インタビュー
2018.11.27
ギターを弾く喜びへの感謝を込めたアルバム『CINEMA』をリリース

村治佳織がスーパーポジティブに輝く理由 ―― 15歳から40歳、そしてこれから

15歳での鮮烈なデビューから25周年を迎え、ギターを演奏できることへの感謝を込めて作ったというアルバム『CINEMA』を発表した村治佳織さん。
パリへの留学、自分の殻が破れたスペイン生活、休養で感じた初めての挫折......さまざまな出来事を経験して完成した、スーパーポジティブな自身の「生きかた」をたっぷり語っていただきました。

お話を伺った人
村治佳織
お話を伺った人
村治佳織 ギタリスト

幼少の頃より数々のコンクールで優勝を果たし、15歳でCDデビューを飾る。1995年には、イタリア国立放送交響楽団との共演がヨーロッパ全土に放送され、好評を受けた。フラ...

インタビュー・文
飯田有抄
インタビュー・文
飯田有抄 クラシック音楽ファシリテーター

1974年生まれ。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学院修士課程修了。Maqcuqrie University(シドニー)通訳翻訳修士課程修了。2008年よりクラシ...

photo:Ayumi KAKAMU

この記事をシェアする
Twiter
Facebook

デビュー25周年、40歳にリリースした『Cinema』を聴きながら、15歳から今までの村治佳織さんの生き様をたどっていきましょう!

10代〜鮮烈なデビュー、大人たちに囲まれた生活

——デビューから25年。重みの感じられる年月ですね。

村治: そうですね。15歳でデビューし、これまで制作してきたアルバム一枚一枚に鮮明な思い出があります。でも10代の頃に出した初期の数枚は、あとからじっくり聴くこともできず、とにかく次へ進まなければ、という思いでいっぱいでした。

——向上心に溢れていたのですね。

村治: デビュー直後は、中学・高校の学校生活とは違う、もう一つの生活が始まり、刺激的でおもしろかったけれど、大人たちに囲まれて背伸びして頑張らなければいけないことも多かった。あまり安らぎを感じることはなかったかもしれません。

——デビュー時から「天才少女」、「完成されたテクニック」と、大変高い評価を受けてこられた村治さん。ご自身はそうした反応をどう捉えていたのですか?

村治: 冷静でしたね。天才などと言われても自分を見失わず、思春期をトラブルなく過ごせたのは、3歳からギターを教えてくれた父が変わらず冷静に受け止めてくれていたのと、安定した家庭環境で支えてくれた母のおかげだと思います。また、10歳から18歳まで師事した福田進一先生からは、「大切なことがあるよ」と。「レコード会社の方や、マネジメント会社の方たちは、『音楽ビジネス』の人たちだから、そこは忘れないようにね」と教えられました。大事なことだな、と感じました。

——真摯に芸術を磨くことを忘れてはいけませんよ、という教えでしょうか。

村治: そうですね。結局、多くの大人の方たちの判断に守られながら過ごせたのだと思います。でも一方で、自分の考え、意見も出せるようになりたい、自分の居場所を自分で作ってみたい、そんな思いも膨らんでいきました。

♪10代のお気に入り曲:ホイットニー・ヒューストン:「I Have Nothing」

20代〜スペインでハジけ、自分の殻を破る!

——10代の終わりから、フランスに留学されましたね。

村治: パリのエコール・ノルマル音楽院に入学しました。同世代の学生同士で自然に音楽の話ができるのが楽しかったですね。19歳から21歳の留学生活で一度もホームシックにならず(笑)。でも、まだどこか、自分を出し切れていないところがあった。出せるようになったのは、23歳頃かな。

——日本に帰国後、ということですか?

村治: いえ、スペインでの生活がきっかけとなりました。パリ留学を終えて帰国後すぐに、大作曲家ロドリーゴさんの生誕100年を記念し、スペインのアランフェス宮殿で、「アランフェス協奏曲」を映像収録しようという企画が持ち上がりました(DVD「CONTRASTES」)。せっかくの機会ですので、一人で現地に1ヶ月半ほど早く行き、一般家庭にホームスティをして語学学校に通うことにしました。最終的には3ヶ月、マドリッドに滞在できたのですが、「水が合う」というのか、スペインが大好きになりました。

——マドリッドのどんなところが魅力的でしたか?

村治: 私の「下町気質」に合っていたんです。私は生まれ育ちが東京の下町で、ご近所の人たちとの距離が近い環境で育ちました。そういう人々の温度が、マドリッドにもあったのです。朝は語学学校、午後は楽器の練習や勉強、そして夜はホームスティ先の10代のお子さんたちが連れて行ってくれるディスコへ!「今ハジけなくて、いつハジけるんだ!」とばかりに、のびのびとスペイン生活を満喫しました。

それまでは日本の教育の中で、自分を追い込んで、やるべきことを突き詰めて、高めていこうとする姿勢が染み付いていたのですが、肩の力が抜けたような気分に。自分で考え、自分で選び、自ら行動する楽しさのなかで、責任も感じながらスペインで過ごせたことで、何か殻が破れた感じがしました。

そう、ギターを続けるか続けないか、というのも、本来は自分で選択できることなんですよね。でも小さな頃から続け、努力してきたので、やるのが当たり前だった。「ギターも自分の人生にとって選択肢の一つなんだ」という、ごく普通のことに私は気づいていなかったんです。数ある選択肢の中から、私は自分でギターを選んで弾いているんだ、そんな自覚を新たにできました。

「人生を楽しむこと」、それは二十歳のときお会いできた、尊敬するロドリーゴさんからの教えでもありました。

——その後はご自身の中で大きく変わりましたか?

村治: 25歳くらいからは、加速して人生が楽しくなりましたね。スペインでのホームステイ経験で、能動的に行動していく大事さを知り、楽しむ気持ちでいっぱいになりました。勢いがあって、仕事量も増え、生きる喜びに満ちていた。スペインは本当に大好きで、20代後半もたびたび訪れ、1年のうち3〜4ヶ月はスペインで暮らしていました。

♪20代のお気に入り曲 :スティング:「フラジャイル」

30代〜何かを求めない、貴重な時間を知る

——となると、フランスよりもスペインのほうが、総滞在期間は長いですね。

村治: そうですね。でも30代になって、パリの室内オーケストラと録音するために再びフランスに行ったら、20代ではわからなかったパリの洗練、エレガンスに気付きました。スペインを経験しなければ、わからなかったことですね。留学中よりも、るんるんした気分でフランスも楽しめました。

フランスの人たちは、ブランドにしていく力が強い。革製品ひとつとっても、たとえスペインの革を使っていたとしても、フランスのブランドにできる。日本美術などもうまく取り入れて、自分たちの美術を打ち出す。若者より大人を大事にする、成熟した文化を感じました。

——活動の拠点である日本については、どう捉えていましたか?

村治: 日本はどこに行っても立派な音楽ホールがあるのが素晴らしい。気が付けば、日本の全都道府県での演奏を達成していました。スペインやフランスなど遠く離れた土地で生まれたギター音楽が、日本の各地で響くというのもすごいことですよね。

30代は、歌舞伎のお囃子や能楽の奏者の方々とコラボレーションする活動もしました。私が幼少期から自然にギターをやったように、彼らも自然に邦楽を始めた人たち。その音楽の強さ、純粋さに触れて、自分もギターをさらに深めたいという思いを新たにしましたね。一方で、「日本」という言葉だけでは括れない、さらに細分化された芸術があるという気付きも得ました。日本の芸能も北から南まで、まったく性質も歴史も違う。そんなところから、自分の生まれた下町への思いも強くなった気がします。

——30代はご病気をされ、休養を余儀なくされた時期もありましたね。

村治: ちょうど20周年を迎える時でした。もともとそのタイミングで少しお休みをいただこうと決めていたのですが、その半年前から自分の意思に反して、突然休まなければ行けなくなった。これは「挫折だ」と。人生において、1ミリも自分が望んでいないことも起こるのだ、と痛感しました。

ただ、その段階までにスーパーポジティヴな自分を作っておけたので、乗り越えられたのだと思います。そこで一旦終わりになってもいい、と思えるほど、充実した活動をさせていただいていたのです。

——とはいえ、邁進し続けていた生活から、突如時間の流れ方が変わったわけですよね。どう感じておられましたか?

村治: 本当に、何もしなくていい、何かを求めなくていい、貴重な時間となりました。ただ私はもともと「ぼーっとする」ということができない性分でしたので、「ぼーっと」の仕方を友人に教えてもらいました(笑)。雑誌をたくさん目の前に並べて、好きなのを手にとって、戻せばいいんだよ〜と習いました(笑)。

ただ、「休養」とはいえ、そこには違った日常が生まれました。ごく限られた人たちと、仕事抜きでじっくり密なる交流を深めることができました。そのお一人が女優の吉永小百合さんです。人の真心とか、美しい精神に触れられる時間は、かけがえのないものでした。

♪30代のお気に入り曲:「ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番 ハ短調 Op.18」

40代〜今を大切にしたい

——そして迎えられた40代。最新アルバムの「シネマ」は全曲が映画音楽という内容。しなやかで柔らかく、温かな音色に包まれるアルバムです。これまでの村治さんの歩み、さまざまな場面が、まるで映画のワンシーンのように音楽となって表現されているような気がいたします。

村治: 前に進むだけが人生じゃない。肩の力を抜いたり、時にはぼーっとする時間も大切にできるようになった私にできる今の表現を、心から楽しみ、そしてギターを演奏できる感謝の気持ちを込めました。全曲映画音楽というのは初の試みです。

——これからの10年。40代を、どう過ごしていきたいですか?

村治: 行き先をあえて考えずに、常に今を大切にする姿勢は変えずにいきたいですね。自分に嘘をつかず、さまざまな選択肢を考えながら、これまでの経験を生かして楽しく過ごしていきたいです。

村治佳織デビュー25周年記念アルバム
『CINEMA』

〈限定盤SHM-CD+DVD(スリーヴケース仕様)〉
UCCD-9980 3,888円(tax in.)
〈通常盤CD〉
UCCD-1466 3,024円(tax in.)

収録曲

  1. 映画『プライドと偏見』から〈夜明け〉(ダリオ・マリアネッリ/牟岐礼 編)
  2. 映画『ハウルの動く城』 から〈人生のメリーゴーランド〉(久石譲/小関佳宏 編)
  3. 映画『ふしぎな岬の物語』 から〈望郷〉(安川午朗)
  4. 映画『アメリ』から 〈ある午後の数え歌〉(ヤン・ティルセン/ヨナス・レフヴァート 編)
  5. 映画『ピアノ・レッスン』から〈楽しみを希う心〉(マイケル・ナイマン/牟岐礼 編 )
  6. 映画『ラストエンペラー』 から〈テーマ〉 (坂本龍一/村治佳織 編)
  7. 映画『ロード・オブ・ザ・リング』から〈メイ・イット・ビー〉(エンヤ/小関佳宏 編 )
  8. 映画『カサブランカ』 から〈アズ・タイム・ゴーズ・バイ〉(ハーマン・フップフェルド/渡辺香津美 編)
  9. 映画『ティファニーで朝食を』 から〈ムーン・リバー〉(ヘンリー・マンシーニ/村治佳織 編)
  10. 映画『 禁じられた遊び』から〈愛のロマンス〉(アントニオ・ルビーラ/ナルシソ・イエペス編)
  11. 映画『ロミオとジュリエット』 から〈愛のテーマ〉(ニーノ・ロータ/ポール・キャンベル編)
  12. 映画『ニュー・シネマ・パラダイス』 から〈愛のテーマ〉(エンニオ・モリコーネ/鈴木大介 編)
  13. 映画『シンドラーのリスト』 から〈テーマ〉(ジョン・ウィリアムズ/ジョン・ウィリアムズ編) 
  14. 映画『ゴッドファーザー』から〈愛のテーマ〉(ニーノ・ロータ/モーガン&ポーチン編) 
  15. 映画『ミッション』 から〈ガブリエルのオーボエ〉(エンニオ・モリコーネ/モーガン&ポーチン編) 
  16. 映画『ローカル・ヒーロー/夢に生きた男』から〈ワイルド・テーマ〉 (マーク・ノップラー/ポール・キャンベル編)
  17. 映画『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』 から〈デボラのテーマ〉(エンニオ・モリコーネ/渡辺香津美&谷川公子 編)
  18. 映画『第三の男』 から〈テーマ〉(アントン・カラス/ディーター・クライドラー編)

 

限定盤DVD収録曲

  1. 映画『ハウルの動く城』 から〈人生のメリーゴーランド〉(久石譲/小関佳宏 編)
  2. 映画『ティファニーで朝食を』 から〈ムーン・リバー〉(ヘンリー・マンシーニ/村治佳織 編) 
『CINEMA』 [UNIVERSAL MUSIC STORE限定盤]

村治佳織デビュー25周年、デッカ専属契約15周年記念アルバム『シネマ』がアナログ盤で登場。
CD収録曲から10曲を厳選して収録しています。

PDJC-1001 ¥5,000 (tax in.)

お話を伺った人
村治佳織
お話を伺った人
村治佳織 ギタリスト

幼少の頃より数々のコンクールで優勝を果たし、15歳でCDデビューを飾る。1995年には、イタリア国立放送交響楽団との共演がヨーロッパ全土に放送され、好評を受けた。フラ...

インタビュー・文
飯田有抄
インタビュー・文
飯田有抄 クラシック音楽ファシリテーター

1974年生まれ。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学院修士課程修了。Maqcuqrie University(シドニー)通訳翻訳修士課程修了。2008年よりクラシ...

ONTOMOの更新情報を1~2週間に1度まとめてお知らせします!

更新情報をSNSでチェック
ページのトップへ