インタビュー
2025.10.16
ゲンかつぎ、コンディション調整…

コンテスタントは本番前どう過ごす? 〜ガオ・ヤン、イ兄弟、ダヴィッド・クリクリ、桑原志織

ショパンコンクール出場者に聞く、本番前の過ごし方とは? ガオ・ヤン、イ兄弟、ダヴィッド・クリクリ、桑原志織に、会場で取材をしている高坂さんが聞きました。

文・写真
高坂はる香
文・写真
高坂はる香 音楽ライター

大学院でインドのスラムの自立支援プロジェクトを研究。その後、2005年からピアノ専門誌の編集者として国内外でピアニストの取材を行なう。2011年よりフリーランスで活動...

写真:二人仲良く去っていくイ兄弟の後ろ姿

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大切なイベントや仕事がある日に、その瞬間のコンディションがよくなるよう、前日や当日の過ごし方に気を配る方は多いでしょう。

一度きりの舞台で常にベストを出しきらなくてはならない演奏家たちには、積み重ねたステージ経験から、その日のコンディションを良好にする自分なりの過ごし方やルーティンを決めている、という方もしばしば。しかもコンクールという緊張の舞台、運が大きく左右するような舞台となれば、より気遣う点も多くなるはず。

というわけで、何人かのコンテスタントのみなさんに、本番前の過ごし方やルーティンがあるかどうか、聞いてみました。

ガオ・ヤン(Yang Gao)さんの場合

ガオ・ヤン(Yang Gao)/中国
2003年12月18日生まれ。中国音楽学院付属高校にてピアノと作曲をタン・ティエンホン、シン・シエ両氏に師事。現在はジュリアード音楽院にてジェローム・レーヴェンタール、エマニュエル・アックス両氏に師事。数々のピアノコンクールで受賞歴があり、スタインウェイ・ピアノコンクール第2位(2019年)、ナウムブルク国際ピアノコンクール第1位(2023年)、ジュリアード音楽院ジーナ・バッハワー・ピアノコンクール第1位(2023年)、ベーゼンドルファー&ヤマハUSASU国際ピアノコンクール第2位など。中国、アメリカ、カナダでリサイタルを開催。2024年2月にはカーネギーホールでリサイタルを行い、最新作を初演。2025年6月にはマルタ・アルゲリッチに招かれハンブルクで行われた彼女の音楽祭に出演、同年スタインウェイ賞を受賞した唯一のピアニストとなった。

まずは、中国のYang Gaoさん。3次予選の1番目の奏者。背が高そうだなということは演奏動画を見ていても感じられたと思いますが、その身長は、靴を履くとぴったり2メートルだそうです。

思わず「バスケとかスポーツ選手の道を考えたことはありませんでした?」と聞くと(たぶん、みんな思いますよね)、「うん、ちょっとだけあるよ!」と、おそらく何度も答えているであろうジョークで返してくれました。

さて、そんなGaoさんのコンクール本番前のルーティンは……

「もし夕方以降に演奏することになるなら、途中でエネルギーを補充するために昼寝をします。それから無理はせず、ほどほどに、難しいところ、間違えやすいところの練習や、手のウォーミングアップをしておきます。

あとは優れたピアニストの録音を聴いて過ごすことが多いですが、その真似をすることだけはないようにしていますね!」

演奏当日に誰かの録音を聴いて過ごすというのは、なかなか聞かないパターン! 自分の音楽が揺るぎないからこそできることかも。

ちなみにGaoさんといえば、公式の写真などでも登場している、こちらのテディベア。大切な本番に必ず連れてくるゲンかつぎの相棒なのかなと思ったら、最近ショップで見つけて「かわいすぎる!」と購入、コンクールの本番にも連れてきたものだそう。名前はフレデリックらしい。

とてもかわいらしい感性の持ち主。人を身長で判断してはいけません!

イ兄弟の場合

ポーランドのドーナツ、ポンチキで糖分補給している兄、イ・ヒョク(Hyuk Lee/韓国・右)
2000年1月4日生まれ。モスクワ音楽院でウラディミール・オフチンニコフに師事し、その後パリのエコール・ノルマル音楽院でピアノを学ぶ。パデレフスキ国際ピアノコンクール(2016年第1位)、パリのロン・ティボー国際ピアノコンクール(2022年第1位)、浜松国際ピアノコンクール(2018年第3位)など、数々の国際ピアノコンクールで入賞。2021年にはワルシャワ・ショパン・コンクールでファイナリストに選出された。
会場ロビーでファンに囲まれる弟、イ・ヒョ(Hyo Lee/韓国)
2007年1月5日生まれ。2014年、モスクワ中央音楽学校に入学し、2年間ヴァイオリンを学び、その後ピアノを学ぶ。2024年にパリのエコール・ノルマル音楽院を卒業し、現在はエヴァ・ポブウォツカに師事。アスタナ国際ピアノ・パッション・コンクールで優勝、モスクワのミュージカル・ダイヤモンド・コンクールでグランプリ、ビドゴシュチュのアルトゥール・ルービンシュタイン追悼コンクールで第3位、アニマート・ピアノ・コンクール、パリのロン・ティボー国際コンクール(2025年)で第3位を受賞。

兄弟での出場が注目されている韓国のイ・ヒョクさんとイ・ヒョさん。演奏はアルファベット順ですから、必ず二人続けての演奏になりますが、無事に揃ってセミファイナルに進出。

演奏後はきまって地元メディアの取材のため、まずは先に演奏を終えた弟のヒョさんが、その後は二人揃ってからあちこちに連れ回される! という感じで、とにかく人気です。

それでは逆にコンクールの演奏はどんなふうに過ごしているのでしょう。何かルーティンはあるのでしょうか。まずはイ・ヒョさんに聞いてみると……

「ルーティンのようなものはないんです。アーティストとして、演奏家として、ステージに立つ前はとてもワクワクしているから。それで普段の日と何も変わらずに過ごします。ただ、よく眠ることは大切にしていますね! 

少し練習して、あとは本当にただ落ち着いた気持ちで普段通りに過ごすだけです。緊張もしませんよ!」

……まったく緊張しないとは、ステージに立つべくして生まれた選ばれし者という感じ。兄のヒョクさんが2018年の浜松コンクールに出場したとき、ヒョさんも一緒に浜松に来ていて(当時11歳)、ヒョクさんが「弟はヴァイオリンをやっているんだ」と言っていましたが、7年後にその二人がショパンコンクールのセミファイナルで揃って演奏することになるとは、想像もつきませんでした……

ではそんなヒョクさんはどうでしょう。

「特に決まったルーティンはないんだけど、自分の演奏の30分前に会場に来て、ウォームアップをして本番に臨みます。そのときの感覚は、緊張というより、なんだろう……プログラムのことに考えをフォーカスさせて、集中を高めていくというイメージですね」

緊張という感覚があまりない家系なのでしょうか。というより、緊張をすんなりと集中に変えられるということなのかもしれません。

ダヴィッド・クリクリ(David Khrikuli)さんの場合

ダヴィッド・クリクリ(David Khrikuli/ジョージア)
2001年4月26日生まれ。マドリードのソフィア王妃音楽院でスタニスラフ・イウデニッチに師事。2024年、カントゥ国際ピアノ・オーケストラ・コンクールで第1位、ビーゴ国際ピアノ・コンクールで第1位と聴衆賞を受賞。また、ジョージア、ロシア、オランダ、デンマーク、中国などの国際コンクールでも優勝。ソロリサイタルを開催し、室内オーケストラとも共演。ジョージア・フィルハーモニー管弦楽団、イスラエル・カメラータ・アンド・フィルハーモニー管弦楽団、モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団と共演。

重厚な音とダイナミックなテクニックで奏でるショパンで人々を魅了している、ジョージアのDavid Khrikuliさんにも、コンクールの前のルーティンを尋ねてみました。

「ただ自然にまかせているだけで、特別なことはなにもありませんよ。コンクールだけれど、連続するいくつものコンサートがあると思うようにしています。指のウォーミングアップ? 昼寝? そんな特別なことはなにもしません。

ジョージア特有のゲンかつぎ? ないですねぇ、世界中の他の国と同じようなものくらいしかないですよ」

……というわけで、ごく普通にドンと構えているのがジョージアの男の流儀とばかりに、なにもないとのこと!

インタビューを受け、写真を撮られるポージングも完璧! 深い声色でお話しされる方で、なんとなくご自身のピアノの音と近いような気がします。私が以前から感じている、「ご本人の話し声とピアノの音色似がち説」を立証する方が、また一人。

桑原志織さんの場合

桑原志織(くわはら・しおり/日本)
1995年10月11日生まれ。東京藝術大学とベルリン芸術大学を首席で卒業。ベルリン芸術大学ではクラウス・ヘルヴィヒに師事し、修士課程を修了。2022年、ベルリンでスタインウェイ賞を受賞。マリア・カナルス国際ピアノコンクール(2016年)、ジャン・バッティスタ・ヴィオッティ国際ピアノコンクール(2017年)、ブゾーニ国際ピアノコンクール(2019年)、ルービンシュタイン国際ピアノコンクール(2021年)など、数々の国際ピアノコンクールで準優勝。2025年、エリザベート王妃国際ピアノコンクールのファイナリスト。

さて、ここまで男たちが、「特別なことは何もないんだよね」といういい感じにカッコいい発言を続けてきたなか、とても自然かつ興味深いお話を聞かせてくれたのが、桑原志織さんです。

1次予選の華々しい演奏でポーランドの聴衆を魅了し、以後は彼らから「俺たちのシオリ」ばりの声援を受けてステージに立ち続けています。

そんな桑原さん、演奏するタイミングでコンディションを最適にするために心がけていることがあるとのこと。

「起きてしばらくはどうしても思った通りに動けないので、できれば演奏の8時間前、最低でも6時間前には起きるようにしています。だから今回のコンクールは朝一番、10時からの順番じゃなくてよかったなと……その場合は夜9時に寝て朝3時に起きないといけないと思っていたので」

コンクールは演奏順が大事だと言われますが、どの時間帯にあたるかというのも重要なところ。朝早いコンサートは、そもそもあまりないので苦手、という演奏家が多いですが、逆に朝型で、夜遅い順番だと眠くなってしまうという方も稀にいます。その意味で、こう見えて(?)朝が弱いという桑原さんは、今回はずっと夜の部ばかりでラッキーだったようです。

そして「本番前のルーティンはなるべく作らないようにしている」という彼女ですが、いくつかやっていることがあるそう。

「舞台に出る直前に、屈伸してピョンピョンと少し跳ねる、というのはやりますね。あと、花嫁さんの“Something four”ではないですが、何か一つ新しいものを身につけるようにしています。もちろん毎回衣装を新しくすることはできないので、ストッキングとかそういうちょっとしたもので。これは実は以前、伊藤恵先生がやっていらっしゃると聞いて、師匠の真似をしよう! とはじめて以来、ずっと続けていますね」

神聖なステージを大切にする気持ちが感じられる、師匠から自然と受け継いだすてきな習慣のエピソード! こうした一つひとつの行動が心を落ち着けることを手伝って、あの安定感と包容力を感じるあたたかい音楽表現を実現させているのですね。

文・写真
高坂はる香
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高坂はる香 音楽ライター

大学院でインドのスラムの自立支援プロジェクトを研究。その後、2005年からピアノ専門誌の編集者として国内外でピアニストの取材を行なう。2011年よりフリーランスで活動...

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