしたものが、「エジプト逃避」で、6世紀頃には、ロバに女乗りする聖母マリアとその膝上に座るイエス、ロバの手綱を引き先導するヨセフという典型的図像が確立した。その後、さまざまな奇跡を含む挿入話が加えられ、その一つが「逃避途上の休息」で、強い日射を避けるため一行が椰子の葉陰で休んでいると、椰子は枝を自ら曲げ、実を聖家族に差し出したという奇跡のエピソードだ。
カラヴァッジョの絵の中でも、聖ヨセフのすぐ後ろに、ロバが描かれている。手綱は聖母マリアが寄りかかる楢の木にくくり付けているのだろう。しかし、ここでは現実離れした奇跡は一切描かれていず、むしろ、写実性が際立っている。地面に転がった小石と雑草。ずだ袋と酒びん。リアルな天使の翼。ヨセフ自身どこにでもいそうな白髪の老人として描かれ、マリアのモデルは高級娼婦。
この際立った写実性は、時代の要請でもあった。この時代をバロックと呼ぶ。ルターによって開始されたプロテスタント宗教改革は、宗教美術を偶像崇拝として批判し、実際に多くの宗教美術が破壊された。
それに対し、カトリックは1563年のトレント公会議にて宗教美術の力を認め、より積極的に美術をつかうことを決めた。ただし、美術作品は同時に明白な目的、布教と信仰のために規制されることになる。つまり、絵画は、それをみる民衆にとって、わかりやすく、身近で、親しみやすいものでなければならない。そこで、絵画は写実的になり、感傷的になり、ときには劇的になった。親しみを増すため、人物はより身近な庶民がモデルとなっていく。まさに、カラヴァッジョはこの時代の流れを完全につかんでいたといえる。
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