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2021.09.17
高坂はる香の「思いつき☆こばなし」第79話

「内なる図書館」を意識すると、音楽の聴き方が変わる?

高坂はる香
高坂はる香 音楽ライター

大学院でインドのスラムの自立支援プロジェクトを研究。その後、2005年からピアノ専門誌の編集者として国内外でピアニストの取材を行なう。2011年よりフリーランスで活動...

ドイツ・ゲルリッツの科学図書館
©️Ralf Roletschek

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岡田暁生さんの『音楽の聴き方』(中公新書/2009年)を読んでいたら、同じ音楽を聴いてもバックグラウンドによって反応が変わるのは、取り出してくる情報が違うから、つまり「内なる図書館のすれ違い」(ピエール・バイヤールという文学理論家の論)があるから、という話がありました。

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例として挙げられていたのが、ジャズのセロニアス・モンクの「モンクス・ポイント」を、モンク本人が弾いた録音と、クラシックのピアニストが弾いた録音を、一般の人と、クラシック・ピアニストたちに聴き比べてもらったときの反応の違い。

ざっくり説明すると、クラシックのピアニストはどうしても自分たちの価値判断で聴くから、モンクのピアノのテクニックを高く評価できない。しかし一般の人に聴かせると、必ずモンクのほうの演奏をよかったと選ぶ、という話です。

この現象からわかるのは、音楽の聴き方にも集団的勘違いは起こりうる、ということでした。

セロニアス・モンク「モンクス・ポイント」

この部分を読んで、思いがけず、昔インドで日本の人形劇団の出し物を見たときのことを思い出しました。

それは世界の人形劇が紹介されるフェスティバルでした。日本代表として出演していた劇団が、どんな物語だったかは覚えていませんが、基本的にセリフやナレーションはなく、それでもストーリーがわかるような人形劇を上演していました。そのなかで、2人の子どもが相撲をとるシーンがありました。

終演後、インド人の友人と話していたら、その場面について彼は、「あれ、SUMOだったの!? 男の子と女の子がイチャイチャしているシーンだと思って、なんでそんな場面入れるんだろうと思った!」といったのです。

そのときはシンプルに、異文化で表現する難しさを感じたわけですが、何かしっくりきていませんでした。というのも、この友人は、日本で知っているものといえば相撲と日本車くらい、みたいな感じだったからです。当時、頑丈な車のCMで力士が起用されていたので、相撲は知っている、と言っていた。そんな彼が、この人形劇が日本の劇団によるものだとわかって見ていたのに、どうして相撲を相撲として見られなかったのか?

そこでこの「内なる図書館」という言葉が、何かを説明してくれる気がしました。「本」としてはストックされている、しかし、それがどんなタイミングで取り出されるか、どれほどの取り出しやすさでそこにあるかが、人によって違う。

クラシックのピアニストの話に戻すと、彼らも、本能的にすばらしい演奏に反応する感覚(本)は持っている、でも手前に別の本が並びすぎていて、なかなか取り出せないのかもしれません。知っている/知らないの問題ではなく、その感覚が取り出されてくるかこないかの違いですね。

その意味では、自分が持っている感覚を知ると、世界が広がりそうです。せっかくある感覚や知識は、すみまでいつでも発動させられる状態でありたいよな、と思いました。

さて、「内なる図書館」の話は、本書のトピックスの中の一つで、他にも、音楽を聴くということはなにかについての考察、感じたことを言葉にすることの魅力が語られています。あとは三島の音楽論も時々引用されていますが、惹かれすぎてこわい、憎いみたいな視点のものばかりで、これもおもしろい。溺れて自分がぶっ壊されることを怖がる心情。わかる。

SNSの広がりで、音楽についての感想を語れる場が増えた今。言語化して発信することで、その印象を長く覚えていられたり、自分の推しの音楽が誰かの目にとまったりすることもあるかもしれません。自分の感覚を信じて語る楽しみ、いかがでしょうか。

高坂はる香
高坂はる香 音楽ライター

大学院でインドのスラムの自立支援プロジェクトを研究。その後、2005年からピアノ専門誌の編集者として国内外でピアニストの取材を行なう。2011年よりフリーランスで活動...

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