インタビュー
2023.10.11
最新作は人・音楽家、両方の人生を見つめなおしベートーヴェンに挑んだ「私の2020年」

ピアニスト ハイオウ・チャン〜巨匠ファイとの出会いと共演、思考を重ねて生み出した5枚のディスク

ドイツと中国を拠点に活動しているピアニストのハイオウ・チャンさん。セルフマネージメントで掴んだ録音デビュー、トーマス・ファイとの出会いでレパートリーの核となったモーツァルト、そしてコロナ禍体験から生まれた最新作「私の2020年」まで、音楽家としての歩みを5枚のディスクに沿って伺いました。

取材・文
山崎浩太郎
取材・文
山崎浩太郎 音楽ジャーナリスト

1963年東京生まれ。演奏家の活動とその録音を生涯や社会状況とあわせてとらえ、歴史物語として説く「演奏史譚」を専門とする。『音楽の友』『レコード芸術』『モーストリーク...

PHOTO: 各務あゆみ

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ハイオウ・チャン(张海鸥)さんは1984年に生まれた中国のピアニストである。北京の中央音楽院を2002年に卒業後、ハノーファー音楽演劇大学でベルント・ゲツケに学び、2005/06年シーズンにプロとしてのデビューを飾った後は、ドイツと母国を拠点に活動している。チャンさんは、アグレッシヴな指揮ぶりで日本にも熱狂的なファンをもつトーマス・ファイが信頼し、共演したことでも知られている。2022年11月には豊洲シビックセンターホールで、初めて日本でのリサイタルを行なった。

このインタヴューは来日公演の数日前に、これまでに発売された5枚のディスクについてお話をうかがったものである。

ハイオウ・チャン

1984年に中国のフフホトで生まれたハイオウ・チャンは、北京の中央音楽学院で学び、その後ハノーファー音楽演劇メディア大学でベルント・ゲツケ教授に師事。

数々のコンクールで成功を収めた後、2005/06年にブラウンシュヴァイククラシック音楽祭で演奏をしてキャリアをスタートさせ、それ以来、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン音楽祭、キッシンジャーソマーなどに出演。2010年、ニーダーザクセン州で自身の音楽祭、「ブクステフーデ/アルテスランド/ハーブルグ国際音楽祭」を設立。2023年、ドイツにて、ベヒシュタインの170周年式典にて、ハイオウはリサイタルを行った。
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セルフ・マネージメントから生まれたファイとの出会いとデビュー盤

——最初の録音は、2010年のリストの作品集ですね。

チャン そうです。2011年がリストの生誕200年だったので、それに合わせて録音しました。ロ短調のピアノ・ソナタやホロヴィッツ編曲の《ハンガリー狂詩曲第2番》嬰ハ短調など、難易度の高い作品なので楽ではありませんでした。自分は実演で弾きこんで、たくさん経験を積んでからレコーディングするのが好きなので、このときも十分に準備をしました。

——これまで、すべてヘンスラー・レーベルに録音されてきたのですね。

チャン じつは、二つの方向からレーベルとの関係が生まれました。2009年に知り合ってから共演を重ねていた指揮者のトーマス・ファイと、自分が契約しているベヒシュタインが、それぞれに推薦してくれたのです。

——ファイもハイデルベルク交響楽団とともに、ハイドンやモーツァルトなど、ヘンスラーにさまざまな録音を行なっていましたね。ファイとはどのようにして知りあったのですか?

チャン 私は2006年、まだ学生だったころから自分でマネージメントをして、コンサートも主催しているのです。プロモーション用のCDをつくって、誰か一人でも聴いてくれればと、とにかくたくさんの音楽家や音楽関係者に送りました。

すると2008年のある日、突然ファイから共演する気はあるかと、電話がかかってきたんです。演奏会の翌朝、家でコーヒーを飲みながらたまたま自分のCDを聴いて、興味がわいたんだそうです。

そして2009年11月にハイデルベルクで、2000人の聴衆を前にしてメンデルスゾーンのピアノ協奏曲第2番をひくことになりました。快速で、とても演奏しにくいテンポでしたが(笑)、何とか弾けたようで、そのあともモーツァルトの第20番や、ベートーヴェンの第2番などのピアノ協奏曲で共演を重ねました。ブラジルへのツアーにも参加しました。

ファイの指揮で体験した「ほかとは違う」モーツァルトがレパートリーの核に

——そのプロモーション用のCDでは、どんな曲を弾いていたのですか。

チャン 長い曲だと聴いてもらえないだろうから(笑)、ショパンの《雨だれ》やドビュッシーの前奏曲、リストのハンガリー狂詩曲などだったと思います。

——モーツァルトではなかったのですね。

チャン モーツァルトはその当時のレパートリーにはありませんでした。でもファイは、僕と一緒なら違うモーツァルトを体験できるよと、導いてくれたのです。慣習的な、みんなが聴きなれたモーツァルトとはちょっと違うから、賛否両論になるだろうと。

実際、極端な結果になりました。絶賛する人と否定する人に分かれた。飛ぶように速いテンポですが、音楽にはとても透明感がある。でも考えてみたら、モーツァルトもヴィルトゥオーゾのピアニストだったのですから、そんなテンポもありうる。ファイはとてもしっかりと歴史的考証をした演奏を学んでいる人だから、説得力が強い。それ以来、モーツァルトは自分のレパートリーの核になりました。

——その成果が、2010年と12年に録音された、「ピアノ協奏曲第21番」と「第20番」のディスクですね。ファイさんが2014年に不慮の事故で活動を中断されているのはとても残念ですね。

チャン 他の指揮者には真似のできないタイプだっただけに、残念です。

録音はライブで弾きこんでから! アイデンティティ、リスナーへの思い、コロナ禍で自分と向き合った時間......

——続いては、「指紋」と題された独奏曲集で、これは複数の作曲家の作品によるリサイタル風の構成ですね。

チャン 私たちピアニストは練習に練習を重ねて、鍵盤には無数の指紋が記されている。指紋というのは自分自身、自分のアイデンティティを示すような選曲です。バッハの時代と場所から現代の中国に至るまで、多様でしかも自分にとても近しい、長い旅路をたどるような選曲です。どれもライブで60回から70回も弾きこんできました。

ただ、作曲家それぞれにふさわしい音色を探求し、それをレコーディングで表現するのはたいへんでした。個人的には一人の作曲家に集中するのが好きなんですが、しかし聴衆にはさまざまな人がいます。それぞれに楽しんでもらいたいという思いもあるので、多様な選曲にしました。

——続いては、モーツァルトのピアノ協奏曲の室内楽版2曲のディスクですね。

チャン 大きな空間ではない場所で小編成のほうが、より親密にニュアンスを伝えやすくなります。ただ弦楽四重奏との共演だと、ピアノ協奏曲というよりピアノ五重奏曲のようになってしまう。ここではコントラバスを加えて、息のあったメンバーと一緒に、よりオーケストラ的な響きも意識しました。

——そして最新作は、「私の2020年」と題して、ベートーヴェンの「ピアノ・ソナタ第30番」と「第32番」を中心とする作品集ですね。

チャン コロナ禍のなかで腰をおちつけて、人として音楽家として、その両方の人生を見つめなおすなかで、この2曲をじっくり勉強しました。深い考察がなければ弾くことのできない作品だと思います。

特に「第32番」は、他の音楽家たちにもとても大きな影響を及ぼした。インフィニティ、無限性をもった、包括的な作品だと思います。

コロナ禍で人々が立ち止まり、みずからを問いなおす。絶望的な状況下でも望みを捨てず、光を見いだして前へ進もうとする、その道しるべとなるような作品だと思い、この時期にとりあげました。

——ありがとうございました。お言葉をかみしめつつ、各ディスクを聴きなおしてみようと思います。次の来日公演も、できるだけ早く実現することを願っています。

チャン ありがとうございます。

来日公演情報
ハイオウ・チャン(ピアノ) 柳田慶子(ヴァイオリン) デュオリサイタル

日時: 2023年11月8日(水) 19:00開演
会場: すみだトリフォニーホール(小ホール)

出演: ハイオウ・チャン(ピアノ)、柳田 慶子(ヴァイオリン)

曲目:スコリフ/メロディ、グリーグ/ヴァイオリンソナタ第3番ハ短調作品45、ショパン:スケルツォ 第1番〜第4番

 

詳細はこちらから

取材・文
山崎浩太郎
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山崎浩太郎 音楽ジャーナリスト

1963年東京生まれ。演奏家の活動とその録音を生涯や社会状況とあわせてとらえ、歴史物語として説く「演奏史譚」を専門とする。『音楽の友』『レコード芸術』『モーストリーク...

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