心を持たなければプッチーニは指揮できない——愛溢れるイタリア・オペラ界の巨匠ドナート・レンツェッティ
ヨーロッパでのオペラ指揮者への尊敬は、時にコンサート指揮者の比ではありません。マエストロ・ドナート・レンツェッティもそんな一人で、日本で飛びぬけた知名度はありませんが、イタリアではテレビ出演するほどの人気。
長い間、劇場のオーケストラ・ピットで歌手や楽団員、スタッフや観客の心を感じ取ってきた彼は音楽への愛、人への愛に溢れていました。
昨年のローマ歌劇場来日公演《マノン・レスコー》でマエストロを聴いて以来、会って話を聞くのが待ちきれなかったという小田島久恵さんが引き出した、正真正銘の「マエストロ」の言葉をどうぞ!
岩手県出身。地元の大学で美術を学び、23歳で上京。雑誌『ロッキング・オン』で2年間編集をつとめたあとフリーに。ロック、ポップス、演劇、映画、ミュージカル、ダンス、バレ...
6月1日に初日を迎える新国立劇場《蝶々夫人》(プッチーニ作曲)で、新国のピットに初めて入るイタリアの巨匠ドナート・レンツェッティ。2018年9月のローマ歌劇場の引っ越し公演でこのマエストロが指揮したプッチーニの《マノン・レスコー》に驚かされたオペラ・ファンも少なくないはずだ。
1970年代末から指揮者としてのキャリアをスタートさせ、イタリアの有名歌劇場の音楽監督を歴任し、ミラノ・スカラ座、メトロポリタン歌劇場、英国ロイヤル・オペラ、パリ・オペラ座、バイエルン国立歌劇場、グラインドボーン音楽祭、ロンドン交響楽団、フィルハーモニア管など多数の一流オペラハウス・オーケストラと共演を重ねてきた。
イタリアでは「超」のつくビッグ・ネームだが、浅学の筆者は昨年のローマ歌劇場を聴くまで、ほとんどその名を知らなかった。オーケストラを細部まで生き生きと輝かせ、歌手たちに命を吹き込み、作曲家の書き残した音符の一つたりともこぼさずに聴き手の心に焼き付けるその才能に、電撃的なショックを受け、「レンツェッティとは何者なのか……?」という、はてなの嵐がしばらく止まらなかったのだ。
《蝶々夫人》の初日を1週間後に控えた5月下旬、多忙なスケジュールを縫って我々の前に現れたマエストロは、とても温かく誠実で、ウィットに富んだ音楽家だった。「巨匠」という言葉は、制圧的だったり専制的だったりする生き方とは別のものなのだと痛感した。豊かな人間性と、寛大な心は彼がオーケストラから引き出すサウンドそのものだった。
イタリア・オペラの巨匠が日本で感じた《蝶々夫人》
「稽古はもう4日ほど前から参加していますが、私にとっては大変新鮮味のある経験です。日本には3回ほど来ていますが、そのうち2回はイタリアのオペラ歌劇場の引っ越し公演でしたので、こうして日本の歌劇場と共演できることが光栄です。新国立劇場はとてもいい劇場だと皆さんから聴いていましたし、東京フィルとも1989年以来の久々の共演となります。
驚いたことに、昨日の東京フィルとのリハーサルではイタリアのオーケストラにまったく遜色のない手ごたえを感じました。イタリアのオーケストラには、血の中にイタリアの伝統が息づいているものですが、東京フィルには私が求めるイタリアの音があり、テクニックもまったく心配いりませんし、プロとしての意識もとても高い。私が期待している音にとても近い音を出すのです」
「歌手たちもいいですね。舞台稽古では、合唱の所作が本当に美しくて、ソプラノの歌手のかたの動きも綺麗で上品だと感心しました。そして子役の可愛さといったら……胸が熱くなりました。西洋人の子どもも可愛いですけど、東洋の子どもの可愛らしさを目にして、涙が出そうになってしまいました(笑)。
西洋人が《蝶々夫人》を演じる場合、それは模倣でしかないのです。映画などを見て必死に日本人になろうと勉強する。ゴロー役にしても、ある種の私たちの知らない文化を体現しているのだと今回気づきました。とても奥が深いです」
人間観察が鋭く、好奇心旺盛なマエストロは「日本の人々は《蝶々夫人》の物語をどう思っていますか?」「日本の方にとってイタリア語はどのような言語に聞こえますか?」と質問もたくさん浴びせてくる。何事も一方通行ではなく、相手とのコミュニケーショから生まれるものを大事にしているのだ。
指揮で世界を目指したイタリアの田舎の少年時代
1950年1月30日にアブルッツォ州キエーティ県の街、トリーノ・ディ・サングロで生まれ、父親はプロの打楽器奏者だった。
「イタリア中部の街です。ガブリエーレ・ダヌンツィオの出身地ですが、食べ物がおいしい以外はあまり有名ではなく、山があって川があって……わりと内向的な性格の人が多いのです。当時、自分の望みを叶えて思い通りの人生を生きる人は、それほど多くなかったのではないでしょうか。
私自身は、子どもの頃から指揮者になりたくて、小学校の作文で『大人になったら何になりたいか』という課題が出たとき『オーケストラの指揮者になってニューヨークに行きたい』と書いたところ、綴りが間違っていて先生に直されました(笑)。」
「高校生になると『君たちの未来について作文を書きなさい』と言われ、そこでも『指揮者になって東京へ行きたい。ニューヨークへ行きたい』と書きました。ギリシア語やラテン語を学ぶ学校でしたので、教師が『息子さんは音楽をやりたいと言っています。将来を気にしてあげてください』と両親のところにやってきたんです。ミラノ音楽院に進んで、クラウディオ・アバドのアシスタントをやっていました」
スカラ座では10代の頃から打楽器奏者としても活躍し、打楽器パートにはかなりのこだわりがあるという。
「昨日も東京フィルの打楽器奏者に2つほど重要なアドバイスしましたが、指揮者が打楽器に何かを指示するのはあまりあることではないかも知れません(※オケの中でも専門性が高いため、打楽器パートに細かく言及する指揮者はそれほど多くない)。暴力的で強い音ではなく、繊細で柔らかい音が求められます。内面的な心の模様を語るオペラですからね」
たくさんの弟子を輩出して思う、キャリアとは何か?
大きな転機となったのは、1980年。ミラノ・スカラ座主催グィド・カンテルリ指揮コンクールに優勝し、一躍注目の若手指揮者となった。
「それまで2、3のコンクールには入賞していましたが、なかなか自分では突破口を見つけられなかったのです。1980年のスカラ座でのコンクールで1位をとったことが大きな契機となりました。その夜はほとんど眠れませんでしたが、翌朝にオファーが殺到して、世界が変わったのだと思いました。私は35年来教育にも関わっていますが、自分の生徒たちにも言います。とにかく経験を積むことは大事で、どんなキャリアであっても何か契機になることがあるから待てと」
30歳で勢いよくスタートしたレンツェッティのキャリアは順風満帆で、プラシド・ドミンゴ、アルフレート・クラウス、レオ・ヌッチ、フレデリカ=フォン・シュターデなど、数えきれないベテラン歌手との共演が続いていく。歌手たちのほとんどが自分より年上、という公演もザラだった。
「偉大な歌手たちから教わったことは、今の私の宝であり、これを未来に伝えていくことが大事なのです。ミレッラ・フレーニが楽譜通りに歌わないとき、『それはなぜですか?』と私は質問責めにしました。そういうことが、今とても役に立っています」
「イタリアには小さな町にも歌劇場があり、素晴らしいとまではいかなくても、そこそこのレベルのオーケストラがあって、演奏自体は一流にならなくても、オペラを知り尽くしている年配の楽員が若い楽員に『あ、次気をつけろよ』と言ったりしてくれます。そのよさが、今少しずつ薄れてきているような気がするのです。きっと未来はいい方向に盛り返していくと思いますが……」
イタリアで音楽家をめざす若者たちの9割には、何らかの形で指導者としてかかわっているという。
「私の人生にはたまたま幸運がありましたが、才能があるということと有名であるということは、必ずしも一致しないことも知っています。有名でなくても、幸運に恵まれなくても、才能という面で優っている教え子はたくさんいるのです。教えるというのは素敵なことです! 有名になった生徒が『先生のお陰です』と言ってくれるのもいいですが、有名にならなくても師として慕ってくれる……教えるということの『美しさ』です」
「有名になった」指揮者の中には、ミケーレ・マリオッティや、ジャンパオロ・ビサンティ、アンドレア・バッティストーニの名前も(ただしバッティストーニを教えたのは「1か月間だけ」だったという)。
「マリオッティは、小さいときから知っているし、息子みたいな存在です。私によくなついていて、稽古場によく来ていました。その後、私の指導を受けるようになり……彼は日本では有名ですか? よかった! 若者というのは未来そのもので、伝統を継承していく存在です。必ずしも有名にならなくても、ひとつの生き方だと思いますし……。
音楽家にはキャリアを追求する人と、そうでない人がいて、新しい土地にやってくるとその土地のセレブや有力者やジャーナリストとアポイントをとって、自分で売り込む人もいます。一方で、才能はあるんだけど、うまく自己宣伝できない人、もしかしたら人としては一番素晴らしいんだけど、まわりに広まらない人もいます。キャリアとは、そもそも何でしょうか……仕事で成功を収めても、一人寂しくホテルに帰るだけの人生は空しいものです。これも、年を取ってからわかる英知ですけどね」
観客の、作曲家の心になって造りあげるプッチーニ
昨年のローマ歌劇場とのリハーサルを見て「すごい」と思ったのは、彼が最初から最後までオケと一緒に大きな声で歌っていたことだった。本番ではもちろん歌わない。楽員たちの頭の中でたったひとつの歌が鳴り響き、それがオペラに大きな躍動感を与えていることに驚いた。心の中を正直に打ち明ける、建前ではなく本気の喜怒哀楽を示す、という指揮者の姿勢は一貫していて、これはどの分野のリーダーシップでも最強のやり方ではないかと思ったのだ。
「私は歌っていましたか? ひどい音痴だったでしょう(笑)。私はスカラ座の楽員として指揮者を迎えるという経験もしているので、『誰が来ても心というのは伝わる』ということを知っています。自分自身の心をさらけ出せば、相手の心も差し出してくれます。聴衆に対してもそうです」
「プッチーニは特に心を持たなければ振れない作曲家で、自分が感じれば人にも感じさせることができます。指揮をしながら《ラ・ボエーム》にしても《蝶々夫人》にしても、最後のシーンはいつも涙が溢れてきます。『こんなことがあっていいのだろうか?』とね」
涙を誘うがゆえに、プッチーニはセンティメンタルで本物ではない、というオペラ愛好家もいる。
「イタリアでも似た風潮があります。プッチーニはメロディが直接的で、ミュージカルみたいだから教養のない人でも理解できる、という人もいますし、ヴェルディでは英雄的な男性たちが死にますが、プッチーニでは小さな女性たちが死にますから、心理的にどうなのだろう……という人も。ヒロイックな英雄譚が好きな人は、プッチーニを好まないのかも知れません。
《蝶々夫人》の初演は失敗だったと言われていますが、政治的なものが妨害していたのではないかというミステリーがあり、同時代の作曲家の中でプッチーニほど同業者に嫉妬された人物もいないのです。それはなぜか? 彼が他の作曲家には書けない、心を揺さぶる作品を書いたからなのです。それができない作曲家は、彼のことが憎かったのです」
《蝶々夫人》は、ほかのプッチーニ作品以上に賛否が分かれる。
「15歳の日本人の芸者の少女が、米国人の将校と99年の結婚契約を結ぶというのですから、眉唾ものですよね。初演のときは、そのこともショッキングだったから騒動になったのでしょう。だから、私は日本の皆さんがこのオペラをどう思っているのか、とても知りたいと思って日本にやって来たんですよ」
「私自身は、今でもよくある話だと思います。男が女をだまして、友だちが『おいやめとけ、彼女は本気だぞ』と忠告する。シャープレスはピンカートンの親友なんです。彼は結婚が悲劇に終わることを予想して、それは本当のことになる……」
シャープレスが蝶々さんを思いやり、ピンカートンを抑止させる場面は、さりげないがとても美しい。フルスコアを開いてこの場面だろうか、と質問すると、マエストロは「そうだ」と答える。
「このくだりは私もとても好きなのです。シャープレスが歌うのはアメリカ海軍のフレーズで、ここから新しく始まるような書き方がされていますが、プッチーニではとても珍しいことです。
テンポですか? イタリア人は、毎回譜面通りには振らないのです。その日のエモーションによります(笑)。私は、よく作曲家が客席にいたらどう思うだろうか……と考えることがあるんですが、プッチーニはきっとお客さんと同じように感じると思う。感情がないと人を感動させられないのですから、お客さんが泣く場面ではプッチーニも泣くはずだし、自分が作曲していたときも、きっと泣きながら書いていたと思います(笑)」
日時:
2019年6月1日(土)14:00開演
6月7日(金) 14:00開演
6月9日(日)14:00開演
会場: 新国立劇場 オペラパレス
料金: S席21,600円 A席:16,200円 B席:10,800円 C席6,480円 D席3,240円(全席指定・税込)
演出:栗山民也
演奏: ドナート・レンツェッティ(指揮)
東京フィルハーモニー交響楽団
新国立劇場合唱団
佐藤康子(蝶々夫人)
スティーヴン・コステロ(ピンカートン)
須藤慎吾(シャープレス)
山下牧子(スズキ)ほか
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