デザイナーは“ワグネリアン”〜マリアノ・フォルチュニが描くワーグナー作品の世界
音楽だけでなく、台本や舞台演出にまでこだわった総合芸術家リヒャルト・ワーグナー。その世界に心酔するファンを“ワグネリアン”と呼びます。熱狂的な“ワグネリアン”であったスペイン出身のファッション・デザイナー、マリアノ・フォルチュニとはどんな人物?
三菱一号館美術館にて開催中の「マリアノ・フォルチュニ 織りなすデザイン展」で出会った作品たちとワーグナーの《ニーベルングの指環》に触発された、日曜ヴァイオリニスト兼、多摩美術大学教授を務めるラクガキストの小川敦生さん。今回はどんなラクガキが生まれたのでしょうか。
1959年北九州市生まれ。東京大学文学部美術史学科卒業。日経BP社の音楽・美術分野の記者、「日経アート」誌編集長、日本経済新聞美術担当記者等を経て、2012年から多摩...
繊細なひだを施すプリーツ技術によって、機能的でモダンなデザインのドレスを生み出したスペイン・グラナダ出身のデザイナー、マリアノ・フォルチュニ(1871〜1949年)は、“ワグネリアン”すなわち作曲家リヒャルト・ワーグナーの熱狂的なファンだったという。
東京・丸の内の三菱一号館美術館で開かれている「マリアノ・フォルチュニ 織りなすデザイン展」の会場を訪れると、ワーグナーに関わる絵画が多く展示されており、日頃のワーグナーに関する筆者の興味も手伝って、強烈に目を奪われた。
フォルチュニの絵画で表現される色彩的なワーグナーの世界
フォルチュニは、デザイナーである以前にまず画家を志していたようだ。父親がローマにアトリエを持つ画家、さらに母方の祖父と曽祖父は、マドリードでプラド美術館の館長を務めていたという美術関係の家系に育った。
フォルチュニ本人がルーベンスやティントレット、ゴヤといった名だたる巨匠の絵画を模写するなど画家としての修業に励んだのは、おそらく自然なことだったのだろう。この展覧会で展示されている多くの絵画作品は、その修業の成果というべきものだが、作風として特に大きく惹かれたのは、極めて豊かな色彩表現だった。
展示されていたワーグナーに関する絵画の数々も、なかなか華やかである。中でも特に蠱惑的に感じた作品があった。ワーグナーのオペラ《パルジファル》の登場人物であるクンドリという女性を描いた1枚だ。画面のほぼ全面をたくさんの花が埋める中に、美しいヌードの女性の上半身が描かれている。
これは、物理的な制約のあるオペラの舞台とは異なる、絵画という絵空事の場ゆえに生まれた表現なのではないか。クンドリは呪いを受けた美女としてオペラに登場する。フォルチュニが描いた花の中のクンドリは、幾分憂いを帯びたかに見える表情が惹きつけてやまなかった。
ワーグナー:舞台神聖祝典劇《パルジファル》第2幕~クンドリのアリア「幼な子のあなたが母の胸に」
時間を忘れさせるワーグナーの魅力
さて、ワーグナーは自身のオペラを「楽劇」と呼び、その多くは上演時間が極めて長い。最長の作品は《ニーベルングの指環》。4部作の合計で十数時間を要するため、4日間に分けて上演される。
ライン川の水の流れの描写に始まり、映画音楽でも使われた「ワルキューレの騎行」などのドラマチックなシーンを経て、炎の場面の後に旅を終える壮大な物語。展示室で見た『リヒャルト・ワーグナーのオペラ《神々の黄昏》より ジークフリートとラインの乙女』という油彩画の夢幻的な表現は、やはり絵画ならではのものだった。
日曜ヴァイオリニストを自称する筆者は、所属しているザ・シンフォニカというアマチュア・オーケストラの今年7月の演奏会で《ニーベルングの指環》の管弦楽抜粋版を演奏した。編曲は、指揮者として著名なロリン・マゼール。《言葉のない指環》というタイトルが付されているのだが、その抜粋版ですら70〜80分を要する。管弦楽曲としては相当な大曲である。
ただし、演奏はいったん始まるとあっという間に終わってしまった。演奏終了後、指揮をしたキンボー・イシイ氏に「あっという間に終わってしまいました」というと、「ワーグナーの演奏はそうあるべきなんですよね」と応えてくれた。おもしろいものに熱中していると時間を忘れる。おそらくワーグナーはそんな音楽を創る作曲家なのだ。フォルチュニも、そんな感覚をもちながら壮大な音楽にはまった“ワグネリアン”だったのだろう。
ロリン・マゼール指揮/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団:ワーグナー《言葉のない指環》
総合芸術に心酔した総合クリエイター
オペラは音楽、演劇、美術などの要素が集積した総合芸術だ。ワーグナーに心酔したフォルチュニは、ワーグナーの楽劇を上演するために造られたドイツのバイロイト祝祭劇場で舞台装置を造るという仕事を手がけている。
一方で、オペラが持つ物語の一場面を切り出したのがフォルチュニの絵画作品。前に立つと、今度は絵画ゆえの物理的な空間を逸脱したような広がりを感じる。フォルチュニは大好きなワーグナーを、さまざまなアプローチで表現したクリエイターだったのである。
子どもの頃のフォルチュニは病弱だったといい、母親の意向で1888年にイタリアの古都ヴェネツィアにローマから移住、途中パリにもアトリエを構える時期を経て、ヴェネツィアで没している。
あまり知られていないのではないかと思うが、ワーグナーが没したのもヴェネツィアだった。フォルチュニが住み始めるわずか5年前のことである。ワーグナーは体調を崩していたため、過ごしやすい土地をということでヴェネツィアで暮らし始めたと聞く。だが、そもそも文化の集積地だったヴェネツィアという土地にはおそらく芸術家たちを呼び込む大いなる魅力があったに違いない。
Gyoemon作《ニーベルングの指環》
会場: 三菱一号館美術館(東京・丸の内)
会期: 2019年7月6日(土)~10月6日(日)
上映劇場: 東劇(地下鉄東銀座駅6番出口 徒歩1分)
《ラインの黄金》 上映時間:3時間3分
指揮:ジェイムズ・レヴァイン
演出:ロベール・ルパージュ
出演:ブリン・ターフェル、ステファニー・ブライズ
上映日:8/9(金)11:00~、8/11(日)11:00~、9/14(土)11:00~
《ワルキューレ》2010-11 上映時間:5時間14分
指揮:ジェイムズ・レヴァイン
演出:ロベール・ルパージュ
出演:デボラ・ヴォイト、ヨナス・カウフマン
上映日:8/9(金)15:00~、8/11(日)15:00~、9/14(土)15:00~
《ワルキューレ》2018-19 上映時間:4時間51分
指揮:フィリップ・ジョルダン
演出:ロベール・ルパージュ
出演:クリスティーン・ガーキー、エヴァ=マリア・ヴェストブルック
上映日:9/13(金)16:00~、9/16(月・祝)11:00~
《ジークフリート》上映時間:5時間11分
指揮:ファビオ・ルイージ
演出:ロベール・ルパージュ
出演:ジェイ・ハンター・モリス、デボラ・ヴォイト
上映日:8/10(土)10:00~、8/12(月・休)10:00~、9/15(日)10:00~
《神々の黄昏》上映時間:5時間28分
指揮:ファビオ・ルイージ
演出:ロベール・ルパージュ
出演:デボラ・ヴォイト、ジェイ・ハンター・モリス
上映日:8/10(土)16:00~、8/12(月・休)16:00~、9/15(日)16:00~
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