インタビュー
2025.10.14
編集部やってみた「ショパコンサイドストーリー」

ショパンコンクールのポスターデザイン作者に意図をきいてみた「ショパンは、私たちの日常そのもの」

三木鞠花
三木鞠花 編集者・ライター

フランス文学科卒業後、大学院で19世紀フランスにおける音楽と文学の相関関係に着目して研究を進める。専門はベルリオーズ。幼い頃から楽器演奏(ヴァイオリン、ピアノ、パイプ...

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今回のショパンコンクールといえば、水色とブルーのこちらのポスター。

今大会のビジュアルとしてすっかりおなじみになったこのデザインは、2024年にショパン研究所が開催したポスターコンテストで選ばれたもの。世界中から寄せられた15点の作品の中から選出され、現在はワルシャワのチャプスキ宮殿で応募作品が展示されています。

それぞれのクリエイターが“自分にとってのショパン”をどう表現したのかを感じられる、とても興味深い展覧会です。

1827年から1830年までショパンが住んでいたこともあるチャプスキ宮殿に展示されている

選ばれたデザインの作者は、ワルシャワ美術アカデミー教授のマルチン・ヴワディカ氏。10月13日に行なわれた展覧会のオープニングイベントにて、お話をうかがいました。

オープニングイベントの様子

力強く普遍的なショパン像を

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——ポスターをデザインするうえで、ショパンという存在をどう捉えましたか?

ヴワディカ ショパンは、私たちポーランド人の日常に根づいています。

ショパンとともに暮らし、彼を題材にしたポスターやイメージに囲まれて生活しています。ショパンはポーランドのポスターデザインにおいても非常に重要な存在ですが、それだけに新しいイメージを生み出すのは簡単ではありません。

私はまず、「ロマンチックなショパン像」から離れたいと思いました。風景や木々といった繰り返されるクリシェ(ありきたりな表現)からも逃れたかったのです。最終的に、ショパンの顔の形として“過去のイメージ”の50%は残しましたが、全体としては極めてミニマルでシンプルな記号——ショパンの顔とピアノを一つの形として融合させたデザインにしました。それがこのポスターの力になっていると思います。

マルチン・ヴワディカさん

——過去のイメージをそぎ落としたとき、あなたの中に残った「ショパンの本質」は何でしたか?

ヴワディカ ポーランドで暮らす私たちにとって、ショパンはあまりに身近な存在で、水のようなものです。評価するというより、ただ愛している。ともに生きているんです。

「ショパンに対してどんな姿勢を持っていますか」と聞かれると、初めて「どう答えよう」と考えるくらい、当たり前に存在しています。

ショパンは、私たちの魂の音楽。旅をするとき、車の中で音楽を探すとき──心の奥に響くものを求めると、真っ先にショパンを選ぶんです。

——今回のポスター制作で、大切にしたことは?

ヴワディカ デザイナーとして新しいイメージを生み出すとき、私は「強さ」を探しました。

ショパンは、ポーランドを象徴するもっとも力強い存在の一つだと思います。だからこそ、ロマン主義的なイメージに溶けてしまうような表現ではなく、時を超えて生きる強いビジュアルを作りたかった。

ショパンの演奏に精密さと魂の力強さを感じる演奏もあり、いつも感動します。だからこそ、私もその「強さ」をデザインで表現したかったんです。

ロマン主義的というより、もっと普遍的で、時間に耐えるイメージを──そう思って作りました。

ショパンの音楽と自然の中に“音符”を見出した

それから、ショパン研究所広報のラスコフスキさんの推しデザインもお聞きしました。「とてもエモーショナルで手書きのようなあたたかみを感じる」とのこと。El Fantasma de Herediaというアルゼンチンのデザインチームによる作品です。この作者の一人であるアナベラ・サレムさんに、どのようなイメージで創られたのか教えてもらいました。

「He is piano ― 彼はピアノそのもの」

このポスターでは、ショパンの“本質”を探し求めました。
私たちは彼の顔を描くことをやめ、代わりに気づいたのです——ピアノこそが、ショパンにとってもっとも正確な「自画像」だと。

ショパンがポーランドのアイデンティティそのものであるように、ピアノはショパンそのもの。
彼をどう表現するかを見つけるために、私たちは長い時間をかけて彼の音楽を聴き、ピアノをどのように“新しく、そしてシンプルに”見せることができるかを模索しました。
それは、ただのピアノでも、ただの作曲家でもありません。

ピアノのイメージをピアノコンクールのポスターに使うのは当然の選択かもしれません。
けれど私たちは、単なる楽器ではなく「ショパンのピアノ」を描きたかった。
ショパンとピアノ、その一体感を。
彼がソロピアノという世界を、どれほど深く、広大な冒険へと導いたかを。

私たちは何週間も、ピアノのイメージを心と頭と目の中で見つめ続けました。
ポスター制作のあいだ、何度も何度も “Chopin” という名前を書きました。
そしてある瞬間、彼の名前の中に、ピアノの黒鍵と白鍵が自然と現れたのです。
それはまるで、音楽そのものがすでにそこに存在していたかのようでした。

私たちはただ、“目で聴いた”のです。
ただ、注意深く、その音に耳を澄ませていました。

El Fantasma de Heredia.の作品
お気に入りデザインの前で笑顔のラスコフスキさん

もうひとつ、同じくEl Fantasma de Herediaの方に、こちらの作品についてもコメントをいただきました。

私たちは何日も何日も、ショパンの音楽を聴き続けました。
さまざまな作品を、そして同じ曲を異なるピアニストの演奏で。
また、彼の楽譜を眺めました。それは本当に美しいものでした。
彼の肖像画も見ました。
私たちは考え、感じ、彼について読み、泣き、語り合い、そして沈黙しました。
ショパンを何度も何度も「再発見」したのです。

ワルシャワでの思い出もよみがえってきました。
木々の並ぶ通りのベンチに座って、初めてショパンを聴いたときのこと。
そのベンチにはボタンがついていて、押すとショパンの音楽が流れ出したのです。
本当に信じられないような体験でした。
また、何年も前、ショパンの生家を訪れ、窓の外からコンサートを聴いたこともありました。

ノクターンは、まさに信じがたいほどの音楽です。
とても深く、感情に満ち、人間の本質に近く、
生と死に寄り添い、その強さ、カデンツァ、郷愁、
そして柔らかさや悲しみ——根底にあるのは愛。
同時に私たちは、現代のスピード、表面的な価値、そして戦争を思い、
そうした中で、私たちはどれほど「本質」や「光そのもの」から遠ざかっているのかを感じました。

私たちは、訪れる人々にそうしたすべてを伝えたかった。
けれども、それはとても難しいことでした。
ショパンは特別な存在、あらゆる意味で“光”そのものでした。
そのシンプルさと完璧さ。

しかし、音楽を紙に翻訳するのは難しく——私たちはポスターを作らなければなりませんでした。
そんなとき、ふと以前撮った一本の木の写真を思い出したのです。
それを見返して気づきました。
「これは音符だ、音楽のノートだ!」
私たちは写真を見つめながら、彼の終わりなきピアノの音を聴き、
言葉を失いました。

そして言いました——「これだ」。
自然の中にある音符。
ショパンの音楽はそこにある。
その瞬間、イメージが音楽になり、ポスターは完成しました。

ショパンコンクール開催に向けて、このような形でクリエイターの方々がショパンやコンクールに向き合っていたのですね。コンクールに関わる多くの方々のストーリーのひとつとして、心に響きました。

三木鞠花
三木鞠花 編集者・ライター

フランス文学科卒業後、大学院で19世紀フランスにおける音楽と文学の相関関係に着目して研究を進める。専門はベルリオーズ。幼い頃から楽器演奏(ヴァイオリン、ピアノ、パイプ...

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