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2022.11.26
日曜ヴァイオリニストの“アートな”らくがき帳 File.36

パリ・オペラ座の歴史が詰まった会場を絵巻物の中を歩くように鑑賞する〜アーティゾン美術館「パリ・オペラ座−響き合う芸術の殿堂」

日曜ヴァイオリニストで、多摩美術大学教授を務めるラクガキストの小川敦生さんが、美術と音楽について思いを巡らし、“ラクガキ”に帰結する連載。今回は、アーティゾン美術館で開催中の「パリ・オペラ座−響き合う芸術の殿堂」。火事のオペラ座を描いた絵、モーツァルトの楽譜、ルノワールとワーグナーのつながり......歴史が詰まった、見どころ満載の展覧会をご紹介します。

小川敦生
小川敦生 日曜ヴァイオリニスト、ラクガキスト、美術ジャーナリスト

1959年北九州市生まれ。東京大学文学部美術史学科卒業。日経BP社の音楽・美術分野の記者、「日経アート」誌編集長、日本経済新聞美術担当記者等を経て、2012年から多摩...

エドゥアール・マネ《オペラ座の仮面舞踏会》(1873年、ワシントン、ナショナル・ギャラリー蔵) 展示風景

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東京・京橋のアーティゾン美術館で開催中の「パリ・オペラ座」展の記事を書くにあたって、最初にお伝えしておきたいことがある。展示内容が予想を大きく超えた奥行きを見せていたことだ。
筆者は以前、「ガルニエ宮」と呼ばれるパリのオペラ座を何度か訪れて、上流階級の社交の場として機能していたその豪奢な造りや、客席の真上にしつらえられた、画家マルク・シャガールの幻想的な天井画を楽しんだ経験を持つ。この企画展でも、絵画作品などを通して、そうした文化を日本で享受することができるのではないかという期待をもって鑑賞に臨んだ。
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オペラ座の歴史を美術で巡る

(左)ポール・ボードリー《シャルル・ガルニエ》(1868年、ヴェルサイユ宮殿美術館蔵、オルセー美術館寄託)
(右)エドモン・ジリス《建設中のオペラ座を訪ねるナポレオン3世と皇后》(19世紀、コンビエーニュ城美術館蔵) 展示風景
弱冠35歳だったガルニエは、ナポレオン3世によって公募でオペラ座の新しい建築家に選ばれたという。

意表を突かれたのは、この企画展では、「ガルニエ宮」の建築やシャガールの天井画の紹介が、全体のごく一部でしかなかったことだ。美術史家の三浦篤氏の監修で、17世紀に始まるパリのオペラ座の4世紀におよぶ歴史をひもとくこの展覧会は、長大な物語をつづる絵巻物のような様相を呈していた。ここでは、ごく一部の紹介にはなるが、その絵巻物の登場人物になって、中を歩きながら見ていくように、オペラ座の歴史を楽しんでいきたいと思う。

左)《1653年に宮廷で催されたバレエ「夜」の衣装、マンドリンを持つルイ14世》(1653年、パリ、フランス国立図書館蔵)
(右)《1653年に宮廷で催されたバレエ「夜」の衣装、剣と盾を持つルイ14世》(1653年、パリ、フランス国立図書館蔵) 展示風景

まず目を引いたのは、「太陽王」と呼ばれた17世紀のフランス君主ルイ14世がバレエを踊る場面が描かれた絵画作品の展示だった。国王が自らバレエを踊るというのは、そもそも芸術の国を象徴する出来事として興味深い。マンドリンを抱えて踊る国王は、見事なダンサーぶりを見せている。花のように大きく開いた被り物は、さぞ舞台映えしたことだろう。

1653年2月23日にパリのプチ・ブルボンで初演された《夜の王宮のバレエ》。イサーク・ド・ベンサラードの台本にカンブフォール、ボエセ、ランベールらが作曲。13時間に及ぶ上演で、14歳のルイ14世は太陽王たるアポロを演じた。

ユベール・ロベール《パレ・ロワイヤルの庭園からみたオペラ座の火事、1781年6月8日》(1781年頃、パリ、カルナヴァレ美術館蔵)の、筆者による模写的イラスト。会場ではロベールの実物が展示されている
この展覧会では、筆者が新しい知見として受け止めた重要なことがあった。オペラ座は17世紀の創建以来、何と15回ほど建て替えがあったというのである。地震がない地域の石造りを基本とする建物としては、少々意外だ。電気などの照明が発明される前のオペラ座では、灯りを取るためにろうそくなどの火を使うことが多く、火事がよく起きたのだそうだ。
展示作品の中に、火事に遭ったオペラ座の絵があった。遺跡を描くことで知られる画家ユベール・ロベールによる、1781年の作品だ。もうもうと立っている煙は、画面の半分以上を占めている。ニュース性の高い絵である。手前には、火事場見物をするたくさんの貴族たちの姿が描かれていた。自分たちの社交場が焼ける様子を見ている人々の心中は、穏やかならぬものだったに違いない。
現在パリの中心部にある「ガルニエ宮」と呼ばれるオペラ座の建物は1875年の竣工なので、この火事はその約100年ほど前の出来事ということになる。オペラ座は、何度失われても建て直す必要と価値がある、重要な施設であり続けてきたのだ。
(左)ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト「バレエの間奏曲のためのスケッチ。パントマイムのためのフランス語の指示付き、KV299c」自筆譜(1780年、パリ、フランス国立図書館蔵)
(右)クリストフ・ヴィリバルト・グルック「オルフェオ」自筆譜(1774年頃、パリ、フランス国立図書館蔵) 展示風景
自筆の楽譜の展示についても紹介しておきたい。フランスのオペラ座ゆえリュリやラモーなどフランスの作曲家の楽譜が主だったが、モーツァルトのものもあった。フランスのダンサーで振付家、舞踊理論家ジャン=ジョルジュ・ノヴェールのために制作した、バレエ音楽の間奏曲と考えられているそうだ。1780年の作曲なので、生涯にわたってしばしば旅をしたモーツァルトの3度目のパリ訪問の頃に作曲されたものと推測できる。
楽譜からは音は出ないが、じっと眺めていると踊りが目に浮かぶように感じる。コンピューターで記譜する作曲家も増えているであろう現代とは違って、昔の譜面はすべて手書きだった。そこには作曲家の性格や曲の個性が現れる。 
モーツァルト:バレエの間奏曲のためのスケッチ KV299c

グルックが1774年のパリ・オペラ座上演用に改変した歌劇《オルフェオとエウリディーチェ(オルフェとユリディース)》

ジャン=ピエール・ダンタン《作曲家ジョアキーノ=アントニオ・ロッシーニの胸像》(1831年、パリ、フランス国立図書館蔵)ほか 展示風景

フランスの彫刻家ダンタンが制作した、イタリアの作曲家ロッシーニの彫像も出品されていた。腕組みをして何かを考えている姿をかたどっているようだ。曲の構想でも練っているのだろうか。しかし、彫刻の台座の辺りを見ると、なぜかそこにはスパゲティのようなものが彫られている。料理通としても知られたロッシーニのことだから、ひょっとしたら新しい料理のメニューを考えていたのかもしれない。

ロッシーニのフランス移住後に作曲され、パリ・オペラ座で初演された歌劇《オリー伯爵》

(左)エドゥアール・マネ《ハムレット役のフォールの肖像》(1877年、フォルクヴァング美術館蔵)
(右)エドゥアール・マネ《ハムレット役のフォールの肖像》(1877年、ハンブルク美術館蔵) 展示風景
19世紀後半になると、印象派周辺の美術愛好家にはおなじみの名前の画家の絵が登場する。まず注目したいのは、「近代絵画の父」と言われるエドゥアール・マネが描いた油彩画《ハムレット役のフォールの肖像》2点だ。一つは粗描きのスケッチ風、もう一つは比較的しっかりとした筆致で描かれている。肖像の主は、19世紀のパリ・オペラ座のバリトン歌手、ジャン=バティスト・フォール。マネの作品を多数収集した絵画コレクターでもあったという。ところが、完成作と思われる左の絵は当時のサロン(官展)で批判の対象となったうえ、描かれたフォール自身も気に入っていなかったそうだ。サロンで勝負するには、マネは画才があり過ぎた。それゆえ、先端的な表現を好む人々以外には受け入れにくかったのだろう。
同じくマネが描いた絵の中で、仮面舞踏会を題材にした作品が2点出品されていた。1点はアーティゾン美術館の所蔵品である。そしてこちらの2点は、マネの上質の筆致の奥で、下世話な興味を喚起する。シルクハットを被った礼装の男性が多数立っている中に、仮面をつけた女性たちがいる。女性たちは高級娼婦だという。どんなことが行われていたのかは推して知るべしということになるのだろうが、こうした舞踏会がオペラハウスで開かれていたこと自体が、当時の社会風俗のありようを教えてくれる。
フォールが初演のタイトル役を務めたアンブロワーズ・トマ作曲の歌劇《アムレ(ハムレット)》〜2つのアリア
エドゥアール・マネ《オペラ座の仮面舞踏会》(1873年、ワシントン、ナショナル・ギャラリー蔵) 展示風景
エドゥアール・マネ《オペラ座の仮装舞踏会》(1873年、石橋財団アーティゾン美術館蔵) 展示風景

マネはこの《オペラ座の仮面舞踏会》についても美術界の権威だったサロンでの入選を目指していたようだが、落選した。画題がスキャンダラスだったからだろうか。しかしスキャンダラスな作風は、実はマネが得意とするところでもある。筆者はこうした作品を見て、サロンでの入選を目指しながらも自分の画風を変えなかったマネは、とにかく自分の作風を貫く画家だったことを、強く感じる。

ルノワールとワーグナー

マネと同時代のルノワールがワーグナーのオペラ《タンホイザー》の場面を描いたのも、なかなか興味深い。ワーグナーは1883年に亡くなっており、ルノワールがモネと一緒に印象派の技法を始めた1870年代とワーグナーの晩年は重なる。名高きワーグナーは、ルノワールにとっても偉大な存在だったはずだ。《タンホイザー》の場面を描いた作品は、ワーグナーの熱烈な愛好者だったパリの精神科医エミール・ブランシュのディエップの別荘のために描かれたものだという。
《タンホイザー》は中世の騎士をめぐる「愛」と「死」をテーマにした物語だ。ルノワールはキャリアを重ねるほど「愛」を描く傾向が強くなった画家と筆者は見ているが、キャリアとしてはまだ駆け出しに近かったこの時代からすでに、「愛」を描くことには燃えていたのではないだろうか。展示されている2枚を見ると、幻想的な世界の中に愛すべき女性たちが多く描かれており、そう思えて仕方がないのである。
ルノワールは実際にワーグナーに会う機会も得ており、肖像画を残している。ルノワールらしくほのぼのとした描き方になっており、実はワーグナー本人には気に入られなかったという逸話もあるが、この絵を見ても、やはり「愛」があふれているように見えるのである。
左)アンドレ・ジル《リヒャルト・ヴァーグナー》(1869年、パリ、フランス国立図書館蔵)
(右)ピエール=オーギュスト・ルノワール《リヒャルト・ヴァーグナーの肖像》(1893年、パリ、フランス国立図書館蔵) 展示風景

ワーグナーがパリ上演に際して改編した「パリ版」《タンホイザー》。フランス語による上演

天井や緞帳にもアートが

本記事の最初に展覧会の中ではごく一部の紹介となったことを伝えたシャガールの天井画についても触れておきたい。

(左)マルク・シャガール《オペラ座の人々》(1968-71年、ポーラ美術館蔵)
(右)マルク・シャガール《ガルニエ宮の天井画のための最終習作》(1963年、パリ、ポンピドゥー・センター/国立近代美術館/産業創造センター蔵) 展示風景

チャイコフスキーの《白鳥の湖》やラヴェルの《ダフニスとクロエ》、ワーグナーの《トリスタンとイゾルデ》など12のオペラやバレエの演目を題材にシャガールがオペラ座の天井画を描いたのは、1963年のことだ。この展覧会では、その最終習作が展示されている。実はガルニエ宮の創建当初は、別の天井画がしつらえられていた。

この展覧会では、ジュール=ウジェーヌ・ルヌヴーによる最終案とされる絵画が展示されており、内容を確認できる。これはこれで、とても素敵だと思ったのだが、皆さんはどう感じるだろうか。教会の天井画の趣をたたえた作風で、音楽の神ミューズなどをテーマに描かれている。実に優雅である。

ジュール=ウジェーヌ・ルヌヴー《ミューズと昼と夜の時に囲まれ、音楽に魅せられた美の勝利(パリ・オペラ座円天井の最終案)》(1872年、パリ、フランス国立図書館蔵)ほか 展示風景
シャガールに天井画の制作を依頼したのは、当時のフランスの文化大臣アンドレ・マルローだった。20世紀に入ると、いわゆるクラシック音楽はずいぶん前衛的になってくる。たとえば、優雅とは対極にあるストラヴィンスキーの《春の祭典》の初演は、1913年にパリのシャンゼリゼ劇場で行なわれたが、当時の人々の中にはこの音楽に拒絶反応を示した人も多くおり、ブーイングの嵐がわき起こったことがよく知られている。それでも、その後比較的すぐに多くの人々が受け入れるようになるのは、パリが芸術都市たるゆえんである。音楽にしろ絵画にしろ舞台パフォーマンスにしろ、芸術には時代の息吹が反映される。そうした芸術をめぐる空気の移ろいの表現の一環として、シャガールへの天井画の依頼があったのではなかろうか。
最後に、展示室の出口付近で比較的地味な印象を与えていた作品を紹介しておきたい。米国出身の現代美術家、サイ・トゥオンブリーが描いた、「オペラ・バスティーユ」の緞帳の下絵だ。実物の緞帳には、展示されたうちの1点の図柄がそのまま拡大して描かれている。
サイ・トゥオンブリー《オペラ・バスティーユの緞帳のための習作(6点)》(1986年、国立造形芸術センター蔵、パリ、ポンピドゥー・センター/国立近代美術館/産業創造センターに寄託)より 展示風景
近年、多くのオペラ公演が行なわれている「オペラ・バスティーユ」は造りが近代的で、伝統的な趣を持つガルニエ宮とは対照的だ。そこに、現代美術家トゥオンブリーの緞帳が設えられ、20世紀のオペラ座であることを主張しているのは、なかなか興味深い。トゥオンブリーは、この緞帳の図柄にも通じる、まるでなぐり書きのような図柄の作品が数年前に日本円にして約87億円もの高値でオークションで落札されたことで話題になった現代美術家だ。作風はある意味素朴だが、その描き方のどこに価値があるのかと考え始めると、明快な答えを出すのは難しい。おそらく現代美術の中でも最も難解な部類に入る。だからこそ、創造を尊ぶ都市にはふさわしい存在であることを考えると、オペラ座が時代とともに文化を創る場として機能していることがわかる。
(左)エドガー・ドガ《バレエの授業》(1873-76年、パリ、オルセー美術館蔵)
(右)エドガー・ドガ《踊り子たち、ピンクと緑》(1894年、吉野石膏コレクション、山形美術館に寄託) 展示風景

ほかにも、エドガー・ドガの踊り子をモチーフにした絵画や彫刻があったり、演出家という本来は裏方とも言える人物の肖像画の大作を描くことによってオペラの演出の大切さを物語る作品があったりと、展示室を巡る中ではさまざまな出会いと発見があった。絵巻物の中を歩くような気持ちで会場を巡ってみることをお勧めしたい。

【参考写真】オペラ座「ガルニエ宮」のロビー。社交の場となった豪奢な雰囲気を今でも持つ大空間だ(2016年2月筆者撮影、本展では展示されていません)
展覧会情報
パリ・オペラ座−響き合う芸術の殿堂
アーティゾン美術館(東京・京橋)
会期: 2022年11月5日-2023年2月5日
Gyoemon《オペラ座の怪猫》
草木も眠る丑三つ時にオペラ座を訪ねると、よなよなたくさんの音楽記号を階段に落としつつも仮面をつけてあのゴージャスなロビーで歌い続ける怪猫がいるという伝説を、絵にしてみました。別名《階段の怪談》。Gyoemonは筆者の雅号です。
小川敦生
小川敦生 日曜ヴァイオリニスト、ラクガキスト、美術ジャーナリスト

1959年北九州市生まれ。東京大学文学部美術史学科卒業。日経BP社の音楽・美術分野の記者、「日経アート」誌編集長、日本経済新聞美術担当記者等を経て、2012年から多摩...

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