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2019.05.03
映画『ホワイト・クロウ 伝説のダンサー』

20世紀を駆け抜けた天才バレエダンサー、ルドルフ・ヌレエフ決死の亡命がスクリーンで蘇える

亡命とは、単に国を渡ることではない。祖国を捨て、家族を捨てること。20世紀に活躍し、西ヨーロッパのバレエの歴史を変えたとまで言われている天才ダンサー、ルドルフ・ヌレエフもソヴィエトから亡命したひとり。

実在のダンサーが、どんな思いでダンサーとして生き、苦しみ、亡命に至ったのか? 『シンドラーのリスト』での名演技が忘れられないレイフ・ファインズがメガホンを取り、ヌレエフの半生を描いた『ホワイト・クロウ 伝説のダンサー』を渡辺真弓さんが紹介してくれた。

渡辺真弓
渡辺真弓 舞踊評論家、共立女子大学非常勤講師

お茶の水女子大学及び同大学院で舞踊学を専攻。週刊オン・ステージ新聞社(音楽記者)を経てフリー。1990年『毎日新聞』で舞踊評論家としてデビューし、季刊『バレエの本』(...

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20世紀を駆け抜けた「白いカラス」

「ホワイト・クロウ」。直訳すれば「白いカラス」、本意は「はぐれ者」そして「類いまれなる才能を持つ者」となる。

この映画は、東西冷戦の最中、1961年6月、キーロフ・バレエ(現マリインスキー・バレエ)のパリ公演の際に西側に亡命し、その後の世界のバレエ史を塗り替えた世紀の天才舞踊家ルドルフ・ヌレエフ(1938-1993)の半生を描いたものである。

監督のレイフ・ファインズは、ジュリー・カヴァナーの評伝『RUDOLF NUREYEV — THE LIFE』(2007)を読んで映画化を思い立ったという。名優としても知られるファインズは、自らヌレエフの恩師アレクサンドル・プーシキンに扮し、冒頭から「彼はただ踊りたかったから西側に渡ったのだ」と証言、要所要所に登場し、特別な存在感を漂わせている。

ヌレエフの友人、ユーリ・ソロヴィヨフに、バレエ界の異端児セルゲイ・ポルーニンが扮しているのも話題だ。

本作の監督で、ヌレエフの恩師アレクサンドル・プーシキンを演じたレイフ・ファインズは、スピルバーグ監督作品『シンドラーのリスト』の冷酷な将校役で覚えているかたもいるだろう。
英国ロイヤル・バレエ団突如脱退し、世間を騒がせたウクライナ出身のバレエダンサー、セルゲイ・ポルーニンも出演。

映画のクライマックスは、パリのル・ブルジェ空港での亡命の瞬間を再現した幕切れ。冷戦下のソ連で、一人の天才芸術家がいかにして人生をかけた決断を下すか。そこには彼に手を差し伸べた友人たちの助けがあった。

映画は、ヌレエフの幼少時代をフラッシュバックさせながら進行するが、バレエ・ファンならずともその希有の生きざまに感動を覚えることだろう。

シベリア鉄道で生まれたバレエ界の異端児ヌレエフ

ここでヌレエフについて紹介すると、1938年、走行中のシベリア鉄道の中で生まれ、バシキール自治共和国(現バシコルトスタン共和国)の首都ウファで育つ。6歳のとき、ウファの劇場でバレエを見て、これぞ我が人生と確信。地元でバレエのレッスンを受け、やがてレニングラードのバレエ学校(現サンクトペテルブルクのワガノワ・バレエ・アカデミー)に編入し、名教師プーシキンの指導を受けて成長する。卒業後、1958年キーロフ・バレエ(現マリインスキー・バレエ)に入団、めきめきと頭角を現す。

1961年5月、キーロフ・バレエ初のパリ公演の際、パリ・オペラ座に登場し、初日こそ出番はなかったものの、『ラ・バヤデール』のソロルなどを踊って、センセーショナルな成功を収める。

オペラ座のダンサー、ピエール・ラコットや、後に亡命の手助けをするクララ・サン(文化大臣マルローの次男と婚約していたが、事故でその婚約者を亡くす)と知り合い、自由行動が禁じられていたにもかかわらず、カフェやナイトクラブで自由を謳歌、それがKGBに目を付けられることとなり……。

ヌレエフ役のオレグ・イヴェンコ(左)と、クララ・サンを演じるアデル・エグザルホプロス。

オーディションでヌレエフ役に選ばれたオレグ・イヴェンコは、1996年ウクライナ出身。カザンのタタール国立オペラ劇場バレエ団で活躍するスターで、時折ヌレエフのドキュメンタリー映画と錯覚するほど、容貌がよく似ている。監督からも「スターのカリスマ性がある」と太鼓判を押されている。

ルーヴル美術館で、ジェリコーの名画『メデューズ号の筏(いかだ)』を食い入るように見つめるシーンにも亡命への動機が垣間見えて、非常に印象深い。

19世紀前半のフランス人画家テオドール・ジェリコー作『メデューズ号の筏』(パリ・ルーヴル美術館所蔵)

観る者の胸に迫る、天才ダンサー決死の亡命

パリ公演を終えたバレエ団一行が、ル・ブルジェ空港から次の公演地ロンドンへ出発しようとしたその時、ヌレエフだけはモスクワで踊るよう帰国を命じられる。

本やドキュメタリー映画などで話には聞いてはいたが、実際のあの決死の亡命を、このように映画でリアルに再現してもらうと、あの瞬間、天才舞踊手の頭をよぎったのは何だったのか、亡命せざるを得ない状態に追いつめられた状況が迫ってきて、非常なリアリティがある。

2017年には、ボリショイ・バレエで『ヌレエフ』と題したバレエが初演され、これに続いて、ヌレエフの生誕80周年に当たる2018年に制作されたのがこの映画。最後のクレジットに重ねて、ヌレエフ自身が十八番の『海賊』を踊る映像が映し出されるのが嬉しい。筆者は、1981年にニューヨークでヌレエフの舞台を見た「かろうじて間に合った世代」に属するが、舞台を支配する圧倒的なカリスマ性が忘れ難い。

もしヌレエフが亡命しなければ、今日の西側のバレエの歴史は違ったものになっていたかもしれない。この映画を通して、一人でも多くの方に、20世紀を駆け抜けた天才舞踊手の姿に思いを馳せてほしい。

『ホワイト・クロウ 伝説のダンサー』
イベント情報
『ホワイト・クロウ 伝説のダンサー』

5月10日(金) 全国ロードショー

監督: レイフ・ファインズ

出演:

オレグ・イヴェンコ

アデル・エグザルホプロス『アデル、ブルーは熱い色』、

セルゲイ・ポルーニン

ラファエル・ペルソナ『彼は秘密の女友達』

ルイス・ホフマン『ヒトラーの忘れもの』

チュルパン・ハマートヴァ『グッバイ、レーニン!』

レイフ・ファインズ『シンドラーのリスト』『イングリッシュ・ペイシェント』

配給: キノフィルムズ/木下グループ

渡辺真弓
渡辺真弓 舞踊評論家、共立女子大学非常勤講師

お茶の水女子大学及び同大学院で舞踊学を専攻。週刊オン・ステージ新聞社(音楽記者)を経てフリー。1990年『毎日新聞』で舞踊評論家としてデビューし、季刊『バレエの本』(...

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