舞台『SONAR』を振り返る〈森山未來インタビュー 前編〉

振動は人を心地よくも、殺しもする...... 森山未來が考える言葉、音、振動

インタビュー
2018.10.29

森山未來、ヨン・フィリップ・ファウストロムと及川潤耶による舞台『SONAR』。
2018年9月下旬、横浜赤レンガ倉庫1号館のホールにおいて、演者と200人の観客との間に何の隔てもない状態で行なわれたこのパフォーマンスは、「振動」をテーマにさまざまな情景を展開した。

テレビや映画で活躍する一方、舞台における俳優、ダンサーとしてクリエイティブな活動を展開する森山さんに『SONAR』を作るきっかけ、コンセプトである「振動」や舞台上で発される「音・言葉」に対する考えを聞いた。

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photo:Ayumi KAKAMU
高橋彩子 舞踊・演劇ライター
高橋彩子
高橋彩子 舞踊・演劇ライター
早稲田大学大学院文学研究科(演劇学 舞踊)修士課程修了。現代劇、伝統芸能、バレエ、ダンス、ミュージカル、オペラなどを中心に執筆。『The Japan Times』『E...

音・振動にフォーカスした作品『SONAR』

――近年、舞台でしばしば言葉を使われる森山さんですが、『SONAR』ではあまり使わないことで、シンプルな中に力強さと繊細さを併せ持つ作品になっていました。

自分の中でのバランスもあってのことかもしれません。今年は春に大植真太郎・平原慎太郎との「談ス」公演があり、この後、11月には伊藤郁女ちゃんとの舞台『Is it worth to save us?』があって、どちらもものすごく言葉を使っているので、『SONAR』では喋りたくないなあ、と(笑)。

それにだいぶ前から、音にフォーカスした作品を作りたかったんです。メロディが生まれる瞬間とか、自分が高揚したときに音がバーンと入ってくるような瞬間、そしてそれが表現として外に出る瞬間について考えてみたくて。ただし、これはあくまで発端であって、『SONAR』がそういうテーマの作品だというわけでもないんですけど。

――実際に公演してみて、ご自身の手応えは?

及川潤耶というアーティストは、ミュージシャンあるいはコンポーザーというよりサウンドデザイナー的な人なので、僕とヨン(・フィリップ・ファウストロム)が発した音が拡張されていったり、観客ともインタラクティブに繋がったりといったことを、さまざまに試すことができました。

ただ、実際の観客数や、観客の見方・居方などについては、本番が始まってから発見したものも見失ったものもありましたね。観客が移動することや観客から見える/見えないについては事前に想定していて、見えないことがストレスでつまらないと感じさせる作品になってしまったら失敗で、よく見えなくても、音の世界と僕らの動きと観客の動きのバランスに、ある種の気持ち良さを感じてもらいたいと思っていたのですが、やっぱりアンコントロールな部分は多かったです。

©matron2018
©matron2018
©matron2018

――観客の多くは、見えないことを楽しむというより、見ることに情熱を傾けがちだったかもしれません。

早々に諦めてもらえるようにできたらよかったのかもしれません。それに、インタラクティブな空間やシンプルな面白さは楽しんでもらえたと思いつつ、音からも光からも物体からも人間からも発せられてそこらじゅうにあると言われている“振動”が、世界にどういう影響を及ぼしているのかとか、そういう大きな部分をどうしたらもっと伝えられるのかということに関しては、公演期間中、ずっと試行錯誤していましたね。

――その振動とは、どういうものなのでしょう?

感覚的に自分たちがもっている振動、言い換えるとアウラ(編集注:オーラ、物体、人から放散する発散物、独特な雰囲気、気配)みたいなものというか……。例えば、放射能は、一定の数値まではどこにでもあるけれど、基準値を超えると何かを破壊してしまいますよね。同じことは音にも言うことができて、ある周波数は人を心地よくさせるけれど、別の周波数は人を不快にさせ、殺すことすらある。そして、それは人間のアウラにも言えることでもあるのではないか、など。そういう色々な振動、バイブレーションみたいなものを展開していきたいという思いは、今ももっています。

人間がもともともっていた感覚を取り戻す

――あるシーンでは、森山さんとファウストロムさんが、観客に隔てられながら呼び合うけれど、お互いの声が聴こえない。あれは(近年、船からのソナー=水中音波探知機などに惑わされるようになったとされる)鯨の姿を表したものですよね。その一方で、お2人がかなり激しく衝突するシーンもありました。

あの動きのもとになったのは、“ヒッグス粒子”です。最初に僕らは声(ハム音)を出すのですが、その際、声を微妙にズラすことで、不協的な音から生まれる波というか、揺らぎみたいな響きを狙い、そこから生まれた振動を旅させていくイメージがありました。

振動というのは、分子レベルでも原子レベルでも、原子素粒子でも、すべてに当てはまるわけですよね。で、ヒッグス粒子というのは、2つの陽子を高速で衝突させたとき、火花のように時たま現れるもの。ぶつかるからどうしてもバイオレンスに見えがちですが、僕らとしては振動が発生する旅を表していました。

――口元に手を当ててお互いの口に向かって10分間ほど吠え合うシーンも印象的でしたが、あのイメージは、どこから?

手法としてはアイヌの喉遊び歌を参考にしているのですが、(ファウストロムの母国である)ノルウェーをはじめスカンジナビア半島に住む北方系民族・サーミも、似たような文化をもっていると聞きました。僕はこのどちらにも、モンゴルのホーミーのような音楽的なものとはまた違う、もっとシンプルというかプリミティブというか、倍音の振動を使って何かと交信する、セレモニーのようなニュアンスを強く感じていて。アイヌで言うならカムイと交信するためのものが、言葉でも音楽でもなく、“振動”だったんじゃないかと思うんです。

一般的に、美しい旋律というものは、ある程度決まっているとされていますよね。僕らはそれを“コモン・メロディ”と呼んでいますが、そうではなく、自分たちで作ることのできる自分たちだけの音もしくは旋律みたいなものはないのかというところから始まりました。実際には、お互いの二酸化炭素を吸い続けているので、しんどかったですけど(笑)。

©matron2018

――つまり、一連の情景を通して、世の中で音楽として認識されているものより、もっと始原的な音を生み出そうとされたわけですね?

そうですね。『SONAR』を観たあと、しきりに「X-MEN」と言ってくる人がいました。X-MENは突然変異のミュータントですが、アイヌやサーミの喉歌じゃないけど、原初に戻れば戻るほど、交流の仕方はもっと豊かで、ミュータント的な感覚が人間に備わっていたんじゃないかと思うんですよ。

さっきからアウラがどうこうと言っていますが、これはいわゆるスピリチュアルなことではなく、人間がもともともっていた感覚領域を取り戻そうとする作業。例えば、僕たちの思想も情報も、だいたい携帯電話やパソコンに入っていて、それはほぼすべてクラウド上に飛んでいる。つまり、膨大なデータは辺りに漂っていて、科学的にそれらを実際にキャッチして取り込めるわけですよね。

今、縄文ブームって言われているらしいんですけど、縄文時代って、そういうことが感覚的に行なわれていたんじゃないかと想像するんです。言葉も音楽も、定型化することによってコミュニケーションしやすくなっているけれど、本当の意味で理解する方法はもっと違うところにあるんじゃないかとか、それこそアウラをどう考えるか、アウラでのコミュニケーションはできているのかどうか、といったことを、捉え直したかったし、問いかけたかったんです。

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