ピアノの昔と現代、どちらがいい音? 美しさの違いを製作家・太田垣至と演奏家・平井千絵が語る!
昔のピアノと一緒に暮らす演奏家・平井千絵さんが、その本質や魅力のもとを突き止めたい! と、ピアノ製作家である太田垣至さんの工房を訪ねました。
モダンピアノとは異なる美しさは、何によるものなのか。全3回にわたって、18〜19世紀に作られた昔のピアノの構造や素材、それを取り巻く環境などの事情について迫ります。
初回は、いい音って何? 現代のピアノとの違いとは? 工芸品としての価値を感じとる方法についても語っていただきました!
桐朋学園大学ピアノ科卒業後、オランダ王立音楽院修士課程を首席卒業。ブルージュ国際古楽コンクール等、国内外のコンクールに多数入賞。ウィーン・コンツェルトハウスでの演奏は...
ピアノ職人・太田垣至さんと語る、いい音について
平井 今日はずばり、いい音ってなに? を製作家にお聞きしたいと思ってます。
私は昔のピアノがすごくいい音で好きだから、この世界に入っているわけなんですけど、どの時代の楽器をとっても、すごく個性的でいいなって音がするんですよね。
それを製作家の太田垣さんに、なんでいい音が生まれるのか、私がいい音いい音って言っているラブ感を、うまく言語化していただきたくて来たんです。
太田垣 元来こういう職人、裏方の人間は、言語化というのは非常に苦手なのですけど(笑)。
きっとフォルテピアノ、古い楽器のもつ良さを好きなんだなっていうのは、お互いにわかるし、一緒だと思うんです。だけど、弾き手と技術者からの視点って違うだろうなとは思う。
僕はモダンピアノもいい音だなともちろん思います。だけど、やっぱり自分が好きでいい音だなとは思うのは、この古い楽器。自分が今仕事としているピアノの時代性とリンクしている。自分で作ることができる楽器、フォルテピアノを、今仕事としているんです。
一人の人間の手で作れるスケールがいい
太田垣 ピアノは、工房で作られる工芸品から、あるときから工業製品に変わったってよく言われます。まさしくその時点で、個人で作るものから、人の手から離れた楽器になっちゃったと言えるかもしれません。もちろん、人がその後も作るわけですけど、ピアノは一人の人間の手には負えないスケールになってしまったと思うんです。
それこそ平井さんは、自分で調律したり、調子が悪くなったら直したりということができるけれど、現代のピアノでは調律師任せになるし、ピアノのタッチにこだわるピアニストはたくさんいらっしゃいますが、実際は楽器の中で何が起こっているかわかっていない人はとても多いです。
それは乗り物で考えても、自転車とかバイクぐらいなら、どうやって走っているのかがわかっても、今のハイブリッドや電気自動車のしくみは、僕にはわからない。というような感じで、ピアノも人のスケールから逸脱するような大きなものになってしまったと思っていて、自分も最初はモダンピアノから触り始めましたけれども、やっぱり一人でできる仕事ではないっていう時点で、自分にとっては遠いものと最初から感じる部分がありました。
今やってる楽器は、ほとんど一人でもなんとか作業できる仕事だし、そういう楽器が持つ音が好きだなと思うんです。
平井 人間一人でできることの魅力というか、だから好きっていうその感覚は、私もすごくわかるんですね。抱えられるサイズだし、さすがに一人で持ち上げるのは無理なんですけど、でも、自分でなんとかできるっていう安心感と嬉しさみたいなものはありますよね。
私たちが感じる美とは対極にある美人である現代ピアノと比べた話になるんですけども、じゃあ何がその違いをつくっているんですか。
ピアノの昔と今、それぞれの魅力を表すと?
太田垣 グランドピアノって、建物だったらすごく立派な高層マンションにいる居心地とか安心感に例えられるかもしれません。耐震構造だし、扉がギィギィいうこともないし、何もかもが快適っていうのが、今の時代では最上級と考えられていると思います。でも、古民家みたいなところに行くと、ほとんどの人がそこに住みたいとは思わないまでも、こういうのっていいよな、これって原点だなと思う良さってあるじゃないですか。どちらにもそれぞれの良さがある。
今のマンションにはあって、古民家にはないものを、ピアノに例えて言うと、高層マンションのセメントで基礎を作って鉄骨立ててっていうが如く、何十トンの力でも微動だにしない金属のフレームを使ったものが、モダンのコンサートピアノ。普通に使っていたら、調律が年に1回でもいいぐらい、もうビタって動かないようなもの。昔のものとは箱や構造が違う。
ピアノって結局、作曲家の求めるものを追って、壊れてはさらに頑丈にし、という繰り返しで今に至っているわけですから、そういう構造上の違いはあります。もともとは一番大事にしていたことって、音の良さだったと思うんです。
本当にいろんな素材を試して、これが一番いいとたどり着いた最初の完成形が、革のハンマーだった。それが1800年代半ばまで最盛を極めるわけなんだけれども、ちょうどその時代に産業革命などがあり、ピアノをたくさん作る時代が来ちゃったわけです。
そうなってくると、いい音を求めると同時に、たくさん作れることも重要になってきて、革はいいってわかっているんだけれども、革って均一性に欠けるわけですよね。同じ羊でも鹿でも、太った動物もいれば痩せた動物もいるから、ひと口に革といっても、今まで使っていた革と動物が変われば、同じような作業をしても音が変わっちゃったりするわけです。もし1匹の動物だったとしても、お腹の部分と背中の部分の厚みが違うから、同じ音で揃えていこうと思っても、どうしても時間がかかってしまう。いい音だけど、それをやっていたら本当にいい楽器、高い楽器ができても、安くて普及させることには全然向いていない。
フェルトだったら、羊の毛を同じ力で圧縮したら、ほぼ100パーセント同じものができるわけです。だから、革とフェルトで音を比較したら、過渡期には絶対革のほうが良かったけれど、でも、もうそれは続けられない。あからさまに資本主義的な話ですけど。
昔の職人の人生と仕事
——1台作るのに、だいたいどれくらいの期間がかかるんですか。
太田垣 僕の場合、だいたい1年でできるよ、なんて言いながら、それよりかかってます。
ただ、歴史を辿ってみると、本当にメーカーによって、かなり特徴があって、産業革命が起こったイギリスとかフランスというのは、最初から大量生産だったのですが、それに比べてウィーンはその後の時代まで職人が工房で作っていた。
同じウィーンの中でも、年間でいうと何百台も作るシュトライヒャーのような工房もあれば、シードマイヤーなんて年に数台しか作らなかったし、当時からもそれぐらいの差はあったみたいです。
平井 太田垣さんは30代前半ぐらいから、死ぬまでに何を作るか考えるって話をされてて、当時からすごくはっきりとしたイメージを持ってらしたので、すごくびっくりしたんです。
太田垣 昔の職人は、引退が早いんです。特例で最初のピアノを作ったクリストフォリは、70代くらいまでやっていたり、そういう人もいるんですけれど、多くは40代で引退しています。そもそも寿命が今より短かったでしょうし、今の日本でいう中学生ぐらい、ドイツ語圏だと10代前半で、職人って修行の旅に出るんです。シューベルトの歌「美しき水車小屋の娘」の詩にもあるような世界で、みんな旅して回ってきて、20代前半ぐらいで落ち着いて、もう工房を構えるんですよね。だからブレイクするのが早い。
——今とは全然仕事の流儀が違ったと言えそうですね。
平井 ピアノ職人はリッチだったんですね?
太田垣 大メーカーはそうだったようです。
構造のシンプルさと素材のもつ良さがいい
平井 いま音の話を聞いたのですが、構造と素材という話に付け加えて何かありますか。
太田垣 肝心の「いい音って何ですか」に答えられていないですね。
当時のものって、要はすべてにおいて手工業というか、職人さんが手で作ったものが使われているわけなので、例えば、すごく細かいことでいうと、こういう赤や緑のフェルトとかピアノによくあるじゃないですか。色を付ける染料にしても、今は化学的な物質を使うけれども、昔は植物由来の染料とか、自然素材のものを使って作られていて、だから、現代の我々がすごくお金を出したり、すごくこだわって持つものが、昔は当たり前にあった。今だと天然のものとか高いじゃないですか。すごくおしゃれな人しか買わないようなものってたくさんある。そういうものの塊なんです、当時の楽器というのは。
装飾に使われているシルクにしても、今普通に生地屋さんに行って修復のために買おうと思ったら、ポリエステルのものばかりを目にするけれど、当時はシルク100%のものしかなかった。
革も、昔と同じタンニンなめしは残っているのですけど、今の革製品はほとんどがクロムなめしというものです。それは金属質の化学薬品を使って、動物の皮を革製品に替える方法です。「なめし(鞣し)」は、皮膚の状態の「皮」から、皮革製品に使う「革」の状態にする行為。昔は全部天然のものを使ってなめしていて、今はその植物系のタンニンなめしのほうが貴重なんです。
そういう、上質なものばかり蓄積されているものがゆえに、いい音がするというのはすごくあると僕は思っている。
平井 自然にあったものを使って生み出される自然さがいい、ということなのかもしれないなって思います。
現代ピアノの堅牢なリアクションにチャレンジ精神をメラメラと燃やす人もいると思いますが、私の場合、昔のピアノを弾いていてタッチのスピードや重さを変えたいなって思ったとき、自分ですぐ調整して反応してくれる俊敏さがすごくうれしい。そのリアクションがあるからこそ、次にまたやりたいことが増える。
太田垣 アクションの構造的なシンプルさと、素材のもつ良さが、どちらも考えられますよね。
天然のもののムラ、手作業の直線を、なぜかいいと感じる
——天然の素材と、模倣されたものと比べても、天然のほうがいいということですか。
太田垣 そこなんですよね。フォルテピアノを知らない人に、その良さをわかってもらうことは本当に微妙なことで、一歩間違えれば、小うるさい人になっちゃう。
繊維の話でも、ウールやシルクのものって着ると気持ちいいけど、実際に外に着ていくときは、ゴアテックスのほうが絶対楽で便利だというような違い。どっちもいいところはあるんだけど、人間が作ったものの絶対的な良さとしては、天然の素材のほうがいいっていう確証が僕にはあって。
写真でも、昔のフィルムで撮った銀塩写真とデジタルのインクジェットのプリントって深みがまったく違うじゃないですか。ただ、それを言ってたら仕事にならないという部分もあるけれど、でも絶対の違いってある。
そういうところを僕らは訴えないといけないんだけど。
平井 下手すると、小うるさいおばさんになっちゃう。
太田垣 そうなんですよね。
——でも、ミクロレベルで見ると、違いがあるわけじゃないですか。いくら近しいものにしていたとしても、なぜ音に影響するのかなってところが疑問です。
平井 私は科学的な知識がないから、物語の世界レベルでしかないんだけど、工場で大量生産されるものは、たぶん均一なんですよね。均一化するから音が悪くなるのか、じゃあちょっとバラバラにしようとか言って、AIに計算させてすごくランダムにしても、それは作られた計算されたバラバラじゃないですか。
天然のもの、例えば蚕の繭から生糸をとってシルクにするにしても、熟練した職人さんが「超均一にしました」って言ったってムラがある。予想ができなかったけどできちゃったムラ、みたいな状態がいいのかなと。
太田垣 木の直線にしても、機械で出した直線のほうが完璧なんですよ。だけど、完璧な直線や直角ってつまらないんです。量販店の家具ってきれいだけど、手作りの家具とは何かが違うじゃないですか。もし同じ値段で売っていたら、職人が作ったほうを買うと思うのです。
例えば、ここの床のフローリングって、薄い突き板が貼ってあるんですけど、このピアノもそうなんです。このフローリングの木って、偽物、プリントなんです。だけど、わからないじゃないですか、普通の人が見たら。
だけど、僕にはすごく違いがある。こちらの楽器は現代の突き板を使っている僕が製作した復元楽器で、あちらの楽器はオリジナルなんです。突き板って、薄い数ミリの木を貼り付けるんですけど、昔は手で挽いていたものだから、厚いんですよね。1~2ミリある。ところが、今はもう大きい刃物で挽けるから、復元楽器のほうは1ミリないんです。
平井 へえ~。
太田垣 ただ、それはなんでそうなったかというと、薄いほうが1本の木からたくさん突き板が取れるから。1枚でもたくさん取ったほうが効率はいいじゃないですか。コストカットのために。
だけど、ものとしては薄いものより厚いもののほうが、きれいなんです、質感は。他の人が聞いたらどうでもいい話すぎますけど(笑)。
作っている者としては、いいものを作りたいから、厚いほうがいい。
ホールでも、すごい音響にこだわるじゃないですか。だけどそれって大体の人が聴いても、どっちも一緒じゃんってなる。本当に紙一重のことを言っているんです。
感じとれる近い距離感が必要!
平井 私たちが言っていることって、距離が大事だと思うんですよね。今ここに座って、このブロードウッドの突き板を「そうなんだ」と見て、太田垣さんのレプリカの突き板を見ると、「やっぱり薄いのかもしれない」って見えるんですけど。この距離、今2メートルないくらいだと、まあまあ認識できるんですけど、これが4~5メートル離れちゃうと、たぶんもうわかんないかな。
素人でも近寄ってみれば、何かその得も言われぬ美しさとか、インパクトを感じられるんですよね。
きっと音も同じで、昔のピアノの音って、楽器に頭を突っ込んで聴けば聴くほど、「わぁ! すごく違う」ってわかる気がするんですね。
音の出始めから消えていくところまでの移り変わり方とか、それがまた音域ごとに全然違うでしょ。もっと言えば、キーごとに違う。それをばらつきって括っちゃって、ダメなものってゴミ箱にポイってするのは簡単なんですけど、その違いを至近距離で全部愛でられるのは、素晴らしいことだと思う。
現代のピアノってすごいハンサムなんですけど、近づきすぎると、なんかちょっと拒絶される気がするんですね。ホールみたいな、ある程度の距離をとって聴くと、その王子様を愛でられる。舞台で見てこそ、キャーって言えるアイドルみたいな。近すぎると恐れ多くてどんどん距離をとりたくなっちゃう。
でも、昔のピアノには、どんどん近寄っていきたくなるのは、そういう作られ方とか、素材の選ばれ方にあるのかなって思いながら聞いてました。
太田垣 それが必要とされている状況というか、社会というか、その違いは大きいですよね。時代が何を求めていたか。
フォルテピアノとフルコン(フルコンサートピアノ)をコンサートホールで聴いたら、誰だってフルコンのほうがいいわけで。いつも弾き比べとかやらされると、何のために持っていったんだろうって、こっちは本当にがっかりして帰ってくるということが多いけど、でも、この部屋でフルコンを弾きまくられたら「もう止めて」ってなるだろうなと思んですよね。
どこで、誰に聴かせるのか。その違いでピアノが変わってきた。
平井 こういうお部屋に置かれて、聴かれるために作られた楽器だったと思うんですよね。
太田垣 場所によって考えられるいい音というのも、まったく違う。
——高層マンションよりも、古民家のほうが気が楽だなって最高だよと思う人はいっぱいいると思うので、そういう人が出会ったらいいですよね。
太田垣 時代的にも、きっと今からはそういう流れだろうなと思います。
平井 ヨーロッパの古民家には本当にあるんですよね。田舎に行ったら「うちにはないけど知ってるよ」っていう人には出会う。いまだに、古い楽器が納屋から出てきたりもするけれど、そういうことは、日本ではピアノの歴史的に考えて起こり得ないわけですもんね。
——おばあちゃんの家の隅にあるピアノが、いわゆるモダンのカワイやヤマハのアップライトから始まってますからね。
平井 そうです。我々は古いと言っても50~60年前とか、戦後。
太田垣 あのグラーフ(ウィーンの製作家の19世紀のピアノ)なんか、イタリアのトスカーナの家から来たもの。館に普通にあったんです。
平井 壺みたいな感じでね。
太田垣 そうそう(笑)。フランスに行ったときに、ショパン時代のプレイエルに材木を卸してた材木屋から突き板とかを買ったことがあるのですが、プレイエルがなくなっても材木屋は残っています。それって我々は「すごいな、200年前から」と思うけど、別に京都に行ったら、老舗のお店なんて、もっと前の時代のものだってたくさんあるわけで。
古いピアノって遠く思っちゃうけど、また日本のものとも距離感が違うので難しいです。
平井 老舗って、創業が江戸時代とか、ありますものね。ピアノと同じような時代ですよね。
——いい音を出す環境がないと、感じ取れないってことはありますよね?
太田垣 はい、聴く場所によります。本当に近くで聴いてほしいです。
平井 そうなんですよね。以前に、舞台に人を上げてアンコールを聴いてもらったりしたけど、「それまで弾いていた曲も、あのアンコールの音だったんだ!?」ってアンケートに書いてくれた中学生がいた。「全然違った」って。
だから、至近距離で聴かせたい。いくつかのホールさんに話すと「確かに! やりたい」って言ってくれる。キッズだけでも舞台に20~30席を作って、まず目の前で聴いてもらって、「はい、交代~!」って後ろに行くと、音の違いがわかる。「絶対それいいよ」って言ってくれているホールもあるから、コロナの状況がよくなったらやりたいですね。
太田垣 ウィーンとイギリスはお国柄、目指していた思想が違って、ウィーンの楽器は明らかに室内向け、イギリスはおそらくホール向けの楽器なんです。イギリスはできるだけ残響を残そうとする、ウィーンは子音を徹底していて、おしゃべりな楽器。そんな音の違いも、近くで聴いてもらえたらうれしいですね。
関連する記事
-
音楽が「起る」生活#2 ネルソンス&ウィーン・フィル、ラトル&バイエルン、N響、...
-
音楽を学びたいと願うあらゆる人に門戸を開く日本最大級の音楽専門学校「国立音楽院」
-
創立44年 日本で一番歴史のある日本ピアノ調律・音楽学院は国家検定資格取得の最短...
ランキング
- Daily
- Monthly
関連する記事
ランキング
- Daily
- Monthly