オペラ《二人静》〜あの世とこの世を行き来する夢幻能をいまに蘇らせる!
夏のサントリーホールでは、初演作品をはじめ多くの現代音楽を楽しめる「サマーフェスティバル 2021」が恒例。
今年は作曲家・指揮者のマティアス・ピンチャーと、彼が率いる現代音楽の先駆者である31人のパリの演奏家集団アンサンブル・アンテルコンタンポラン、そして日本の精鋭音楽家たちがコラボレーションします。
その初日8月22日(日)には、霊が主役の夢幻能に現代の悲劇を取り入れたオペラ《二人静》(日本語原作:平田オリザ/1幕1場/英語上演・日本語字幕付/演奏会形式)を上演。
作曲者である細川俊夫と出演する能声楽家・青木涼子が対談し、作品の背景やパリでの初演時の様子、今回フィーチャーされるマティアス・ピンチャーなどについて伺いました。
東京藝術大学大学院音楽研究科修了。専門は音楽学。ジョン・ケージを出発点に20世紀の音楽を幅広く研究するとともに、批評活動を通じて、現代の創作や日本の音楽状況について考...
パリで完売! 能『二人静』を題材にし、女性2人を対比させたオペラができるまで
——今年のサントリーホール サマーフェスティバルは監修がアンサンブル・アンテルコンタンポラン(EIC)で、楽しみなコンサートが多いのですが、中でも細川俊夫さんのオペラ《二人静》は注目度の高い演目です。
EICが委嘱してパリで初演、そのあとすぐに音楽監督・指揮のマティアス・ピンチャーとEICがケルンへ移動して演奏したんですよね。
YouTubeでパリ初演の記録を視聴しましたが、現代の地中海の海辺と中世の鎌倉の由比ガ浜が交錯する、時空を超えたファンタジー、そして、これまでの作風を集大成した細川さんの音楽の充実度に圧倒される作品です。反響はいかがでしたか。
細川 よかったですよ。チケットが売れ切れで全然、手に入らず、親しい人が来てもあげられなくて。会場はシテ・ド・ラ・ミュジークですから、1000人くらいかな。
青木 早くから売れ切れていましたよね。
細川 平田オリザが台本を書いていますから、演劇ファンと音楽ファンが両方重なってしまって、それでチケットの争奪戦になった。すごく嬉しいですよ。
青木 2017年初演で、そのあとカナダのトロント、韓国のトンヨン、ニューヨークで再演しています。現代のオペラとしては多いと思う。
——日本の題材に対する反響はどうでしょう。
細川 ま、パリは相変わらずですよね。ああいう日本を好む人がいっぱいいますから。
青木涼子さんの声、存在がすごく新鮮だったと思う。普通、男性ですから、能は。それが女性で、一緒に出演したソプラノ、シェシュティン・アヴェモもすばらしい演技力があって美しい人。さらに、この2人の対比というのが非常に面白かったと思う。
——アンサンブル・アンテルコンタンポランから委嘱された経緯は?
細川 委嘱してくれたのはエルヴェ・ブトリ。長い間アンサンブル・アンテルコンタンポランのマネージャーだった人で、彼が何かやらないかと声をかけてくれたので、いろんなアイデアを出しました。
青木涼子さんと能が主体の新作をやったらどうかと言うと「ぜひ、それをやってほしい」と。彼がフェスティバル・ドートンヌのジョセフィーヌ・マルコヴィッチに声をかけて、アンサンブル・アンテルコンタンポランの定期での初演と同時にフェスティバル・ドートンヌの催しとして企画されたんです。
——じゃあ、まず青木さんの出演が決まったんですね。次に題材を決めるときには平田さんから提案があったのですか。
細川 いや、まず青木さんから能の『二人静』を素材にするのはどうかと提案があって、僕が平田オリザさんのところに持っていきました。だけど、そのままでは面白くないから、何か新しいテーマにして欲しいと。
当時、シリア難民の問題があって、ちょうどギリシャの海岸に赤ちゃんが浮かんでいた出来事があった時期でしたから、こういうのをテーマにして、現代と結びつけようというアイデアを平田さんが考えたんです。
2017年にパリで初演された細川俊夫作曲のオペラ《二人静》(原作:平田オリザ/出演:青木涼子、シェシュティン・アヴェモ、マティアス・ピンチャー指揮アンサンブル・アンテルコンタンポラン)
——平田さんらしいですよね。青木さんはなぜ、『二人静』を推薦されたのですか。
青木 ソプラノと私の2人、登場人物がいたほうがいいんじゃないかと細川先生に言われて、確かに私は声がちょっと低いので、高い声の人との組み合わせがいいなと思いました。それで主人公が2人いる演目ってなんだろうと考えたら、『二人静』が出てきた。能は普通シテ(主役)が1人なので、すごく珍しい例なんです。
細川 『松風』もそうだけどね(※若い海女の姉妹の霊が主人公)。
青木 そうそう。その2つくらいしかなくて。
——細川さんの作品を初演するのは初めてとのことですが、青木さんの視点から見たとき、細川さんの作品の魅力はどんなところでしょう。
青木 やはり音楽に圧倒されます。歌うとき、ものすごく緊張しますね。細川さんの音楽にある静寂を壊したらいけない気がして。日本的な「間」である静寂から生まれた緊張感のある音の世界は、能に通じるところがある。それをより普遍的に、新しい音楽作品として昇華しているところや、《二人静》では、謡がオーケストラと一体となって、楽器の一つであるかのように書かれているところに魅力を感じます。
パリ初演時には、アンサンブル・アンテルコンタンポランの演奏する力がすごくて、鳥肌が立ちました。
あの世とこの世の橋掛りをオペラで蘇らせる
——ところで、細川さんが能に取材したオペラは、まず《班女》があって……。
細川 《班女》(2003-04)、《松風》(2010)、《海、静かな海》(2015)、《二人静》(2017)の4つかな。
——《班女》と《松風》は能の物語をほぼそのまま使っていますよね。
細川 《松風》はそうね、そのまま。《班女》は、三島由紀夫が作り変えたものをそのまま。
——三島の時代にも、いろんな社会的背景を投影したとは思いますが、今度、平田さんの台本になってから生まれた2作は、完全に現代社会の中で展開して、能は劇中劇のような形で入り込んでいる感じですね。
軸足を現代に置いて、私たち自身が直面する生々しいできごとに能のテーマを重ね合わせたことで、現実世界の苦悩がはるか昔の悲劇に通じる普遍的な魂の問題として感受しやすくなったと思います。
そのあたりは平田さんのオリジナルですか。
細川 そうですね。一緒にハンブルクでオペラ《海、静かな海》を作ったときは、僕が震災の問題と『隅田川』——子どもを亡くしたお母さんの話、これをテーマにしたいと言ったんです。そこへ彼が、森鷗外の『舞姫』を重ねてはどうかと。『舞姫』と『隅田川』が一緒になって、あの話ができました。
——細川さんは能にすごく惹かれていらっしゃいますが、伝統のある能を、いま改めて、オペラとして開いていく面白さはどういうところにありますか。
細川 能のオリジナルって素晴らしいと思うんですね。特に夢幻能ね。心に悲しみのあるあの世の人が、この世に出てきて歌うでしょ。そして舞い、語る。そういうことによって、魂の救いを得て、また橋掛りを通ってあの世へ帰ってくるという構造がたまらなく好きなわけです。この世とあの世の橋掛りを作りたいんです。
でも、実際に能を観に行ったら、必ず眠くなりますよ(笑)。
——言葉が聞き取りづらい?
細川 どうも能の本当の魅力は、まだ、隠されている気がするんですよ。能は祭祀的というか、セレモニアルなものだと思うんですよね。薪能はもっと神秘的で、炎とか夜とかと結びついているけれど、能楽堂に行ったらライトじゃないですか。全然、神秘感がない。
——なるほど。オペラは、古典より魅力的な新しい能?
細川 能って言わなくてもいいんですけど、遠いところに魅力的な宝があって、それを何とか今に蘇らせるような作品を作りたいと思っています。
2人の女性に起こる悲劇を、謡とソプラノの対比で表現する
——青木さんからみて、古典の持っている魅力と、現代の作曲家が書いた作品で演じる能の魅力、どんな違いがありますか。
青木 能には、650年の歴史の中で作られてきた様式美——簡潔な舞台、抽象的な舞や、情景を表す謡があります。そういった約束事を知ったうえで、想像力を使って能動的に観るのが魅力なのだと思います。
細川さんの《二人静》のような現代の作品は、作曲家の視点で従来の能とは違う面にフォーカスして、新しい作品として作り上げてくれます。それが生まれる瞬間に立ち会って、一緒に作っていける点も現代作品の魅力です。
私は能を音楽だと思っています。目を瞑って聴いてもお囃子の音とか声とか、音楽的な要素が強いじゃないですか。そこは普通の方でも楽しめると思うのですが、あまり注目されてこなかった。謡(うたい:能独特の節回しによる台詞の発声)は汎用性が高いというか、能だけじゃなくて、もっと一般に広がる可能性があると思っていて、オーケストラとやってみたり、他の楽器とやってみたりしています。
——細川さんにとって、《二人静》での音楽的挑戦はどんなことでしょう。
細川 やっぱり青木涼子さんのために書くってことですね。小さいオーケストラと彼女のために書くのは、なかなか難しい仕事でした。ソプラノはまったく問題ないんですけど、この人の声はなかなか難しいんですよ。魅力的な音域が狭い。だから、それを上手に生かして、良い対比を作ったんです。
——歌っていて特徴的なところはなんですか。
青木 いやもう、難しくて(笑)。発声は謡そのものですが、謡ではリズムや音をとることをしないので。譜面がシンプルに見えるので、油断すると大変なことになります。アヴェモさんも譜面を見て簡単だわと思っていたら、「できない、できない」と焦っていた感じです。
——日本語の歌詞は、元の台詞を使っていたりするんですか。
青木 能は一部だけ引用して、和歌が3つくらい使われています。対話のセリフは現代の日本語で書かれています。
——日本で演奏されることについて、特別な想いはありますか。
細川 サントリーホールは素晴らしいので、そこでの上演は嬉しいです。そして、義経と静の子が頼朝に殺される悲惨な話と、現代の寝床がない難民たちが海で死んでいく話とを結びつけた物語が、東京の真ん中で演奏される意味は大きいと思っています。
指揮者・作曲家ピンチャーの深く豊かな音楽に触れよう!
——細川さん、指揮者のマティアス・ピンチャーとは以前からの知り合いですよね。
細川 はい。20年近く昔、グラーツの音楽祭で、カンブルラン指揮クランクフォーラム・ウィーン(現代音楽専門の室内オーケストラ)が、僕とオルガ・ノイヴィルト(1968年生まれ、オーストリアの作曲家)とピンチャーの3人を特集したんです。あの2人はまだ20代で、若いころから活躍していました。ピンチャーは譜面を読むのが速くて、すごいなぁと思って。いつの間にか指揮者になって、今度はアンサンブル・アンテルコンタンポランの指揮者だというから「ええっ!」と驚いた(笑)。
音楽的に豊かな人ですね。今回のアンサンブル・アンテルコンタンポランのプログラムも全部、ピンチャーが作ったんですよ。
アンサンブル・アンテルコンタンポラン「レゾナンス(共鳴)」シリーズ動画の最終回となるエピソード4(日本語字幕付き・2020年6月制作)。新しい奏法による音、表現を取り入れた8つの作品が演奏されている。
——国際作曲委嘱シリーズの「テーマ作曲家」としてもピンチャーを選ばれたんですね。
細川 ピンチャーはドイツ系のユダヤ人。我々、あまりユダヤのことを、知らないでしょ? 作曲家ではノイヴィルトやハヤ・チェルノヴィンらがいるけれど、この人が代表していると思います。ユダヤ教の世界観の中には、旧約聖書の創世記といった大きく深い世界があるわけですよ。そういうのをピンチャーの曲を聴いて感じますね。
彼はすごく繊細で、音を細かく書きます。新しい奏法を使っていますが、ヘルムート・ラッヘンマン(1935年生まれ。特殊奏法を多用するドイツの現代音楽作曲家)みたいではなく、表現主義と言ってもいいかもしれない。激しくて暗い。混沌とした世界に巻き込まれていく感じ。オーケストラの楽器をよく知っているから、すごく面白いですよ。
フェスティバル初日の8月22日(日)は、細川さんの《二人静》とともにマーラーの《大地の歌》室内オーケストラ版が演奏される。マーラーはピンチャーとアンサンブル・アンテルコンタンポランからの強い希望で、サントリーホール室内楽アカデミーで学んだ日本の若いアーティストが弦楽器その他に加わる。しかもソリストは、メゾ・ソプラノの藤村実穂子とテノールのベンヤミン・ブルンス。まさに東西の名手たちが火花を散らす「西洋-東洋のスパーク」となる。
1週間におよぶサントリーホール サマーフェスティバルでは、新しい音楽が炸裂する。自らの羅針盤を頼りに、現代音楽という未知の大海原を進む体験は、かけがえのないものとなるだろう。
最終日の芥川也寸志サントリー作曲賞選考演奏会では、聴衆がお気に入りの作品に投票できる総選挙も行なわれる。ぜひ足を運んで一票を投じましょう。
マティアス・ピンチャーからのメッセージ動画
東洋─西洋のスパーク
8月22日(日)18:00開演 大ホール
EICアンサンブル
8月23日(月)19:00開演 ブルーローズ(小ホール)
コンテンポラリー・クラシックス
8月24日(火)19:00開演 大ホール
詳しくはこちら
サントリーホール国際作曲家委嘱シリーズ No.43(監修:細川俊夫)
ブーレーズを少々
8月25日(水)18:00開演 ブルーローズ(小ホール) ※公演時間 約60分
室内楽ポートレート (室内楽作品集)
8月25日(水)19:30開演 大ホール
作曲ワークショップ
8月26日(木)19:00開始 ブルーローズ(小ホール)
オーケストラ・ポートレート(委嘱新作初演演奏会)
8月27日(金)19:00開演 大ホール
詳しくはこちら
関連する記事
-
指揮者ケント・ナガノ×能楽師 山本章弘「月に憑かれたピエロ」と新作能を上演
-
エチオピアとつないでバーチャルで民俗音楽セッション! 新たなコラボが誕生した瞬間
-
渋谷慶一郎——新国立劇場とドバイ万博、2つのアンドロイド・オペラの新しさとは
ランキング
- Daily
- Monthly
関連する記事
ランキング
- Daily
- Monthly