インタビュー
2021.08.06
ブルゴーニュ発のレーベル「ル・パレ・デ・デギュスタトゥール(LPDD)」

神秘のワイン「ロマネ・コンティ」のワイナリーで録音するレーベル〜芸術的なワインとの関係とは

フランス・ブルゴーニュの畑で生まれる最高級ワインの一つ、ロマネ・コンティ。その歴史を象徴する建物で、室内楽を録音している知る人ぞ知るレーベルがある。名盤が生まれた背景とは?

取材・文
船越清佳
取材・文
船越清佳 ピアニスト・音楽ライター

岡山市出身。京都市立堀川音楽高校卒業後渡仏。リヨン国立高等音楽院卒。長年日本とヨーロッパで演奏活動を行ない、現在は「音楽の友」「ムジカノーヴァ」等に定期的に寄稿。多く...

メイン写真:ロマネ・コンティの畑

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ワインと歴史が結びつくブルゴーニュに流れる音楽を永久のものに

フランス・ブルゴーニュといえばワイン。ロマネ・コンティ、ラ・ターシュ、モンラッシェ……と特級畑の名を連ねるだけで、どこからともなく神秘な香りが漂ってくるようだ。

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世界でもっとも高価なワインの一つ、ロマネ・コンティ。

ブルゴーニュの名門ドメーヌで録音を行なうCDレーベルがある。その名も「ル・パレ・デ・デギュスタトゥール(ワイン鑑定家の館の意。以下、LPDD)」。カヴィスト(ワインの仕入れや管理の専門職)で音楽プロデューサーのエリック・ルイエさんが2012年に立ちあげた。

主な録音場所は、ブルゴーニュの伝説的なドメーヌ(生産者)、ロマネ・コンティドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティ/DRCが所有するラ・ゴワイヨットと、ルイ=ジャド社に属するジャコバン修道院。アーティストにはロバート・レヴィン、ボリス・ベルマン、ヒラリー・ハーン、ノア・ベンディックス=バルグリー、アラン・ムニエ……など、世界一流の奏者が並び、各リリースが「ディアパゾン」「クラシカ」などの仏音楽誌より高い評価を得ている。

ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティ(DRC)

ブルゴーニュの名門、ルイ・ジャド社に属するジャコバン修道院(ボーヌ市)も録音場所のひとつ。
ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティが所有する建物〈ラ・ゴワイヨット〉も、レコーディング場所としてお馴染み。〈ロマネ・コンティ〉の呼び名は、ルイ15世の時代にロマネの畑を手に入れたコンティ公に由来する。コンティ公は、この館に樽や発酵タンクを置いていた。

ルイエさんは変わった経歴の持ち主である。少年期にはラグビーに打ち込み、フランス全国選手権で優勝を果たした。その後、看護師として働きながら、当時はまだ値段が高騰していなかったブルゴーニュワインを集め始める。気がついたときには、ワインセラーに素晴らしいコレクションが眠っていた。マルセイユやグルノーブルなど地方都市に店をオープンし、またワインの試飲会を兼ねたコンサートを企画し始めた。そこへブルゴーニュの醸造家たちが自分のドメーヌのワインを持ち込むようになり、徐々に彼らとの交流も深まっていく。

音楽祭も企画するようになった。「ワインと歴史が結びつく場所、そこに流れる音楽を永久のものにしたい」と思ったのが、レーベル設立のきっかけである。

ルイエさんにインタビューした。

レーベル〈ル・パレ・デ・デギュスタトゥール〉創設者でディレクターのエリック・ルイエさん。

ピアニストのロバート・レヴィンをプッシュし続けるのは私のミッション

ルイエさんのこだわりは、そのレコーディングの場所に表れている。

ルイエ 「ボーヌ市のジャコバン修道院は、ピエール=アンリ・ガジェさんが会長を務めるルイ=ジャド社に属する15世紀の建造物です。ラ・ゴワイヨットは、オベール・ド・ヴィレーヌさんが共同経営者を務めるドメーヌ・ド・ロマネ・コンティ(DRC)が所有しています。この館は、かつてコンティ公が樽や発酵タンクを置いていた場所なのです。

両方とも響きすぎる傾向にあり、録音に適していない場所だとはわかっていますが、私の理想は、ブルゴーニュの歴史、素晴らしい醸造家、比類ない音楽家の才能、この3つの融合なのです。

ド・ヴィレーヌさんもガジェさんも、ブルゴーニュの醸造家を代表する存在であり、また讃えるべき人格者です。彼らのプライベートな空間に温かく迎えられる幸せも含め、すべてが重なり合ってもたらす豊かさを感じるから、音楽家の方々も音響環境の不都合を忘れて、全力投球してくれるのです。設立当初より素晴らしい録音技師にも恵まれました」

ローマ神話に出てくるワインの神、バッカスの顔のラベルが有名なルイ=ジャド社。「〈ボーヌ クロ・デ・ズルスュル プルミエクリュ Beaune Clos des Ursules〉は、メゾン・ルイ=ジャドの代表的なワイン。ブルゴーニュの歴史の理解と誠実さが、もっともよく表現されている」とルイエさん。

アーティストたちを、ルイエさんは尊敬してやまない。

ルイエ 「私は自分自身が魅了され、崇めている演奏家の音色を、永遠のものとして残したいと思っているだけです。

最初に制作したCDは、ヴァイオリニストのジェラール・プーレとピアニストのクリスチャン・イヴァルディでした。そして、ピアニストのジャック・ルヴィエ、アラン・ムニエ——今フランス音楽を、彼ほど知的な音色で繊細に奏でるチェリストがいるでしょうか——とのトリオが続き、さらにピアニストのドミニク・メルレ……と、もう止まらなくなりました。

私は、CD制作が自分の職業でないことを十分自覚しています。私にとって、それぞれのCDがひとつの物語であり、冒険であり、どれもが美しく、かけがえのない思い出です。また各CDが素晴らしいクオリティであると確信しています。録音中は演奏家と1日中一緒に過ごしますから、非常に親しい間柄でなければ、確かに難しいでしょうね」

世界的な鍵盤楽器奏者であり音楽学者、ロバート・レヴィンとの出会いは決定的だった。それは厚い友情へと発展する。

 

左:ロマネ・コンティの畑の有名な十字架の前に立つ、ピアニストのロバート・レヴィン。ピアニスト、音楽学者であり作曲家でもあるレヴィンは、J.S.バッハやモーツァルトなどの未完の作品の校訂や補筆も行なっている。

上:ロバート・レヴィンとルイエさん。

ルイエ 「私はかつてより、彼のバッハの録音に魅せられていたのですが、出会いのきっかけとなったのは2014年、ライプチヒのバッハ国際コンクールでした。

バッハコンクールのプレジデントを務めるロバート(・レヴィン)は、当時モーツァルトの未完のヴァイオリン・ソナタの補筆の仕事を終えたところで、ヴァイオリン部門の審査員長だったジェラール(・プーレ)が、LPDDでの録音を提案したら、驚くことに承諾してくれたのです。 

ロバートはいつも輝いています! 私にとって彼の才能は、ハイフェッツやメニューインの高みに値しますが、彼自身はシンプルで、野心のかけらもない人です。ロバートには録音に集中して、聴衆のためにできるだけ多くのCDを世に出してほしいのですが、彼は音楽学者としての研究にも打ち込んでおり、なかなか説得するのは難しい。

しかし、『バッハ・パルティータ全集』と『シューベルト・ピアノトリオ全集』に寄せられた絶賛を論拠にし、私は彼をプッシュし続けます。これは私のミッションなんです。ロバートは神から選ばれた人なのですよ!」

『モーツァルト レヴィンの補筆によるピアノ三重奏』より ヒラリー・ハーン(ヴァイオリン)、アラン・ムニエ(チェロ)、ロバート・レヴィン(ピアノ)

『バッハ パルティータ全集』より ロバート・レヴィン(ピアノ)

『シューベルト ピアノ三重奏曲全集』 ノア・ベンディックス=バルグリー(ヴァイオリン)、ピーター・ワイリー(チェロ)、ロバート・レヴィン(ピアノ)

ルイ=ジャド社のジャコバン修道院で、シューベルトをレコーディング中のトリオ(2016年)。ヴァイオリンのノア・ベンディックス=バルグリーはベルリン・フィルの第1コンサートマスター、ピーター・ワイリーもボザール・トリオのメンバーとして活躍し、現在はグァルネリ弦楽四重奏団のチェリスト。

ロマネ・コンティも芸術〜メッセージの神髄は“時”だけが知っている

出会いと友情がプロジェクトとなって実を結ぶ。それもLPDDの特長だ。LPDDは、フランスの知られざる作品の録音にも力をそそいでいるが、その作曲家の一人がアルベリック・マニャールである。ルイエさんは、ロマネ・コンティのド・ヴィレーヌさんを介して、作曲家の甥の息子にあたる哲学者、ピエール・マニャール教授と親交を結んでいた。

左から、ルイ=ジャド社代表ピエール=アンリ・ガジェさん、ドメーヌ・ド・ロマネコンティ共同経営者オベール・ド・ヴィレーヌさん、ピエール・マニャール教授(作曲家アルベリック・マニャールの甥の息子・哲学者)、エリック・ルイエさん。

ルイエ 「ピエール・マニャール教授は、ド・ヴィレーヌさんの高校時代の哲学の先生だったのです。彼らの半世紀に及ぶ友情を、音として表したかった。それはフランスの気鋭、ベラ四重奏団による『マニャール/ドビュッシー・弦楽四重奏曲』となって実現しました」

『マニャール 弦楽四重奏曲』ベラ四重奏団

CD制作には契約をかわさない。「言葉は聖なるもの」と考えるルイエさんは、いつも口約束だけでプロジェクトを進めている。

ルイエ 「『パルティータ全集』の録音が決まったとき、ロバートは『長年にわたって弾き続けている作品だけれども、録音となれば1年の練習と熟考期間が必要だ』と言いました。演奏家は魂を音楽で満たす時間が必要なのです。ですから、納得できる準備期間をとっていただき、私から期日を課したりもしません。私は信頼関係の力を信じます。その魔法が消えてしまうようなことはしたくないのです」

ワインの世界についても話題を向けると、思いがけなく厳しい言葉が返ってきた。

ルイエ 「私は90年からワインを扱っています。当時ワインは〈ワインを愛する人々〉の〈飲み物〉でした。それが今、業界を操る少数のワイン業者の影響で、投資目的やステイタスの象徴のように思う人が出てきたのです。たくさんの方々が、真摯にワインの世界を極めたいと思っているにもかかわらず、良心の咎めを感じない一部のワイン業者のせいで、グランクリュ(特級畑)のワインの試飲会が金銭目的の集まりと化し、偉大な醸造家の仕事やその歴史が、通俗的なものに引きずり下ろされてしまうのには、目を覆うばかりです。

確かに、現在のワイン値の高騰があってこそ、私がCD制作を続けられるのも事実です。しかし、このようなワイン業界の一面に敬意をはらうことはできません」

その後に続いた言葉は、ワインの世界の深淵さを垣間見せるものだった。

ルイエ 「数年しか経ていないワインから、ヴィンテージの優劣をつけるワインジャーナリストの方たちには、疑問を感じることがあります。彼らは、すぐに得られる安易な喜びに関心を向け、テロワール(気象や土壌などの自然環境の要因)が年月と共に表現され、精神的な境地へと広がっていくことを見ようとしないのです。それは、芸術作品の全体像を理解することなく、一部だけ切り取って批評するようなものです。

一例ですが、ロマネ・コンティの1975年のヴィンテージは、クオリティにおいて最悪の年と言われていました。しかし、ほぼ50年を経た今、格別に感動的で詩的な、夢のようなワインだということがわかったのです。

ロマネ・コンティは、そのメッセージの真髄を表現するまでに数十年を要します。その前に飲んでも、得られるのはサンプルでしかありません。他のワインと比較しようとしても、その答えは“時”という真実だけが知っているのです。そうです、年月だけが魔法を起こしてくれると知りながら、味わうのは刹那的な喜びという、矛盾した芸術なのです。

しかし、現代に生きる私たちには、芸術のための時間も、自分のための時間も充分にありません。ならば、どこに真実があるのでしょう? 物事の本質から目をそらし、現代の表面的な流行にしがみつき、歴史が刻んだ記憶から逃れるほうが賢いのでしょうか……? 私自身、安易なほうへと流れてしまうこともしばしばです。しかし同時に、ノスタルジーに深くさいなまれるのです」

「私のレーベルは、あまり宣伝もしません。いい録音を実現する、安売りはしない、マーケティングの奴隷にならない、それだけです」ときっぱり言い切るルイエさん。来年はレーベル創設10周年を迎え、ロバート・レヴィンによる『バッハ・ゴルトベルク変奏曲』など、垂涎もののリリースが予定されている。

〈ロマネ・コンティ 1975年〉〜ルイエさんによる批評

色はしおれたバラの花びらのようだ。ほとんど透き通り、その退色が赤ワインであることを忘れさせる。香りははかなく、言葉を失った詩のように心を動かす。沈黙のさざめきが、テロワールの歴史を慎み深く、哲学的な高みとなった賢さで語る。不出来とされるヴィンテージだが、そこに刻まれた偉大な印は、飲む者の心をつかみ、深い感動をもたらす。それは押し寄せ、溢れ、尽きることがない。

取材・文
船越清佳
取材・文
船越清佳 ピアニスト・音楽ライター

岡山市出身。京都市立堀川音楽高校卒業後渡仏。リヨン国立高等音楽院卒。長年日本とヨーロッパで演奏活動を行ない、現在は「音楽の友」「ムジカノーヴァ」等に定期的に寄稿。多く...

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