優しき巨人コンポーザー、ユップ・べヴィン

ストリーミング・アーティスト、ユップ・べヴィンの音楽世界――広告業界から転身したストリーミングで2億回再生されるミュージシャンは、いかにして生まれたか?

インタビュー
2019.04.15

2017年にドイツ・グラモフォンよりメジャーデビューを果たしたオランダのコンポーザー/ピアニスト、ユップ・べヴィン。Spotifyのニューヨークチームが、彼の楽曲を人気の高い「ピースフル・ピアノ」プレイリストに追加したことで、瞬く間に世界中でヒットする。いま、世界でもっともストリーミングされるアーティストのひとりだ。

彼の音楽は何を語ろうとしているのか? なぜ、これほど多くの人びとに受け入れられたのか? インタビューを通して、ユップ・べヴィンの哲学的な音楽世界を探る。

取材・文
小室敬幸 作曲/音楽学
小室敬幸
取材・文
小室敬幸 作曲/音楽学
東京音楽大学の作曲専攻を卒業後、同大学院の音楽学研究領域を修了(研究テーマは、マイルス・デイヴィス)。これまでに作曲を池辺晋一郎氏などに師事している。現在は、和洋女子...

広告代理店勤務の傍ら、自宅キッチンのアップライトピアノで自主制作アルバムを録音。それがデジタルで配信されると爆発的な人気を博し、あれよあれよという間にメジャーデビュー――ユップ・ベヴィンはそんな夢物語を実現させた、いま注目を集めるポストクラシカル系のピアニストだ。

ベヴィン自身、決して饒舌なタイプではない(かといって寡黙なわけでもないのだが)。2メートルほどの巨体を前傾させ、時おり沈思黙考する間をはさみながら、誠実に言葉を紡いでいく……そんな姿は、彼の音楽そのものを思い起こさせる。

シンプルな音楽を自分がやって良いものか確信がもてなかった

生まれはオランダ。首都アムステルダムは、世界でも有数のクリエイティヴ産業の盛んな都市として知られている。

べヴィン アムステルダムはファンタスティックな場所。寛容さと忍耐強さがあって、なおかつ忙しすぎずにギスギスしていない……クリエイティヴにならせてもらえる時間的な余裕がある素晴らしい街なんです。ただ、私からみればトーキョーのほうがよりクリエイティヴだと感じることもあります。

今では“ポストクラシカル”というジャンルの新たなスターとして紹介されることの多いベヴィンだが、もともとクラシック音楽を熱心に聴いていたわけではなかった。彼が最初に買ったアルバムは、世界でもっとも売れたレコードのひとつ、マイケル・ジャクソンの《スリラー》だった。1982年、彼が12歳の頃に発売された音楽だ。

ベヴィン その後も、やっぱり周りの人たちと変わらずロックを聴いていました。バンドでドラムスはちょっと叩いたりしてんですが、ギターは全然ダメで。なんで自分が弾いているのがピアノだったんだろうって後悔した時期もあります。

20代の頃は主にアシッドジャズ、エレクトロニカ、ハウスとか……ヒップホップも少し聴きましたね。30代ぐらいは広告の仕事のためにいろんなものを聴かないといけなくて。30代終わり頃になってからやっとクラシック音楽やアンビエント(環境音楽)をよく聴くようになりました。

さまざまな音楽を広く聴いてきたべヴィンだが、彼は具体的なアーティスト名やアルバム名を挙げて、熱量高く語ったりはしない。ジャズピアニストではキース・ジャレットやビル・エヴァンスが好きだというが……

ベヴィン きっと誰でも挙げるであろう有名な《ケルン・コンサート》は確かに私も好きですけれど、特定のアルバムに思い入れがあるわけではないですね。コレクターではないですから。
彼らのようなレジェンドに私なんかが近づけるわけもなく、ただ、典型的なジャズでもなければ、クラシック音楽的とも言い切れない彼らの自由なスタイル――そして何より、強く物語を喚起させる力にインスピレーションを感じ、影響を受けているとはいえます。彼らの音楽から音を抜いてシンプルにした結果、私の音楽になるのかもしれません。

そして、ポストクラシカルの音楽を語る上でかかせないミニマルミュージックとの出会いは、地元のCDショップで何となく買ってみたフィリップ・グラスがきっかけだった。

ベヴィン 最初聴いたときは全然好きになれなかったんですが、せっかく買ったわけですから、ずっとそれを聴き続けていたんですね。そのうちに少しずつ好きになり、瞑想的な側面にも魅せられました。ただ、まだその頃はそういうシンプルな音楽を自分がやって良いものか確信がもてなかった。

音楽の道へは進まずに広告業界へ就職してからも、音楽への想いは消えることなく、心のなかでは火を灯し続けていた。

疲弊しきっていたからこそ見つけられた自分自身の“声”

ベヴィン カンヌライオンズ(カンヌ国際広告祭)の仕事の際、もうとにかく忙しくて忙しくて……。自分ひとりの時間が欲しくて、滞在先のホテルにあったピアノをなんとなく遊び感覚で弾いていたら、まわりに人が集まって来たんです。演奏後、寄ってきた人から「泣いている人もいたよ! 気づいた?」……なんて声をかけられて。演奏中にはわからなかったんですけれど、自分の音楽で感動する人がいるということを知ったのが、もう魔法のような瞬間でした。

当時、すでに広告の仕事に対しては燃え尽き症候群みたいな状態で……。そんな疲れ切っていたときに何も考えずピアノを弾いて、自然と出てきた音楽のおかげで発見したんです。それが自分自身の“声”なんだって。

ベヴィンの音楽がもつ独特の“声”――その最大の特徴はグランドピアノではなく、シンメル社のアップライトピアノから紡ぎ出される音色にある。

ベヴィン 10年前に祖母が亡くなり、アップライトピアノを受け継ぎました。私の曲はとてもシンプルなのですが、このアップライトピアノで弾くと豊かな感情が生まれるんです。音符と音符のあいだにある反響も、グランドピアノでは得られないものがありますし、そもそもグランドピアノを使って曲を書いたらまったく違う音楽が生まれると思います。そのくらい、いま使っているアップライトピアノは自分にとって必要不可欠なものなんです。

こうして生まれてきたベヴィン独自の音楽は、ポストミニマルのような反復だけに終始しない。リズムよりも、息の長いシンプルな旋律が音楽の主軸となるのだ。そのためか、21世紀版のエリック・サティのようにも聴こえる。あるいはレディオヘッドのような20世紀末の退廃とも近しい、独特の叙情性が漂う。

ストリーミングで音楽がどのように広がっていくのか興味があった

ベヴィン それだけのことができるなら、音楽をやったほうがいいんじゃないか? ……そう言ってくれたのが、今のマネージャーのマークです(笑)。とはいえ、その時点では何もなかったので、それから2、3年後にやっとアルバムをちゃんと作ろうという話になりました。

家族が寝静まるなか、3ヶ月かけて自宅で録音(なんと〈Saturday Morning〉という曲はiPhone 4sだけで録音されているという!)したのが《Solipsism ソリプシズム》というアルバムだ。2015年に自費でレコードを1500枚ほどプレスしたところ、友人たちを中心に早々に売り切れてしまう。だが追加のプレスは考えなかった。

ベヴィン ストリーミングのプラットフォームで音楽がどのように発信できるのかに興味があって。オーディエンスにどのように伝わっていくのか試してみたかったんです。最初はレコード会社に持ち込んだんですけど相手にされず、それなら自分でやってしまえ! ……ということで娘と一緒に法務局へ行き、自分の会社 iaregiantrecords を立ち上げて、SpotifyやAppleMusicで《Solipsism》の配信をはじめました。

当時、まだ広告の仕事をフルタイムでこなしていたが、配信から3、4ヶ月も経つと、状況は徐々に変化していく。まずは再生数の合計が突如としてそれまでの900倍――なんと150万回も再生されたのだ。それはSpotifyのニューヨークチームによる「ピースフル・ピアノ」プレイリストに、彼の《The light she brings》が載ったことがきっかけだった。

ベヴィン そこからの広がりは想像を超えるものでした。発信し始めた頃からそうなったら良いなあ……という希望はありましたけど、にわかには信じられなかったですね。とはいえ、ただただベリーハッピーでした(笑)。

さらにドイツ・グラモフォンの幹部が偶然、ベルリンのバーでかかったベヴィンのレコードを耳にしたことで、ついにメジャーレーベルから契約が持ちかけられる。

ベヴィン もちろん自分がクラシックのミュージシャンだとは、昔も今も思っていないんですけれど、ドイツ・グラモフォンから話が来たのは感激でしたね。彼らは本気で私の音楽のことを考えてくれます。良いスタッフチームが結成されたので、こうして日本に来ることもできましたし、今でも良い関係を続けられています。

ストリーミングだけでなく、現物としてレコードを作ったことにも大きな意味があったのだ。

個から集団、そして宇宙へ

メジャーデビューの契約を結んだベヴィンは、早速新たなアルバムの制作に乗り出す。

ベヴィン 《Solipsism ソリプシズム》を自主制作したあと、不安にかられていました。もうインスピレーションも去ってしまい、何も作れないんじゃないかと。それでも、毎日毎日ひたすら曲を作り続けたんです。それがまとまって《Prehension プリヘンション》になりました。
《Solipsism》は“個”や“内”をイメージした音楽だったのですが、《Prehension》ではそれがもう少し広がったイメージなんです。

彼のアルバムタイトルは、いずれも哲学用語から取られている。2015年の第1作目、ソリプシズムとは“独我論”のこと。近代哲学の父デカルトによる余りに有名な言葉「我思う、故に我あり」を出発点とする、自分の思考以外は不確かなものであるという考え方だ。

一方、2017年の2作目、プリヘンションとは数学者で哲学者でもあったホワイトヘッドによる“抱握”という概念。「自覚的ではない認識も含んだ“把握行為”を意味している」と説明すると難しく思えるが、「無意識レベルも含めて自分が他者(物も含む)をどう捉えているか」という問題意識と言い換えれば、ベヴィンの意図が読み取れるのではないか。

そして3作目のアルバムとなったのが2018年の《Conatus コナトゥス》である。

ベヴィン 当初は全編リミックスというアイディアもあったのですが、話し合いの結果、それはちょっと違うだろうということになり、最終的に音楽自体に決めさせようという方針になりました。その音楽が求めることを優先したんですね。そうして、私の曲を別のミュージシャンがRework(自由な再創造)するといったアプローチを取ることにしました。

コナトゥスとは本来、内在する原動力を指し示す概念であるのだが、時代時代においてさまざまな解釈がなされ、異なるニュアンスや定義で用いられてきた言葉でもある。まさにコナトゥスという言葉のように、ベヴィンの音楽が別のミュージシャンによって、新たな解釈を施されたのだ。

ベヴィン 私自身が尊敬するミュージシャンにお願いして、演奏していただきました。そういうかたちで私の音楽を生き続けさせたかったんです。新たな扉が開いたと思いますし、新しい聴衆に聴いてもらうことができたと思います。

選ばれたミュージシャンの顔ぶれは驚くほど幅広い。ヒップホップ・オーケストラで注目を集める気鋭の若手コリン・ベンダースや、ニューエイジ界の大御所スザンヌ・チアーニまで。エレクトロニカ的な感覚がどこかで共有できる音楽ながら、単独のジャンルに着地しないようなアーティストばかりが並んでいる。

ベヴィン 普通、こういうアルバムをつくると、2曲ぐらいは良いけど、他はまぁ、しょうがない……みたいなことになりがちですよね。でも本当に、私自身がキチンと納得できるものが仕上がりました。

こうしたReworkアルバムを挟んで、いよいよ今年2019年。《Solipsism》《Prehension》に続く3部作が完結する。新作のタイトルは《Henosis ヘノシス》――プラトン主義に起因する“一体化”や“結合”を意味するギリシャ語だ。つまり1作目で自己の内面をみつめ、2作目で他者との関係を探ったベヴィンは、この3作目で両者の融合を図り、宇宙を志向する。

1曲目の〈Unus mundus 1つの世界〉――ユング心理学における“一なる世界”のことであろう――は、アルヴォ・ペルトの名曲《鏡の中の鏡》を想起させる出だしではじまる。《Prehension》までと同様、ピアノソロの楽曲だ。

そして2曲目〈Into The Dark Blue〉からは新基軸が打ち出される。ついにエレクトロニクスを導入したのだ。他の楽曲では、ストリングスの響きも取り入れている。

ベヴィン 1作目のパーソナルで内省的な音楽に対して、もっと広がりのある音楽が作りたかったんです。実は2作目の時点でやりたかったんですよ。でも叶わなかったので、その分をすべて今回のアルバムに詰め込みました。

もともとエレクトロニカは好きでしたし、ピアノのソロに新しいレイヤーを加えたいと思ったんです。エレクトロニクスと弦楽の響きが一緒になると私の音楽がどう変わるのか? 自分自身にとっても好奇心をかきたてられる体験でしたね。結果的に、より厳かなものになったんじゃないかな。

影響を受けすぎないようにするのがとても難しい

エレクトロニクスを導入することで、これまで以上にマックス・リヒターやニルス・フラームといったポストクラシカルのメインストリームに接近したベヴィン。彼はこうしたポストクラシカルの先人たちとどう向き合っているのか?

ベヴィン 初めてニルスやマックスの音楽に出会った頃は、積極的に聴こうとは思わなかったんです。まずは自分のやるべき音楽を自分で探したいと思っていたので、意識的に聴かないようにしていました。1作目を録音した後からは、また聴くようになりましたが。
ニルスはアメージングで、私がやりたいことをやっているので危険なんです。影響を受けすぎないようにするのがとても難しい。
ニルスやマックスが、自分より前にポストクラシカルのファンを作ってくれたことをとても感謝しています。自分が後から入って、そこにいた人たちが自分の音楽を聴いてくれるようになったと思っているので。そういうカテゴリーに自分を加えてもらっていることが、未だに信じられないですよ。

シンパシーと感謝を感じながらも、距離感の難しさを率直に語るベヴィン。この問題は、彼のなかから自然に出てきた「コレクターやマニアのためではない、日常生活に寄り添うようなスタイル」を保ちながら、「コレクターやマニアが惹かれるような新しい要素を取り入れていくにはどうすれば良いのか?」という視点とも呼応する。この相反する思いを、彼はどのように《Henosis》で昇華させたのか? これが今回の新譜を聴くポイントになるはずだ。

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