ピアニスト 金子三勇士――2019年の「リストと私」。そしてハンガリーへの案内
最新作『リスト・リサイタル』を発表したばかりの金子三勇士。ピアニストとして、そして人間として。彼が尊敬してやまないリストへの想いと、自身にとってたくさんの節目が重なった2019年について話を伺った。
編集プロダクションで機関誌・広報誌等の企画・編集・ライティングを経てフリーに。 四十の手習いでギターを始め、5 年が経過。七十でのデビュー(?)を目指し猛特訓中。年に...
さまざまな節目の年に発表するリスト・アルバム
身体にぴったり合ったグレーのスーツに身を包み、泰然自若として取材スタッフを迎え入れてくれた金子三勇士。その胸には、日本とハンガリーの国旗をあしらったバッジが。
「日本とハンガリーという、私にとって切っても切れない関係にある2つの国を強調したいときに、このバッジを着けるようにしています。今年はイベントでも演奏会でもこれをお目にかける機会が多くなりますよ」
実は、今年は日本とハンガリーが国交関係を樹立して150年という記念イヤー。日本人の父とハンガリー人の母をもち、幼いころからハンガリーに留学した金子にとっても特別な年だ。そして平成から令和へと元号が変わり、自らも30代を迎える。まさにさまざまな節目が重なるこの年に、「演奏するだけでなく、モノとしても何かを残したい」と制作したのが、今月発売された『リスト・リサイタル』だ。リストの作品は折に触れて何度も演奏してきた金子だが、今回はタイトルの通り、リストの作品だけで構成された意欲作である。
リストの最高傑作、ピアノ・ソナタを8年ぶりに録音した
1811年、ハンガリーのドボルヤーンという村(現オーストリア領ライディング)で生まれたリスト。10歳でウィーン、そして12歳でパリへと移住し、その後もワイマールやローマで過ごすなどコスモポリタン的な生涯を送ったが、自らのアイデンティティをハンガリーに求め、ブダペストが洪水被害に遭ったときには多額の援助をし、またブダペスト音楽院(リスト音楽院)の設立に関わったことでも知られている。
「リストの生き方はもちろん、作品を含めて音楽家としての彼が残してくれたものに対して、私は昔から強い尊敬の念を抱いているんです。今回のアルバムは、日本では意外と知られていないリストの音楽を皆さまに紹介するいい機会になると同時に、自分の中でもひとつのマイルストーンになると思いました」
アルバムのハイライトは、なんといってもロ短調のソナタだろう。1853年、リストの創作活動がもっとも充実していた時期に完成させた大作だ。難解な構成を持ち、非常に高い技術を要するこの曲を、金子は深い洞察力をもって色彩感豊かに弾き切った。聴き終えた後には、ずっしりとした余韻が残る。
「リストは長い生涯の中でピアノ曲以外にもたくさんの作品を残していますが、このソナタこそが彼の最高傑作と言っても、納得してくださる方はたくさんいらっしゃると思います。単にサイズ的に大きいだけでなく、内容も濃い。彼自身の人生観はもちろん、人類や地球の歴史、そして宇宙の歴史……。途方もなくスケールが大きくて、哲学的というか、深い思考がある。弾いていてもそうですし、聴いていてもいろんなことを考えさせられますね」
アルバムには「本当に弾きたいと思う大好きな曲だけを集めました」という金子だが、とりわけこのソナタに対する思い入れは深い。
「今回が実に8年ぶりの録音となったのですが、だんだんと彼がこの曲を作った年齢に近づいてくるにつれて、見えてくるものがあるんです。以前だったら素通りしてしまっていたようなところにも意味を見出せるようになったり、ハーモニーひとつにしてもいろんな捉え方があることに気づいたり。演奏経験を重ねるごとに、音色や表現に幅も出せるようになってきました。こうした変化は、生きている限り続いていくものだと思います。先ほどマイルストーンと申しあげましたが、リストのソナタは今後も、果たして何年後、あるいは何十年後になるかもしれませんけれども、大きな節目を迎える度にレコーディングをして、形として残していきたい大切な作品なのです」
レコーディングを重ねるたびに、大人になっていく
回数を重ねるごとに、人間としても表現者としても成長できる場。金子にとってのレコーディングとは、アルバムを作る以上に豊かな結果をもたらしてくれる体験なのだという。
「実際、スタッフさんはホールの外にいるし、ライトも消して、ろうそく1本ぐらいの明るさしかない空間でたったひとりピアノと向かい合う。孤独なことこの上ないんですけどね」と笑うが、そんな空間に入らなければ得られないものもある。
「とてもストイックな時間といえますが、そうなって初めて気づく作品の一面や作曲家の顔があるんですよね。もちろん普段から研究を重ねて練習もしていますけれど、レコーディングの現場でないと見えてこないものがあるわけです。それどころか、それまで思いもつかなかった発想や、初めて気づく自分の一面まであったりする。本当に不思議です」
ピアノという楽器は、自らを映す鏡のようなものだということよく聞くが、まるでそれを裏付けるような話である。
「日常の練習は頭でいろいろ考えてやりますけれど、レコーディングに入って、静かな環境で明かりを消すと、すっと自然体になれるんです。自分のスイッチが一回切れるというか。すると、自分が考えてきたこととピアノ、そして音楽とがつながって、新しい何かが生まれてくる。そんな体験を重ねるごとに、少しずつ大人になっていくような感じがするんですよね」
そうしてピアノと、そして自分自身と向き合いながら作り上げたリストの作品たち。「自分自身の想いよりも、作品のありのままの世界をどのようにしたら引き出せるか。このことを絶えず念頭に置いて演奏しました」という本作では、ソナタのほかにも妖しい狂気とロマンティックな詩情が交錯するメフィスト・ワルツ第1番《村の居酒屋での踊り》や、喜びにあふれた《泉のほとりで》など、金子三勇士の現在を感じるだけでなく、リストのピアノ曲を知るきっかけとしても相応しい作品が集められた。この機会にぜひ手に取ってみてほしい。
コンサートに映画への参加と、話題満載の2019年
さて、アルバムが発売されたら、次はコンサートだ。5月21日にはサントリーホールでハンガリー・ブダペスト交響楽団の来日公演に参加してリストのピアノ協奏曲第1番を演奏し(指揮は「ハンガリーでいちばん有名な日本人」小林研一郎)、7月18日には東京オペラシティでリストとショパンのピアノ曲を披露するリサイタルが予定されている。「コンサートはアルバムとはまた違って、作品だけでなく共演者や聴衆の皆さまとの一期一会の世界があって奥が深いですね」と今から楽しみを隠せない様子だ。
「今年はリストの曲を皆さまにお届けできる機会をたくさんいただいているのですが、小林マエストロと共演する協奏曲はアルバムには入っていないので、ソロ曲との聴き比べもできると思います。オペラシティではリストとショパンの対比を楽しんでください。お互いの大作といえるソナタから小品まで、1回でここまで楽しめるのかというぐらいたくさん演奏します。特にソナタは、2人とも19世紀に書いているわけですけれど、今聴いても感じるものがあると思います。人類や社会のことから、ご来場されるご自身の人生のことなど、作品を通してさまざまなことを考えられる時間になるんじゃないかな、と思っています」
話題はまだまだ尽きない。10月に封切られる映画『蜂蜜と遠雷』(原作・恩田睦/国際ピアノコンクールを舞台に、世界を目指す若き4人のピアニストたちの挑戦を描いた作品)では、森崎ウィンが演じるマサル・カルロス・レヴィ=アナトールのピアノ演奏を担当。河村尚子(栄伝亜夜役)、福間洸太郎(高島明石役)、藤田真央(風間塵役)ら今をときめくピアニストたちとともに今秋最大の話題作を彩るのだ。
「ただ話題性があるだけではなくて、ストーリーが本格的ですよね。プロへの道の険しさだったりとか、一歩踏み込んだクラシック音楽の世界を描いていて。そんな作品に関わらせていただくなんて、とても光栄で、正直、本当にうれしく思っています」
制作の過程では、アルバムのレコーディングとはまた違う経験ができたとか。
「今回は役柄に合わせて何人もの演奏家が吹き込みをしたわけですけれど、音を通してマサルの人間性を表現するというのは大変な作業でした。でも複数の国がルーツにあるマサルには私と共通するものを感じましたね。彼を通して、スクリーンから自分の音が流れてくるところを想像すると、今から本当にワクワクしますし、一人でも多くの方に観ていただきたいと思っています」
ハンガリー・ブダペストに行くなら今がおすすめ!
「リストをはじめ、いろいろ音楽を聴いていただきたいのはもちろんなのですが、もし機会があれば実際に訪れてほしいですよね」
話題は再びハンガリーのことに戻る。
「ブダペストにはオペラハウスやリスト音楽院、音楽に関する博物館もたくさんありますし、楽しめると思いますよ。治安もいいですし、ハンガリーの人には親日派が多いですから、必ずや親切にしてくれるはずです」
そこで、ブダペストでおすすめの場所を聞いてみると、「ゲッレールトの丘ですね」と返ってきた。街の中心部からほど近く、ここからドナウ川やくさり橋をはじめ街が一望できるのだ。「ここから見る夜景が最高なんですよ」と金子は顔をほころばす。
「ちょうど陽が沈んで、昼と夜との中間みたいな、トワイライトの時間と言えばいいのでしょうか。街の灯がつく瞬間というのが、もう表現のしようがないぐらい綺麗なんですよね。私もブダペストに戻るたびに、時間を見つけてここに来るようにしています」
雄大なドナウの流れと、歴史を感じさせる建物の群れを見ていると、まるで時間が止まったような感覚に陥る。終始落ち着いて、わかりやすい言葉で丁寧に質問に答えてくれる金子の優しさやおおらかさは、この風景に育まれてきたからこそ、なのだろう。
「でも、ブダペストは街自体の景色が世界遺産になっているぐらいですから」と彼は続ける。
「丘だけではなく、ドナウ川沿いに歩いて夜景を楽しむのもいいんですよね。特にこれから夏にかけての季節がおすすめですね。川沿いを散歩しながら、アイスを食べたりお茶を飲んだり。ゆったりとした時間が流れて、気持ちいいですよ」
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