画家たちをインスパイアしてきたサロメを最旬の歌手で~ノット&東響の歌劇《サロメ》
古来から画家たちのインスピレーションを刺激してきたサロメ。西洋絵画につらなるサロメ像の系譜と、R.シュトラウスのオペラ化がスキャンダルを引き起こした初演時の様子をご紹介します。〈7つのヴェールの踊り〉で知られるこの《サロメ》が、11月18日ミューザ川崎シンフォニーホール、20日サントリーホールでジョナサン・ノット&東京交響楽団により演奏会形式で上演されることから、今世界でもっとも注目されるサロメのアスミク・グリゴリアンについてなど、この注目公演の聴きどころも解説!
音楽ジャーナリスト。都内在住。著書に『はじめてのクラシック マンガで教養』[監修・執筆](朝日新聞出版)、『クラシック音楽のトリセツ』(SB新書)、『R40のクラシッ...
西洋絵画につらなるサロメ像の系譜
今、上野の国立西洋美術館の常設展を訪れたオペラ・ファンは、きっとこの一枚に目を止めるのではないだろうか。ティツィアーノ・ヴェチェッリオと工房による「洗礼者聖ヨハネの首を持つサロメ」(1560–70年頃)だ。
ユダヤの王ヘロデの継娘サロメは、踊りの褒美として聖ヨハネ(ヨカナーン:イエス・キリストに洗礼を授けた聖者)の首を所望する。ヨハネは斬首され、その首が盆に載せてサロメに差し出される。
ここで注目すべきはサロメが豊満で、血色がよいところだ。とても健康的だ。きっと食欲も旺盛で、ご飯をもりもりと食べているはず。
サロメを題材とした絵はほかにもクラナッハ、カラヴァッジョ、レンブラント、モローなどたくさんある。オペラとのかかわりでいえば、リヒャルト・シュトラウスのオペラ《サロメ》の原作であるオスカー・ワイルドの戯曲に添えられたビアズリーの挿絵がまっさきに思い浮かぶ。
サロメは古来から画家たちのインスピレーションを刺激し、さまざまに描かれてきた。19世紀末には、男性を翻弄し破滅させる魔性の魅力をもつ「運命の女=ファム・ファタール(仏語:Femme Fatale)」が芸術作品の題材としてもてはやされ、サロメがその代表格となる。ワイルドの『サロメ』も、その潮流の中から生まれた
耽美的で装飾的な白黒ペン画で描かれたサロメは、およそ健康的ではなく、ふくよかでもない。ただただ妖しい。同じサロメでも、ティツィアーノとビアズリーでは著しくイメージが異なる。
もともと新約聖書におけるサロメは母親にそそのかされてヨハネの首を求めたにすぎないが、ワイルドの戯曲、さらにシュトラウスのオペラを通じて、サロメは己の満たされない欲望からヨハネの斬首を求めるファム・ファタールへと変容していった。
スキャンダルを引き起こしたシュトラウスのオペラ《サロメ》
1905年、ドレスデンで初演されたシュトラウスの《サロメ》は旋風を巻き起こした。その理由のひとつは、このオペラが倒錯的で背徳的な題材を扱っているからではあるだろう。
当時の感覚すれば、ずいぶんといかがわしい物語にはちがいなく、検閲のためウィーンの宮廷歌劇場では上演ができなかったほど。
初演から5か月後、オーストリアのグラーツで上演された際には、マーラー、シェーンベルク、ベルク、プッチーニら音楽界の要人が集まるほどの注目を集め、曲が終わると満場の聴衆は10分間にもわたって拍手を続けたという。
聴衆の熱狂が物語るのは、シュトラウスの音楽の力強さだろう。物語がスキャンダラスなだけではオペラの聴衆を満足させることは決してなく、聴衆は豊麗にして激烈な音楽が生み出す緊迫感あふれる音のドラマに圧倒されたはずである。
結局のところ、オペラに成功をもたらすのは作曲家の斬新な音楽にほかならなず、その魅力は今も色褪せていない。
音楽における新たなサロメ像~今もっとも注目されるサロメ役との出会い
美術の世界と同じように、音楽におけるサロメ像も歌手や演出家によって大きく変わる。同じシュトラウスのオペラ《サロメ》であっても、サロメのキャラクターはさまざま。ひたすら恐ろしいサロメもいれば、妖艶なサロメも、可憐な少女のようなサロメもありうる。音楽は再現芸術なので、毎回の上演が新しいサロメ像との出会いだ。
ジョナサン・ノット指揮東京交響楽団は11月18日と20日の2公演にわたり、シュトラウスの《サロメ》を演奏する。ここでサロメ役を歌うのはリトアニア出身のアスミク・グリゴリアン。グリゴリアンは2018年のザルツブルク音楽祭でロメオ・カステルッチ演出、ウェルザー=メスト指揮ウィーン・フィルの《サロメ》でセンセーショナルな成功を収めており、今もっとも注目されるサロメといってよい。これまでのサロメ像を刷新するような鮮烈な印象を残してくれるにちがいない。
「演奏会形式」でもドラマの世界に入り込める
この上演は「演奏会形式」と銘打たれているが、演出監修として名バリトン歌手として名高い重鎮、トーマス・アレンの名が挙がっているのも見逃せない。つまり、コンサートホールでの上演であっても、可能な範囲での演出が入ることになる。
以前にもアレンはノット指揮東京交響楽団の《コジ・ファン・トゥッテ》演奏会形式で舞台監修を務めていたが、その際は机と椅子や小道具を効果的に用いて、聴衆を物語の世界に引き込んでくれた。今回の《サロメ》でも、ドラマを十全に味わうための工夫を凝らしてくれることだろう。
長大な交響曲を聴くような楽しみ方も
歌手陣と並んで楽しみなのは、もちろん、ジョナサン・ノット指揮の東京交響楽団。このコンビはいつも予定調和に終わらないスリリングな音楽を生み出す。
リヒャルト・シュトラウスの《サロメ》はまちがいなくオペラではあるが、1幕のみとあってオペラとしては短く、長大な交響詩や交響曲を聴くような楽しみ方もできる。オーケストレーションは鮮烈にして壮麗。「オーケストラは好きだけれど、オペラはあまりなじみがない」という方にも近づきやすい作品だ。
クライマックスは官能的な〈7つのヴェールの踊り〉
このオペラでしばしば単独でも演奏されるのが〈7つのヴェールの踊り〉。エキゾチックで官能的な音楽が興奮をかきたてる。実はワイルドの戯曲では、この場面はたったの一行で終わる。ト書きに「サロメ、7つのヴェールの踊りを踊る」と書いてあるだけ。どんな踊りかはわからないし、ヴェールを脱ぐとも書かれていない。
この一行からシュトラウスがあれだけ強烈な音楽を生み出しているのだから、作曲家のイマジネーションも並大抵ではない。さて、ノットと東響はどんな踊りの音楽を表現してくれるだろうか。
R.シュトラウス《サロメ》より〈7つのヴェールの踊り〉
月夜の暑いユダヤの地、ヘロデ王が宮殿で宴会を開いている。ヘロデ王の継娘サロメは退屈しているが、ヘロデから注がれる視線が気になっている。
サロメはヘロデから逃れるために外に出ると、地下から男の声が聞こえてくる。預言者ヨカナーンの声だ。彼はヘロデが自分の兄の妻ヘロディアスをめとったことに対して諫言したため、幽閉されている。
サロメは、預言者の見張り役のナラボートが自分に好意があることを利用して、ヨカナーンを地上に呼び出す。サロメはヨカナーンに魅了されていく。彼に口づけを求めるが、拒否される。
そこにヘロデが現れ、宴会に戻るようにサロメに懇願するが、断られる。するとヘロデは、サロメが自分のために踊ることを条件に、サロメの求めるものを何でも与えると約束する。千載一遇のチャンスとばかりに、サロメは、ヘロデのために妖艶な舞を披露する。
「銀の器に、ヨカナーンの首を乗せてほしい。」とサロメはいう。ヘロデは孔雀や宝飾品など別のものを提案するがサロメは聞き入れない。くたびれ果てたヘロデは、部下に命令する。器の上に置かれた生首がサロメのもとに運ばれ、彼女は喜び、それに向かって口づけをし、歌う。ヘロデは、サロメの狂気沙汰に恐怖を覚え、部下に彼女を殺すように命じる。
(演奏会形式/全1幕/ドイツ語上演/日本語字幕付き)
日時・会場:
2022年11月18日(金)19:00開演(20:40終演予定)・ミューザ川崎シンフォニーホール
2022年11月20日(日)14:00開演(15:40終演予定)・サントリーホール
出演:ジョナサン・ノット(指揮)、サロメ:アスミク・グリゴリアン(ソプラノ)、ヘロディアス:ターニャ・アリアーネ・バウムガルトナー(メゾソプラノ)、ヘロデ:ミカエル・ヴェイニウス(テノール)、ヨカナーン:トマス・トマソン(バスバリトン)、他
演出監修:サー・トーマス・アレン
管弦楽:東京交響楽団
料金:S席15,000円~C席6,000円(18日)、SS席15,000円~C席4,000円(20日)
問い合わせ:ミューザ川崎シンフォニーホール(18日)044-520-0200(10:00-18:00)、TOKYO SYMPHONY チケットセンター(20日)
044-520-1511(平日10:00〜18:00 土日祝休)
公演詳細はこちら
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