仏文学者・水林章~語学で「自由」へと向かう作家。その音楽を経由した言語表現とは 前編
偶然が重なってフランス語で小説を執筆するようになったというフランス文学者の水林章さん。水林さんの小説は、いずれも音楽が中軸となっているのが特徴だ。2つの言語の間を生きる水林さんに、フランス在住の音楽家・船越清佳さんが念願の取材。言語と「自由」、言語と音楽をめぐる奥深い対話が繰り広げられた。
岡山市出身。京都市立堀川音楽高校卒業後渡仏。リヨン国立高等音楽院卒。長年日本とヨーロッパで演奏活動を行ない、現在は「音楽の友」「ムジカノーヴァ」等に定期的に寄稿。多く...
フランス語で執筆し、その作品が次々とフランスで絶賛されている日本人作家、それがフランス文学者の水林章さんだ。
音楽愛好家としても知られる水林さんは、学生時代から月刊誌『音楽の友』『レコード芸術』の読者でもあったという。彼の作品において、音楽はいつも物語の中心軸となっている。
フランスでベストセラーとなった『壊れた魂(仏題 Âme brisée)』のクライマックスには、音楽の力によって、地上のすべての愛——親子の愛、夫婦の愛、芸術への愛、生きることへの愛——が一つになり、昇華する瞬間が描かれている。音楽は真に魂を救い、より良い世界へと導く力があることを実感させてくれる作品だ。
このような小説を生み出す水林さんのお話を聞きたい、そんな一心から実現したのがこの取材である。
「フランス語で生まれ直す」経験へと導かれた出来事
船越 水林さんがフランス語の世界に導かれた、そのきっかけについてお話しください。
水林 高校2年生の終わり頃だったでしょうか、フランス文学者の森有正(1911〜76)の書物に出会ったことが決定的でした。森有正は、小学生のころからフランス語を勉強して東大に進み、さらにその仏文科で教鞭をとるに至りました。戦後、1年の予定で渡仏するのですが、結局大学のポストを捨て、フランスに永住することを選んだのです。
彼は『バビロンの流れのほとりにて』という自伝的な作品で、フランス語が堪能だと自負している大方のジャーナリストとは裏腹に、「30年もフランス語を学び、パリにやってきたのだが、自分はフランス語がよく分からない」という実感を打ち明けています。東大の先生になって、フランス文学や哲学を講じていたというのに、です。「小学校の教科書から学び直さなければならない」とも書いており、これには度肝を抜かれました。
当時の僕は、中学校の頃から英語を勉強し、得意科目だったものですから、自分はできると思っていたんです。しかしこの文章を読んで、森有正とフランス語の関係が尋常なものではないと知り、「外国語の勉強とは、それほどまでに厳しいものなのか」と心底驚いたのです。
船越 私は学生のころからフランスで生活していますが、相変わらず知らないことばかりだと、毎日のように感じています。私の場合は単なる勉強不足ですが……。
水林 森有正はまた、〈体験〉と〈経験〉を区別して、次のような印象的な言葉を残しています。
「正しい、そして深い経験から来る言葉は、形容するのがむつかしい一種の重みをもっている(…)体験はどんなアホウの中でも機械的に増大する。」
僕は、フランス語で生まれ直すという〈経験〉を求めて、この人の後について行こう、大学に入ったらフランス語を勉強しようと強く思ったのです。
船越 音楽家の勉強も一生続きますが、それは演奏能力だけでなく、自分の内面を少しでも豊かにしようとつとめることですよね。それがその人の描く音響世界につながりますから。
水林 マウリツィオ・ポリーニというピアニストがいますね。ショパン国際ピアノコンクールに優勝して脚光を浴びた直後、舞台から遠ざかって文学、哲学などまで勉強したという話を聞いて、なるほどと思いました。フランス語と出会ったころに知った話です。どの分野にも根本的に違う勉強の仕方を追求する人がいるのだと思います。
ラジオ講座のために高価なテープレコーダーを買い与えてくれた父
船越 大学の授業が始まる前から、フランス語に没頭されたそうですね。入門のときは、どのように勉強されたのですか?
水林 父の勧めで、NHKのラジオ講座を聞き始めました。講師は『フランス語文法事典』の著者、朝倉季雄先生、ゲストは演出家のニコラ・バタイユ、そしてなだいなだ夫人のルネ・ラガーシュさん。2人のフランス人がモデルリーディングしてくれて、フランス語文法の大家が教えてくれる素晴らしいレッスンでした。最初の留学に出かけるまで、1日も休まず聴きました。
船越 私がフランス語を学び始めたころは、NHKのテレビ講座がありましたが、私は講師のジュリー・ドレフュスさんの美貌と、休憩時間のシャンソンの方が記憶に残っています。もっときちんと勉強すればよかった……。
水林 放送が終わったら二度と聞けないのが残念と父に言ったら、しばらくしてソニーの大きなテープレコーダーが届きました。当時の父の給与の4分の1に値する、非常に高価なものでした。父とフランス語とテープレコーダーは切り離しがたい思い出なんです。
小説で感動や情感を表したいとき、知っている音楽が心に浮かぶ
船越 お父様は、水林さんと音楽の関係にも大きな影響を与えたと。
水林 電気技師で、後に物理の教師となった父は、自分が経済的に恵まれず、思う存分勉強できなかったという思いから、教育のためなら可能な限りお金を使う人でした。勉強しろと言われたことは一度もありませんが、僕たちの意欲を嗅ぎ取って、それをすべて満たそうとする人でした。
子どもたちに音楽を学ばせることは、父の強い希望でした。後にその理由を訊ねると「音楽は、困難に立ち向かい、乗り越えることの大切さを教えてくれると思っていた。練習を怠けたり、手抜きをしたりすると、絶対に進歩しないのだから」と話していました。
ヴァイオリンを学び始めた兄の上達ぶりは、目覚ましいものだったそうです。兄は高校までレッスンを続け、チャイコフスキーの協奏曲など大曲を弾きこなすまでになりました。今でもアマチュアとして演奏しています。一方で、僕はピアノを数年習ってやめてしまったのですが、常に兄のヴァイオリンを聴きながら育ったことで、音楽が生活の一部となりました。そのように仕向けてくれたのは父だと思っています。
父は知的好奇心の塊みたいな人でした。戦争中の狂った世界を経験し、その解毒剤のようなものを、ヨーロッパの文化や学問に求めたのでしょう。
船越 そのお父様の一面は、水林さんの小説に出てくる男性に垣間見えるような気がします。フランス語で執筆され、ベストセラーとなった『壊れた魂 Âme brisée』は、壊された父親のヴァイオリンの修復に一生をかける弦楽器職人を描いた物語です。音楽と一体になったクライマックスのシーンに、やはり音楽には言葉を超えた感動を伝える力があると感じました。
水林 僕の作品には必ず音楽が出てきます。感動や情感を表したいとき、知っている音楽が心に浮かぶことが多いのです。音楽を経由して、言語表現が立ちあがってくるようです。
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